最果てまでワルツ | ナノ
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 アカデミーから出てきてしまったけれど、そのまま家に帰る気にはなれなかった。オビトやリンとよく修業する場所に行く気にもなれなかった。だって、会ってしまったら怖い。
 行き場を求めたわたしは、ふらふらと誘われるように、ほとんど入ったことがない公園に足を向け、空いていたベンチに腰を下ろした。公園ではわたしよりも年下の子や、恐らくアカデミーではない、普通の学校に通っている子たちが遊んでいる。
 ここで遊ぶ子は、普通の子たちが多いんだろう。やっぱりアカデミーに通う子とそうでない子とは、大きな隔たりがある。見慣れないわたしに、あれは誰だと不躾な目を向けてくる。
 ここも気まずい。でも、他に行く場所はない。
 ふう、と長い息を吐いた。行場を失くした野良犬や野良猫は、こんな気分なんだろうか。

「オビトと喧嘩したの?」

 唐突に横から声がして、急いで距離を取りつつ相手を確かめると、三白眼とマスクが特徴的な顔がすぐ傍にあった。

「は、たけくん……」

 思いがけない相手が、いつの間にかベンチの空いているスペースに座っている。はたけくんの気配も、座ると言う動き自体も、まったく察せられなかった。

「朝から変だったよね。いつもオビトと話してるのに、全然話しかけないし、顔も見ないし。ま、それはオビトの方もだけど」

 驚きすぎて、はたけくんがどうして隣に座っているのかもまだ飲み込めていないわたしに、はたけくんは構わず話を続ける。『オビト』という名前に、胸がズンと痛くなった。

「泣かされたの?」

 三白眼が細くなって、わたしの顔をじっと見た。両手で目元を隠してみたけれど、はたけくんはわたしの目が腫れていることにすでに気づいているのだから、今更ではあった。

「違うよ。これは……自分がちっぽけな人間だなって思って」

 オビトに泣かされたんじゃない。オビトを傷つけた、考えなしの自分に腹が立って、情けなくて、泣きたくなってしまった。

「ふうん。自分のために泣いたんだ」
「そっ……そうかも。自分の……ため、かも」

 否定したかったけれど、それはできなかった。その言葉はわたしの中にストンと入ってきて、拒絶する様子もなく落ち着いたのだ。
 はたけくんの口から言われることで、ようやく諦めがついた。昨日からわたしは、オビトにいやな思いをさせたことに、オビトに嫌われることに、泣いていただけなんだ。

「だろうね。オビトはバカだけど、友達を泣かせる奴じゃないよ」

 はたけくんは事もなげにそう言った。びっくりした。はたけくんはいつもオビトにきつい物言いをするから、オビトのことをそんな風に見ているとは思っていなかった。

「ま、その分、自分で泣いてるけど」

 自分の腿に肘を置いて頬杖をつくと、呆れてみせる。これは普段のはたけくんっぽい。はたけくんがオビトのことをよく知っている風に言うから、オビトとどんな関係なのか気になってしまう。

「はたけくんとオビトは、いつから仲が良いの?」
「仲が良い……」
「だ、だって、アカデミーに入る前から友達で、一緒に遊んでいたんでしょ?」
「……まあね」

 『仲が良い』に眉を寄せ、首を傾げてみせた。仲が良いというのは、はたけくんにとっては不服なところなんだろうか。でも、友達だったのだろうと訊けば、それは否定しなかった。

「アカデミーに入る、少し前からだよ」
「そっか」

 わたしはアカデミーで初めてオビトに会った。出会ってから、まだ半年も経っていない。
 はたけくんは、わたしが知らないオビトをたくさん知っているんだろうな。どこに住んでいるかとか、どんな遊びが好きだったとか。

「わたし、オビトには、お父さんもお母さんももう居ないって、最近知って。それで、そんなつもりはなかったんだけど、オビトに……同情することしちゃったみたいで……」

 最近知ったから。
 最近覚えたから。
 そして何より、オビトが自分で、『家には誰もいない』と言ったから。

「ううん。ごめん、嘘。きっと、そんなつもりあった。オビトのこと、『かわいそう』って、思って……お饅頭、あげようとしたんだ」

 言い訳を並べて、オビトのせいにもしていてはいけない。オビトは何にも悪くない。あの時、お饅頭を差し出そうとしたわたしの意思は、わたしの無意識が促したものだ。わたしは、オビトを『かわいそう』だと思っていたんだ。

「お饅頭……?」

 湧いて出た『お饅頭』という単語に、はたけくんが不可解だと、声音と表情で訴える。

「道でおばあさんが腰を痛めて困っていて、オビトが声をかけて、背負って家まで送ってあげて。わたしはそれに付き添っただけなんだけど、おばあさんがお礼にってお饅頭を、わたしにもくれたの」
「あいつ、じいさんばあさんを助けるのが趣味だからな」

 呆れた言い方だったけど、何となく悪い感情は含まれていなかった。そこに、はたけくんはわたしなんかより、ずっとオビトのことを理解しているんだと、追いつけない絶対的な差みたいなものをまた見せつけられた気がした。オビトとリンが親しそうにしているときにも、似たような気分になったのを思い出す。

「お饅頭は、おばあさんを家まで背負ったオビトが貰うべきだと思ったから、オビトにあげようとしたの。そのときに、オビトは家に帰ってもご飯を自分で作らなきゃいけないから、だからこれもよかったら、って。そういう気持ちがなかったとは、言えない」

 お腹が空いているでしょう、さあお食べ。そんな風に捉えられても仕方なかったかもしれない。そしてそれは、オビトをひどく傷つけた。

「それで、オビトを、怒らせちゃったの」

 あのときのオビトの声を思い出すと、目元がじわりと熱くなって、視界がぼやけてくる。
 ああ、わたしはまた泣こうとしている。オビトに嫌われた。オビトに怒られた。それがつらくて悲しくて、はたけくんの言うように、わたしはまた、自分のために泣き出してしまう。

「怒ったって言うか、怖かっただけなんじゃないの」

 黙って話を聞いていたはたけくんが、ぽつりと零すように言った。

「……どう違うの?」

 あのときのオビトは、一言で表すなら不機嫌だった。そこから読み取れる感情と言えば、『怒る』とか『拗ねる』だと思う。『怒る』と『拗ねる』の違いが、わたしにはよく分からないけれど、わたしのイメージとしては、『拗ねる』というのは、小さい子が親に怒られて不貞腐れるものがあった。
 だからあのときのオビトが『拗ねていた』と表現することに違和感があるので、『怒っているんだ』と受け取っていたけれど、はたけくんは『怖がっていた』と言う。

「自分に同情したサホに怒ったんじゃなくて、サホにそう思われた自分がいやで、それを隠そうとしたのが、サホには怒っているように見えただけかもよ」

 わたしに怒ったのではない、自分自身がいやになった。
 頭の中ではたけくんの言葉を何回も復唱してみたけれど、いまいちよく分からない。

「オレも小さい頃に母親が死んで、ずっと父さんと二人だから、『お母さんがいなくて大変ね』なんて言ってくる大人がいるよ。オレは、決めつけてくる大人も鬱陶しいけど、いなくて大変そうに見えるのかな、って、そっちの方が気になった」

 はたけくん、お母さんがいないんだ。初めて知った。
 まだ十にも満たないわたしだけど、今まで自分の周りには、親がいないという子はいなかった。オビトと親しくなって初めて『親がいない子』に出会ったから、今でもわたしにとって、親がいないという事実は珍しい。

「オレは父さんと二人でも、別に大変とは思わないし、不幸とも思わない。だけど、それは周りから見たら『大変ね』って思われるものらしくて。なら、自分は『かわいそう』じゃなきゃいけないのか、ってね」

 淡々と喋っているのは、いつものはたけくんと変わりはなかった。怒っているとか、悲しんでいるとかもなくて、ただただ不思議そうだった。

「普通に暮らしてるだけなんだよ。母親がいなかったから、いないのを受け入れて、暮らしているだけ。オビトだってそうでしょ。普通に、一人で暮らしてるだけ。オビトにとっちゃ、誰も居ない家に帰ることも、自分で夕飯を作って食べて、自分で洗濯して掃除して、目覚まし時計をセットし忘れて寝たら、朝は誰にも起こしてもらえなくて遅刻するなんて、当たり前なんだよ」

 頭の中に、家の中で一人で暮らしているオビトが浮かんできた。
 自分でご飯を作って、一人で食べる。食べ終わったら洗って、今度はお風呂に。一人しか入らない浴槽にお湯を溜めて体を洗って着替える。干していた洗濯物を畳んで、明日の朝にゴミを出さなきゃいけないなら、その準備。そして真っ暗闇の中、布団に入って、目覚まし時計が鳴らなかったら遅刻して。

 自分以外の音がしない家に居るって、どんな気分なんだろう。
 自分しか食べないご飯を作って、自分しか入らないお湯を浴槽に溜めるって、どんな気分なんだろう。
 朝、誰にも起こしてもらえなくって遅刻するのって、どんな気分なんだろう。

 わたしには分からない。わたしは産まれたときからずっと、自分以外の誰かが家に居たし、母がご飯を作ってくれて、父と一緒にお風呂に入ったりした。夜、寝つけなかったり、怖い夢を見たら父の布団に入り込んで、いつまでも起きないわたしを母が起こしにきた。
 それがわたしの当たり前。
 でもオビトは違う。オビトにはオビトの当たり前がある。

「当たり前を『かわいそう』って思われて、自分が否定されたみたいで、怖かったんじゃない」

 はたけくんのその言葉で、わたしはやっと、オビトの気持ちが理解できた気がした。
 わたしだって、わたしの当たり前を『かわいそう』なんて思われたら、いやだよ。わたしはそれしか知らないのに、『かわいそう』なんて思われたら、そんなの、いやだよ。
 こんな、いやだって感じちゃうことを、オビトにしてしまった。
 ごめんね。ごめんなさい。
 オビトのこと、こんなにもひどく傷つけて、ごめんなさい。
 涙が止まらない。こんないっぱい、どこから出てくるんだろうと驚くくらい、拭っても拭っても、目から涙の粒が溢れてくる。肺が痛くて、しゃっくりみたいに喉がヒクヒクと動いて、呼吸も精一杯だ。

「カカシ! お前、なにサホを泣かせてんだ!」

 怒鳴るような声が聞こえて、わたしとはたけくんが公園の入り口を向くと、眉を吊り上げながら、こちらに駆け寄ってくるオビトが見えた。
 オビトははたけくんの前まで来ると、その胸元を掴んで、グイッと自分の方へと引っ張る。はたけくんは無理矢理に腰を上げさせられ、不愉快そうに目を細めた。

「ちょっと。なんでオレのせいなの」
「ここにはお前しかいないじゃねーか!」
「誰のことで泣いてるのか分かってんの?」

 ため息でもつきそうなはたけくんの態度に、オビトはもう殴りかかる寸前だ。険悪な雰囲気を悟って、公園で遊んでいた子たちも遊ぶのを止め、恐る恐るわたしたちの方を見ている。

「お、おび、オビト。ちがうの。はたけくんは、わるくない」

 止めなくちゃ。わたしのその意識は、自分の涙じゃなくてオビトの方に向いた。拭っていた手は、はたけくんの胸倉を掴むオビトに触れ、「はたけくんじゃない」と必死で繰り返した。
 わたしの訴えが届いたのか、はたけくんを掴むオビトの手から力が少し抜け、その隙を逃さず、はたけくんがオビトの手を払い除け、掴まれた胸元の、服の皺を整える。

「じゃ。オレは帰るから」

 オビトとわたし、両方に向けてそう言うと、はたけくんはその場から跳躍し、近くの木の枝へ降り立つと、そのまま木から木へと跳んでいき、いなくなってしまった。公園で遊んでいた子たちから「すげえ」と感嘆の声が漏れる。わたしは大分見慣れた姿だけど、アカデミーに縁のない子たちには驚く光景なんだろう。
 はたけくんが居なくなって、わたしとオビトだけが残された。オビトはわたしと目を合わせると、気まずそうに視線を足下へと向ける。

「サホ」
「ごめん。オビト、ごめんね」

 オビトに謝らなくちゃ。謝らなくちゃ。その気持ちしか浮かばなくて、わたしの口はずっと「ごめんね」を繰り返した。

「オレも、ごめん」

 わたしの謝罪の切れ目を抜けて、オビトもわたしに向けて謝った。
 今朝からわたしがオビトに話しかけないことで、きっとオビトは、昨日の別れ際のことを思いだして、自分の取った態度のせいで、わたしが話しかけてこないんだと考えたんだろう。
 それは確かにそうなんだけど、謝るのはオビトじゃなくて、わたしなんだ。わたしは首を左右に力いっぱい振って、オビトが止まる必要はないと訴えた。

「カカシに、泣かされたのか?」

 心配そうに、オビトが訊ねる。わたしはハンカチを持っていることを思いだして、湿っている目元を、しっかり押さえた後、

「違うよ。はたけくんは、わたしがオビトと喧嘩したのかって、心配してくれたみたい」

そう伝えると、オビトは、

「心配ぃ〜? あいつがぁ〜?」

と、信じられない様子だ。わたしもはたけくんとそう親しい仲じゃないから確定的なことは言えないけれど、わざわざ声をかけてきたのは心配してくれていたとしか思えない。そういえば、朝のときも、じっと見られていた。あのときから、わたしとオビトの様子がおかしいと気づいていたのかも。すごい洞察力だ。

「まあ……あいつも、友達は大事にする奴みたいだからな」

 不満そうではあるけれど、オビトははたけくんが心配してくれていた、という事実は認めるらしい。やっぱり、オビトとはたけくんは、なんだかんだ言って仲が良いんだ。

「オビトと同じだね」
「はあっ!?」
「オビトも、友達思いでしょ」

 はたけくんもオビトも、友達思いだ。はたけくんは、オビトとその友達であるわたしとの仲を心配してくれて、オビトはわたしがはたけくんに泣かされたのかと心配してくれて、本当に、二人は似ていないようで似ている。根っこの部分の、温かい人柄が一緒なんだ。

「わたし一人だったら、あのとき、あのおばあさんが腰を痛めて困っているなんて気づかなくって、そのまま通り過ぎていたと思う。オビトは友達だけじゃなくて、友達じゃない人も、みんなを大事にしてるんだね」

 わたしだったら気づかなかったろう。早く家に帰らなくちゃと、自分のことばかり考えて、自分の心配ばかりしていたに違いない。
 けれどオビトは違う。周りの人に目を向けられて、その人が困っていたり、助けを求めていると、何の躊躇いもなく手を差し伸べる。
 すごいと思う。みんながみんな、できることじゃないと思う。

「オレはさ。いつか絶対、火影になるんだ」

 頭の後ろを掻きながら、オビトは少しだけ照れた様子で、ボソッと口にした。
 火影。この木ノ葉隠れの里を治め、木ノ葉の住人を導き、守り、育ててくれる、大きな大きな柱。なりたいと言って、簡単になれるものではなく、皆から認められる人でなければなれない。

「そんで、オレがこの里を、里のみんなを守るんだ」

 バッと両手を広げて、オビトは溌剌とした笑顔で宣言する。その目に迷いなんてものはなくて、自分の目指すものだけしか映していない。

「それが、オビトの夢?」
「おう!」

 不安なんて微塵も感じさせないで、オビトは元気よく言い切った。
 オビトって、本当に、本当にすごい。「火影になる」なんて、気軽に言えるものじゃない。
 だけど、オビトなら、本当にその夢を叶えてしまいそう。今はまだ、写輪眼も開眼していないし、豪火球の術だってうまくできていないけれど、里のみんなを守ると言う意志は、火影と一緒だもの。
 いつか大人になったオビトが、火影の文字が入った羽織を着て背を向けている姿を、頭に思い描く。なんて素敵なんだろう。
 そしてわたしは、実に自然に、その隣に、大人になった自分も描いた。オビトの隣に。

 じゃあ、わたしは、火影に相応しいお嫁さんになる。

 そんな夢を浮かべてしまったわたしは、オビトのことが好きなのだろう。
 オビトはわたしのたった一人の男の子。
 わたしのたった一回限りの、初恋の男の子になった。



03 初恋

20180415


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