里では名の知れたエリート一族で、うちはの氏は木ノ葉隠れの里でも特に有名なのではないだろうか。
はたけくんは、里随一の天才忍者の息子――なのだと、両親から教えてもらった。その血を濃く受け継いでいるかのように、アカデミーに入ったばかりだけど、次世代の天才忍者と呼ばれている。
その他にも、名の知れた一族に連なる生徒がたくさんいる。名の知れた氏を背負う者、親を持つ者、祖父母、兄弟を持つ者。
でも、そういったものに縁のない者も居る。わたしがそうだ。
わたしの両親は忍ではあるけれどどちらも中忍で、母はわたしを産んでからずっと内勤で働いている。父は任務を受けて里を出ることはあるけれど、たいてい長くても三日で帰ってくる。
片や、里外でも名を知られた有名な忍の家系。
片や、いたって普通の、一般的な、忍の家系。
見えないようで、そういった線引きがいくつもある。
オビトが火影になるという夢を抱いていることを知ってから、わたしは前よりも一層修業に励んだ。
誰にも言ってないし、誰にも言えないけれど、いつかオビトが火影になったそのとき、わたしはそのオビトに釣り合う女性でありたい。つまり、火影を妻として支えられるだけの力がほしい。
オビトと仲直りをしたあと、家に帰ってお風呂に入りながら、火影の妻の条件を、わたしなりに考えてみた。
やっぱり、火影のオビトに誇ってもらえるような女性じゃないといけない。そして、里のみんなが認める女性でなければいけない。
そうすると、忍として強いのはもちろん、女としての魅力も磨かなければ。やっぱりきれいじゃないと。きれいな女の人は素敵だもの。
あと、優しくて、頭も良くて、みんなに好かれるような――そんな女の子は、わたしのすぐ傍に居た。
「なあなあ、リン。今日は一緒に修業できるだろ?」
「うん。今日は用事がないから、大丈夫よ」
朝、アカデミーの教室に入ると、珍しくオビトがすでに登校していた。こんな時間から教室で姿を見かけるなんて滅多にない。席に座るリンを前にして、オビトは「やった!」と拳を握っている。
「お。サホ、おはよう!」
「おはよう、サホ」
「おはよう。オビト、今日は早いんだね」
わたしに気づいて、オビトが挨拶をし、リンもにっこり笑顔を向ける。わたしは挨拶を返しながら二人に歩み寄った。
「朝っぱらから近所の犬が喧嘩しててさ。うるさすぎて目が覚めちゃったんだ。五時だぜ、五時!」
「へえ。でも、遅刻しなくてよかったね」
「まあな」
相槌を打ちながら、オビトは大きな欠伸をする。五時なんて、普段のオビトからしたら大分早いだろうなぁ。
「サホも放課後、一緒に行けるだろ?」
「修業? うん。いつものところだよね?」
「そうそう」
『いつものところ』で、わたしたちにはすぐに伝わる。忍の演習場や訓練場は、基本的に忍者が使う場所なので、アカデミー生で使う子はいない。アカデミーの子は、里内の森や林など、人が多くない場所を探して鍛錬を積んでいる。
「おはよう」
「あ、おはよう」
わたしの後ろを通り過ぎた人が挨拶をするので、反射的に返しながら相手が誰かを確かめると、マフラーを揺らして歩くはたけくんだった。
「ねえ、カカシ。カカシも今日、一緒に修業しない?」
呼び止め、誘ったのはリンだ。くりくりとした、ちょっと猫に似ている可愛らしい目がはたけくんに向けられている。
「えぇー!? いいよ、カカシは!」
「でも、みんなでやった方がいいじゃない。私やサホとだと、オビトの組手の相手には物足りないでしょ?」
「だからって、カカシじゃなくてもさぁ」
不満の声を上げるオビトに、リンがゆっくり諭すように説明する。男女の差、能力の差もあって、わたしとリンでは、オビトの相手は務まらない。
はたけくんは、『オレだって』と言いたげに目を細める。はたけくんのそれは、きっと癖なんだろう。マスクのせいで目元しか見えないから、目の動きばかりが目につく。すごい。はたけくんのことを考えると、『目』だらけだ。
「はたけくん、今日は忙しい?」
「そういうわけじゃないけど……こいつがオレと一緒じゃ不満なんでしょ」
わたしの問いに答えつつも、厳しい目はオビトに向けられている。二人の間には見えない火花が散っていて、『一触即発』という、この前覚えたばかりの言葉を使うのは今なんだな、と考えた。
「そんなことないよ。ね、オビト」
オビトに同意を求めるように、リンがグイッと身を乗り出した。
「えっ……だって……さぁ……」
リンの顔が随分近くにあることに驚いてなのか、オビトは少しだけ顔を赤くしながら、何とか反対意見を述べようとするけれど、うまく思いつかないで、最後はモゴモゴ言っているだけだ。
結局、はたけくんがその場から離れて別の友達の下へと行ってしまったので、放課後に一緒にという約束はできなかった。
すぐに鐘が鳴り、先生が来て授業が始まったし、授業中も、お昼休みを挟んでも、放課後について話すことはなかった。
だからその話は、すっかり流れてしまっているものだと思っていた。
いつものところに、わたしとオビトとリンで向かう。はたけくんの姿がないのは、放課後になって、改めてリンが声をかけようとしたら、他の友達に先を越され、はたけくんがその友達と一緒に教室を出てしまったからだ。
「いいじゃん! あんな奴なんかさ!」
はたけくんを誘えなかったと、ちょっとだけ残念そうなリンに、オビトが励ましているのか、明るい声で言う。リンと違って、こちらは晴れ晴れとした顔だ。
しばらくすれば、いつもの穏やかな表情をするリンに戻って、今日はどんな修業をしようかと三人で話し合いながら歩いた。
木々に囲まれた中で、少しだけ拓けた場所がある。それがわたしたちの『いつものところ』。わたしたちが修業に使っているため、木の幹には手裏剣やクナイが刺さった後があり、地面には削り取られたような穴。周囲の地面は踏みしだかれたせいで、すっかり草が生えなくなっている。
「よし。じゃあオレは手裏剣打ちの練習だ」
オビトが手裏剣を取り出し、いつも場所に立って構える。今日こそはあの木に全部当てるのだと意気込んでいる背中に、心の中で頑張ってと応援した。
「私たちはどうする?」
「組手でもする?」
「そうだね」
わたしとリンはオビトの邪魔にならないよう、少しだけ距離を取った場所で向かい合った。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
互いに対立の印を結んで、一拍。わたしとリンはほぼ同時に前方へと駆け出した。先に仕掛けるのは大体いつもわたし。リンの隙を狙って、右に左に、上に下にと拳を突き出し足を振る。リンはわたしの動きを読んで、拳をさばいて足をかわしてと、防戦一方だ。
リンが一度大きく後ろ跳ぶと同時に、両手からクナイを放つ。打たれたクナイは二つ。視認したあと、わたしもクナイを取り出し弾き返す。そんなことは想定済みと、リンはクナイに意識を取られたわたしに術を仕掛ける。
「火遁・
印を結んだリンが両手を地につけると、わたしの足下から、その術の名の通り樹木のように火柱が生える。初級の火遁忍術だけど、チャクラを練るのも印を結ぶのも早いリンのそれは、ものすごいスピードでわたしの身に迫った。なんとか横に避け、お返しすべく印を結ぶ。
「風遁・
自分が確実に発動できる、数少ない術の一つ。大気を集め、雲雀の姿を作り、それを相手にぶつけるという、初級忍術の一つだ。初級とはいえ、チャクラの量や術者次第で、雲雀の数も飛ぶスピードも変わる。熟練者が放てば、百匹もの風の雲雀が敵を貫く。アカデミー生のわたしが放つ雲雀東風の雲雀は、せいぜい五匹。多くても十匹にも満たない。当然、大したものではないけれど、相手の目くらましくらいにはなる。
けれど、わたしとリンはこうして修業をすることが増え、彼女はわたしの放つ雲雀東風にはもう慣れている。冷静に軌道を読み、難なくかわしてしまう。
「――はあッ!」
リンの拳がわたしのお腹を目がけて突き出される。わたしは掌で受け止め、がっちりと固定したあと、リンの脇腹に蹴りを放った。当たる寸前で、わたしの手から逃れたリンが間合いを取る。空ぶったわたしの足は空を蹴り、そのあと、
「うわっ!」
体勢を崩したわたしを、リンがポンと手で押すので、わたしはそのまま後ろへと倒れてしまった。
「私の勝ち、だね」
にっこり笑うリンに、わたしも力なく笑い返した。手を伸ばしてくれるので、それを借りて身を起こす。
「負けちゃった」
「これで十勝九敗、かな?」
向かい合って、和解の印を結んだあと、わたしたちは戦歴を振り返った。確か、初めて忍組手をしたときはわたしが勝った。それから、勝ったり負けたり、勝ち続けたり負け続けたりで、お互い九勝九敗だったところで、リンが先に十勝を挙げた。
「サホの雲雀東風、雲雀の数が前より増えたね」
「本当? リンの火乃木も、伸びるスピードが前より速くなってると思う」
わたしたちは互いの術の向上を称え合い、さきほどの忍組手での自分たちの良かったところ、悪かったところを挙げてみた。こうして振り返ることで、自分では気づかなかった面が見えてくる。
授業で行う忍組手は、色んな相手と対戦できることが魅力だけれど、慣れた相手との戦いも勉強になる。なんたって、相手の得意な術も、好むセオリーも知っていて、尚且つ相手も自分のそれを把握しているから、頭をフル稼働させて挑まないといけない。そういうピリピリとした緊張感が、わたしは結構好きだ。
修業や手合せは、元々それほど好きではなかった。けれど、こうしてみんなと修業に取り組むようになって、少しだけ考え方が変わってきたと自覚する。
「ゲッ!」
離れた場所で手裏剣打ちの練習をしていたオビトが、カエルが潰れたような変な声を上げた。リンと一緒に振り向くと、オビトの視線の先には、ズボンのポケットに手を突っ込んでいるはたけくんが立っていた。
「カカシ!」
リンが駆け出し、はたけくんの下へ向かう。わたしもリンを追いかける形で、はたけくんの傍に寄った。
「カカシ、来てくれたんだ」
「暇だったからね」
「暇なら家帰って寝てろ!」
嬉しそうなリンと対照的に、オビトは不機嫌全開だ。はたけくんは鬱陶しいとばかりに横目でオビトを一瞥したあと、わたしとリンに目を戻した。
「サホのチャクラの性質って風なの?」
「うん。チャクラ紙で調べたら、風だった」
アカデミーに入ってすぐ、忍術について学ぶ授業があった。チャクラのことや、五大性質のこととか。そこで、みんなで一斉にチャクラ紙で自分が持つ性質がどれなのかを調べた際に、わたしのチャクラを流したチャクラ紙は、真っ二つに切れたのだ。
「へえ。知らなかった」
「……覚えてなかった、の間違いじゃない?」
「ま、そうかも」
あのときは、一人ずつ先生に呼ばれて、みんなの前でチャクラ紙で調べた。当然みんなそれに注目していたはずだったのに、はたけくんが知らないわけがない。あ、でも、興味がなくて見ていなくて『知らなかった』なら、間違いではないのかも。
「風か。オレは相性悪いね」
「ふふっ。怖い?」
「はあ? オレが? そんなわけないでしょーよ」
はたけくんは雷の性質を持っているらしくて、性質関係だけで見たら風を苦手をしている。といっても、からかうわたしに呆れて返すように、はたけくんとわたしの実力差を考えたら、性質の相性など関係ない。はたけくんと忍組手なんてしたら、すぐに終わる自信がある。もちろんわたしが負ける形で。
「なんだよ。結局来るんだったら、『行く』ってはっきり言えばいいじゃねぇか」
「お前、オレに来てほしかったわけ?」
「んなことあるか!」
「あー、面倒くさい奴」
両手を上げ、肩をすくめるはたけくんのその仕草は、よくオビト相手に見せることが多くて、目を細めるのと同じように、それもはたけくんの癖なんだと気づいた。
はたけくんの言うとおりだ。来て欲しかったのか欲しくなかったのか。欲しくなかったんだろうけど。
「まあまあ。せっかく集まったんだから、喧嘩しないでよ」
二人の始まる諍いを――といっても、オビトが一方的に噛みついているだけなんだけど――リンが止める、いつもの流れ。三人一組の、見慣れた景色。
それが、わたしの胸をグッと痛めるものになったのは、ここ数日のことだ。
元々、オビトは名のあるうちは一族の一人だ。はたけくんと忍組手をやると負けてしまうし、術は不発したり、大した威力が出ないこともある。けれどその身体能力は本物で、他の男子との組手ではなかなかいい勝負をするし、負けることはあんまりない。
術がうまく使えなかったり、手裏剣がうまく打てなかったり、そういうところがマイナス面として印象に残りやすいけれど、伸び代はたくさんある。
はたけくんは同期の中で飛び抜けた実力を持っていて、アカデミーの先輩たちと忍組手をするとあっさり勝ってしまう。術の発動は常に正確で、分身なんていくつも出せてしまうし、チャクラの性質は雷だと言うのに、雷遁だけじゃなくて土遁も使える。とにかくすごい。
そんなすごい二人に、リンが物怖じしないで接しているのは、前から二人と親しかったからだとは思う。
だけど、もしかしたら、もしかしたらリンも、何か特別な一族かもしれない。
前に、まだリンとこうしてよく話すようになる前の頃。わたしは修業なんかより、友達と顔を突き合わせるお喋りが好きだった。
そのお喋りの時間に、よく遊んでいたグループの子たちが言ったのだ。
「リンのあの化粧って、何なんだろうね?」
そういえば、という話題だった。アカデミーで出会ったときから、リンの両頬には、菫色の化粧が施されている。グループの中に、リンとアカデミー前から仲が良かった子は居なかったので、わたしを含め誰も知らないと答えた。
「あれって、『戦化粧』なんじゃない? ほら、犬塚一族の人も、みんなそういうのしてるじゃない」
友達の口から初めて聞いた『犬塚一族』の人のことを、初めて聞いたのだからわたしは知らなかった。友達が言うには、その一族の人はリンのように、頬に赤い化粧を施しているらしい。木ノ葉では名の知れた忍犬使いの家らしく、苗字に倣ったようなお家だなという感想を抱いた。
「じゃあリンも、『のはら一族』とかなのかな?」
そう言われたら、そう見えてきた。何か特別に秀でている、のはら一族のリン。
結局、その話はうやむやになって、別の話題に変わったから、わたしはリンのあの化粧の意味も、特別な一族かどうかも、分からないままだ。
だけど今考えると、きっとリンも、名の知れたのはら一族の子なんだろうと思う。
だって、リンは“あの”うちは一族のオビトと、“あの”はたけサクモさんの息子と、とても仲が良い。
特別な人の傍には、特別な人が立つと、よく映える。子どものわたしでも、“絵づら”というのは知っている。格好いい人の傍には、きれいな人が似合うのだ。
「――はい、止め! 勝者、カカシ!」
リンの声で、ハッと顔を上げると、地面に倒れるオビトと、しっかり足をつけて立って、オビトを見下ろしているはたけくんが目に入った。
オビトとはたけくんの忍組手は、わたしが考え事をしている間に終わったらしい。オビトは不貞腐れた顔をしながらも、服に付いた土を払いながら立つと、はたけくんと和解の印を結んだ。
「十五勝零敗」
「げっ! いちいち数えてんなよ! 細かい奴だな! 女かよ!」
「それ、女子の前でよく言えるな」
「なっ、ばっ、そ、そういう意味じゃねぇよ!」
オビトははたけくんの指摘にあからさまに動揺して、この場に居る女子であるわたしたちを交互に見ながら、「違う」と否定した。もちろん、オビトがわたしたちに向けて悪意を放ったわけではないと分かっている。オビトははたけくんと話していると、ついうっかりしちゃうから仕方ない。
「暗くなってきちゃったね。そろそろ帰らないと」
リンが空を見上げる。青かった空に、太陽はもうない。西の方に傾いて、今にもその姿を消してしまいそうだ。夜の藍と、夕焼けの橙が混ざりかけている。
「じゃあ、今日はここまでな」
オビトの言葉を合図に、わたしたちはその場から歩き出した。先頭はオビトとはたけくんで、わたしとリンは後ろだ。オビトははたけくんの後ろなんか歩きたくないらしい。それははたけくんも同じらしくて、オビトの後ろはいや。だから自然と二人は並んでしまう。並ぶのはいいのだろうか。
どちらかが前に出れば、もう一方も前に出る。それを繰り返して、二人だけが先に行くときもあるけれど、一定の距離が開くと、二人は止まったまま睨み合い、わたしとリンが来るまで待ってくれる。そしてまた、張り合う。
「二人って本当、子どもなんだから」
自分だって子どもなのに、リンは大人のように笑った。こんなのいつものことだよ、というように。
わたしには初めてだった。オビトとリンと三人で帰ったことは何度もあるけれど、はたけくんとは初めてだ。
はたけくんが加わって、オビトとリンの三人になると、今までもこうやって歩いていたんだろうなぁ。
また、胸がグッと掴まれたように痛い。この場から今すぐ逃げ出してしまいたい気もするし、何があっても居続けてやりたい、とも思ってしまう。
「じゃあね」
はたけくんが止まり、左の通りへ入っていこうとする。
「あっ、おい。サホもそっちの方だから、途中まで一緒に帰ってやれよ」
引き留めたのはオビトだ。前に送ってくれて、わたしの家がどこにあるか知っているから、親切心で言ってくれたんだろう。
だけどね。本当はもうちょっと、先でもいいんだ。いつも、オビトと別れるのは、もうちょっと先だよね。ここで左に入っても間違いじゃないけれど、もうちょっと先まで、オビトとリンと、一緒に歩いてもいいんだよ。
「そ。サホ、行こう」
でも、はたけくんがそう言うから。だからここでお断りするなんて変だから。わたしはリンとオビトから離れて、はたけくんの方へと寄った。
「またな!」
「また明日」
オビトとリンが手を振る。二人で。夕方と夜が混じる薄暗い中なのに、太陽と、太陽に照らされた花のように、にっこりと。
「じゃ」
「……またね」
はたけくんとわたしも、二人を見送る。手を振るのはわたしだけだ。
挨拶を手早く済ませたあと、はたけくんは先を歩く。わたしはその背中に黙ってついていく。いつもより早くオビトと別れたことに、不満で一杯だったので、口を開いたら、言ってはいけないことを言ってしまいそうだったから。
「サホの家って、どの辺?」
「え? あ、えっと……ここを真っ直ぐ行って、突き当りを右に曲がるの」
「ふうん」
背中を見せたまま問うたはたけくんにそう教えると、はたけくんは両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、それ以上何も言わなかった。
はたけくんと二人で行動するなんて、初めてだ。この間、公園で泣いていたときに話したのが、初めてまともに交わした会話だったから、今でも二人は少し緊張する。
「オレと帰るの、いやだった?」
「へっ?」
いきなりそんなことを訊いてくるから、変な声が出てしまった。
「そ、そんなことないよ」
急いで否定したけれど、声は変だし、実際、まだオビトと一緒に居たかったなぁ、なんて不満だったから、図星を突かれたところもある。なので、聡いはたけくんには、その考えはバレているだろう。
「はたけくんと、何話していいか分からなくて」
「ああ、そうだね。オレも同じ」
黙っていた理由を捻り出すと、はたけくんは頷いた。はたけくんも、何を話していいか分からないなんてあるんだ。何でも器用にこなす姿しか見ていないから、ちょっと親近感が湧いた。オビトと早く別れたことへの不満より、目の前のはたけくんのことへの興味が膨らんだ。
「はたけくんは、お父さんが天才忍者なんだよね」
「天才かどうかは知らないけど、まあね」
背中に問うと、やはり背中から答えは返ってくる。
「やっぱり、何か特別な一族とか、お家なの?」
「さあ……どうだろう」
首を捻ると、いつもはマフラーに隠された首が少しだけ見えた。はたけくんは色白だなぁ。髪も白い銀色だし、とてもきれいな色で作られている人だ。
「リンも、そうなのかな」
「リン?」
そこではたけくんは初めてこちらを振り返った。といっても、顔を少しずらしただけで、見えたのは横顔だ。
「オビトと一緒に修業するようになってね。ほら、オビトって、うちは一族じゃない? うちは一族って、木ノ葉じゃ知らない人はいないくらい有名でしょ」
「そうだね」
「はたけくんも、お父さんはすごい人みたいだし、はたけくんだって、すごい生徒だって、天才だって、先生やみんなからも言われてて」
里の誰もが知っている、二人のプロフィール。名の知れたうちは一族。有名らしいはたけさんの息子。立派な血筋。立派な肩書き。
「わたしの家は、何でもない家なの。お父さんもお母さんも忍で、お兄ちゃんも忍なんだけど」
「兄弟が居るんだ」
「うん。一人。だけど、何でもない家だよ。特別な力も、一族に代々伝わるものも、何もない」
中忍の両親と、わたしと入れ違いでアカデミーを卒業して、今は下忍になった兄。
特に秀でた力はない。木ノ葉の額当てがなければ、一般の人の中にすんなり溶け込めちゃうくらい、フツーのフツーの家。
「それで、なんだか、わたしってオビトの傍に居たら、変かなぁって考えちゃって」
フツーのフツーのわたしが、“あの”うちは一族のオビトの隣に立つって、どうなのだろう。うちは一族と修業しているのが、フツーのフツーのアカデミー生って、いいのかな。
「リンはね。リンは、すごくピタッとくるの。『相応しい』っていうの? リンはすごく、オビトと、はたけくんのところに居ても、いいの」
リンは、とてもよく二人に馴染む。オビトはリン、リンって、リンをお姉さんみたいに慕っている気がするし、はたけくんだって、リンとは気心が知れているからか、他の女子と喋るときよりも、少しだけ柔らかい雰囲気がある――ように見える。勘違いかもしれないけれど。
「だからリンも、特別な一族なのかなぁって」
特別な人たちと釣り合うリンも、また特別なのかもしれない。
そんな風に考えてしまうことは、おかしいことだろうか。
「わたしは、みんなと居ていいのかなぁ、って……」
うちは一族のオビト。
はたけさんの息子のはたけくん。
そして、二人に釣り合うだけの魅力がある、もしかしたら何か特別な一族かもしれないリン。
この三人が居ると、とても見栄えがいい。ピタリとはまる。それ以上いらないし、それ以下になってもいけない。
もうオビトもリンも居ないのに、はたけくんと三人で居る光景を見たときのように、また胸が苦しくなる。
「リンのことは、軽くだけど知ってるよ」
顔を前に戻したはたけくんは言いながら、さっき指し示した突き当りにぶつかると、右へと曲がる。
「でも、教えるつもりはない。そういうのは本人に訊くべきでしょ」
グサッと、苦しかった胸にさらに杭が埋め込まれたみたいに、一瞬息ができなくなった。
わたしは今、何をしていたのだろう。
本人が居ないところで、こそこそと嗅ぎまわるようなことしていた。
そんなつもりはなかったけれど、他の人から見たら、わたしはきっとそうだった。
「忍は情報を取ってくるのが仕事」
その通り。はたけくんが言うように、忍者というのは、教えてもらうのではなくて、情報を取ってくる側だ。
恥ずかしい。はたけくんはきっと、わたしにガッカリしただろう。そもそもガッカリするほど、わたしに何かいい感情を持っていたかも怪しいけれど。
大失敗だ。テストで赤点を取ったときよりも、丑の印が難しくてやっぱり術を発動できなかったときよりも、それで他の男子に馬鹿にされるときよりも、大きな大きな失敗だ。
頭の中には、リンに対する申し訳なさと、はたけくんに対する恥ずかしさで埋められているけれど、体が覚えているとでもいうのだろうか、家の前に着くとわたしの足はぴたりと止まった。
「家、ここ?」
足を止めたはたけくんが、わたしの家と表札の『かすみ』という文字を見やって訊ねる。わたしは黙って、頭を縦に振った。
「じゃあね」
ひらひらと、はたけくんは手を振る。さっきまで歩いてきた道を引き返すはたけくんに、わたしは何にも返せなくて、家の塀に取り付けている、郵便受けに頭をくっつけた。鉄でできているので、触れるとひやりとして、背筋がゾクゾクする。
はあ、とため息をついた後、ようやく郵便受けから頭を離して、家へと入る。母が夕飯を作っている音が一旦止まり、「おかえり」と声がする。
「……ただいま」
「サホ? また何かあったの?」
台所に立つ母は、わたしの力のない声を感じ取り、持っていた包丁を置いてわたしの前に来ると、目線を合わせるようにしゃがんだ。少し前に泣いた姿を見せてしまったので、母はまた何かあったのかと、純粋に心配してくれている。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
呼びかけると、母からは優しげな声が返ってきた。
「うちって、何か特別なものある?」
「特別なもの?」
「うちは一族みたいな写輪眼とか……そういうのを持ってたり」
本当はわたしの家も、『かすみ一族』という、実は特別な力を秘めた一族かもしれない。父も母もわたしに伝えていないだけで、例えば時が来たら教えるつもりだったとか、あまり他人に話してはいけない事情があって言っていなかっただけとか。
「ないわよ。かすみ家は、代々忍者の家系みたいだけど、そういう能力を持っているような、特殊な一族ではないわよ」
わたしの期待を、母はバッサリ切った。母はそういえば、忍刀を振るうのが得意で、自分よりもうまく扱うと父が褒めていた。包丁を持って台所に立つ姿の方が印象強くて、すっかり忘れていた。
刀を上手く扱うから、放つ言葉もまた見事な太刀筋なのだろうか。母の腕前を、こんな形で感じ取るなんて。
「そうだよね……」
やっぱりそうだ。わたしは、オビトたちとは違う。平凡な家に産まれた、平凡な子ども。
ほんのわずかな希望みたいなものは、音もなく割れて粉々になる。
「平凡なかすみ家だけど、サホは私やお父さんの特別よ」
母がわたしの両肩に手を添え、穏やかに微笑んで言った。母の愛情が、両肩から、耳から全身に伝わって、いつの間にか冷えていた指先をちょっとだけ温かくさせる。
「うん。ありがとう……」
母の愛情は素直に嬉しかった。わたしは何てことのない、平凡なアカデミー生だけれど、この家の中では特別だ。わたしは女子生徒Aでも、通行人Bでもなくて、『かすみサホ』という、両親にとってたった一人の娘だ。
これ以上を望むのは、よくないって分かってる。『分不相応』って、この前習った四字熟語は、こういうことを指すんだ。
でも、リンは?
リンは、やっぱり特別な一族なのかな。
だけどもし、特別な一族じゃなかったら?
そうしたら、どうしてリンだけが、オビトやはたけくんの、特別なのだろう。