最果てまでワルツ | ナノ
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 受付所で偶然顔を合わせたヨシヒトに、アカデミーの講師を勤めることになったと教えられた。何でも、ヨシヒト自ら講師になりたいと、三代目や上役に申し出たらしい。
 特別上忍として認められただけあって、幻術使いとして里内でも名前は知られている。わたしたちはそれ以外の――つまりヨシヒト自身の言動がアレなので、有名なのだと思うけど。

「美しさには正しい教育が必要だと、サホを見て改めて思ったんだ。どんなに洒脱さがなくセンスのない子でも、時間と手間をかければここまで仕上がるのだから、やはり早い段階で美についてしっかり学ぶことが大事なんだよ」

 相変わらず失礼なことをズケズケと言うヨシヒトに怒りはない。この男はこういう人種なのだから、構うだけ無駄だ。
 わたしと入れ違いでもうすぐ任務に向かうため、受付所で仲間を待っていたというナギサですら、「ぶっとばす」といういつもの口癖を発することはない。相手にすること自体がもう疲れるので、「ぶっとばす」などのリアクションすら一切せずに流すのが一番だと、わたしたちはようやく悟った。長かった。十年もかかった。

「つまり、アカデミーの子たちに、ヨシヒトの美学を教えたいから講師になりたかったってこと?」
「もちろん」
「アホか。お前に求められてるのは幻術の授業だろうに」
「そうみたいだね」

 まるで他人事だ。ヨシヒトの頭の中には、アカデミーの子たちにいかにして自分の美学を叩き込むかしかない。本来の幻術の授業はちゃんとやるのだろうか。変な人間だけど、真面目ではあるから幻術の授業もこなすとは思うけれど、不安は尽きない。



 ヨシヒトのアカデミーでの講師生活が心配なのはさておいて、自分の望む場所で働けることになったのは良いことだ。祝い事だ。そういうことで、わたしたちは近々集まってご飯でも食べようという話になった。
 昔はほとんど一緒に居たから問題なかったけれど、任務を共にすることがなくなった今は、先日のガイたち同様、こうやってわざわざ時間と場を作らなければならない。みんな本当に忙しい身になったものだ。

 一応お祝いだから、何かプレゼントを用意すべきだろうと、まず先に二人で集合して贈り物を買いに行こうとナギサと話をした。
 わたしも二人から上忍祝いを貰った。共同購入したというかなりお高めの圧力鍋。忙しくて時間が取れずクシナ先生から習った煮込み料理がなかなか作れない、と言っていたのを覚えてくれていたらしい。『俺は豚の角煮』『僕は牛すじの煮込みね』とちゃっかりリクエストされたので、ちゃんと作ってあげた。
 ナギサと、お互いに良さそうな物を見繕っておいて、当日に相談して決めることになり、何がいいかと頭を悩ませていたら、あっという間にその日が来てしまった。



 髪は昨日の夜にしっかりトリートメントをして、肌に関してはそれよりもっと前から手入れに時間をかけた。出かける前にはもう一度シャワーを浴びて髪の癖を取ったあと、しっかり乾かして櫛を通す。
 この日のためにわざわざ新しく買ったのは、流行りの色の、定番の形のワンピース。もちろん皺はアイロンでしっかり取っている。
 いつもの倍の時間をかけて肌の下地を作り、慎重に目元や頬や唇に色を乗せていく。はみ出しは厳禁だし、濃すぎても薄すぎてもいけない。
 財布とポーチとハンカチくらいしか入らない小さなバッグを持って姿見の前に立てば、普段の姿から考えられないくらい、きちんと着飾ったわたしが居た。

「ふう……これで大丈夫だよね」

 事前にヨシヒトと予定を合わせた上で出かけるわたしは、いつもここまで手をかける。少しでも手を抜いたと思われるところがあると、ヨシヒトは会った瞬間にそれを見抜くし、会っている間ずっと文句を言う。別れ際まで言う。よくそこまで言い続けられるものだと思えるほど言う。
 面倒だ。ものすごく面倒だ。だけど、ここで頑張っておけば、面倒はこれだけで済む。ナギサからも「お前、頼むから手を抜いて来るなよ」と言われた。
 女のわたしばかりがこんなに手をかけるなんて不公平だけれど、着飾るのは単純に楽しくもある。ヨシヒトに感化されているわけではないけれど、きれいな格好というのは、やはり気持ちがいい。汚れのないヒールの高い靴を履くときの所作も、自然といつもより丁寧になる。
 玄関のドアを開け、鍵をかけ、部屋に張った結界に綻びがないか確認し終わると、廊下の向こうからカカシが歩いてくるのが見えた。
 進行方向にわたしが居ることに気づいたカカシは、その場でぴたりと足を止める。カカシの角部屋へ行くには、わたしの部屋のドアを通り過ぎなければならない。そこで止まる必要はないのに、カカシはわたしを見たまま動かない。

「なに?」

 いきなり制止したカカシに声をかけながら、使ったばかりの鍵をバッグに仕舞う。小さなバッグだから、うまいこと配置を考えて詰めないと留め具が閉まらない。

「いや……」

 わたしの問いへの返答は濁しながら、止まっていた足は再び動き、わたしと少し間隔を置いて、また止まった。

「出かけるの?」
「そう」

 訊ねられたので、正直に肯定した。時刻は夕時。里の家の多くが、食卓に並べる夕飯を作り始める頃だ。

「ふうん」

 相槌を打つカカシは、晒している右目だけでじろじろとわたしを見る。三白眼は幼い頃から変わらない。だけど身長はかなり伸びた。肩幅も広い。腕も太い。布に覆われている喉には、喋るたびに上下する喉仏もある。

 カカシも大きくなったんだなぁ。

 前にベランダで『コイヤブレ』の種を受け取ったときと違い、今度はわたしが、カカシの親戚になった気分だ。アカデミー時代からの付き合いだから、わたしたちは立派に幼馴染みという括りだろう。まあ里の同期なんて、みんな幼馴染みみたいなものだ。
 それはともかく、このマンションの廊下はそう広くない。人が一人悠々と歩けはするけれど、二人並んでだと窮屈だ。カカシの横を通ってマンションを出たいのに、カカシは堂々と真ん中に立つから邪魔で仕方ない。
 どいてほしいと告げる前に、カカシのもっと向こうから声がかかった。

「おい、サホ」

 振り返るカカシの壁から顔を覗かせると、階段への入り口辺りにナギサが立っていた。カカシよりも一回り大きな体は、年々医療忍者には程遠い屈強さを身に着けている。

「あれ? どうしたの? 待ち合わせしてたよね?」

 ナギサとは、この近くにある蕎麦屋の前で待ち合わせる約束だった。そこで合流して、それから里の店を巡って、ヨシヒトとの時間までにプレゼントを買う計画だ。

「待ってたけど、お前全然来ないじゃねーか」
「え? 18時集合でしょ?」

 さっき部屋の時計を見たときは、まだ18時前、長針は10を指していた。ここから蕎麦屋は歩いて五分だから、ゆっくりでも間に合う。

「は? 17時だろ?」
「違うよ。18時だよ」

 ナギサは鋭い目を細めながら、「17時だろ」と尚も繰り返す。どうやら時間を間違えて、17時前から蕎麦屋の近くで待っていたらしい。

「18時だよ」
「あークソ。どっちでもいい。早く行こうぜ」

 確かに。どっちが間違えていたのかは、最早どうでもいい。ヨシヒトとの待ち合わせまで、そうのんびりと買い物はできない。ここでどちらが間違っているか追求するより、プレゼントを決めないと。
 ナギサはわたしを置いて、とっとと階段を降りて行った。わたしも後を追わなくては。
 多少強引ではあるけれど、なるべくカカシの体に触れないようにと横を通り過ぎ――

「え?」

 通り過ぎようとしたけれど、それはカカシによって阻まれた。わたしの左腕を、カカシの左手が掴むので、階段に向かいたくても進めない。

「カカシ?」

 名を呼んでも、カカシは動かない。わたしの位置からは、カカシの左側しか見えない。つまり、何も見えないのだ。マスクや額当てで覆われていて、何も分からない。

「ちょっと、放して」

 ナギサと合流しないといけない。待ちくたびれているナギサを、これ以上待たせたら機嫌が悪くなる。それもヨシヒトと同じで面倒だ。
 呼びかけているのに、カカシはやはり動かなくて、それどころか、わたしの左腕に込める力がどんどん強くなってきた。痛い。腕の血管を止めるどころか、骨まで軋んできた気がする。

「カカシ……痛いっ……」

 痛さに声を上げると、ようやく腕が解放される。パッと離された腕を、再び掴まれないようにと体に引き寄せた。
 何だと言うのだ、とカカシの様子を窺うけれど、頑なにこちらを向かず、左側しか見せないから、分かりようがなかった。
 変だ。明らかに変だけど、ナギサを待たせていることを思い出して、カカシを置いてわたしは小走りで廊下を抜け、階段を下りた。まだ残っているような痛みに引かれて、掴まれたところを確認すると、数本の赤い痣がしがみつくように残っていた。



 手をかけた甲斐あって、ヨシヒトはわたしの格好について文句を言うことはなく、食事の間も気疲れせずに済んだ。
 ナギサと相談し合った結果、ヨシヒトへの贈り物は、忍具専門店で購入したベルトにした。忍服を着る際にヨシヒトはベルトを着ける。専門店に並んでいただけあって、ただのベルトではなく、とても丈夫で色々と応用が利くらしい。
 わたしたちとしては、『これを着けて身を引き締めろ』という皮肉めいた気持ちも込めて贈ったわけだけれど、本人はそんなことを察することなく、ニコニコと嬉しそうに受け取ってくれた。本当に身も気も引き締めてほしい。
 お店で食事をしながら、お互いの近況を話し合う。ナギサは上忍師とは別で、医療忍者志望の下忍の子たちへ教える立場にあり、あちこちで『生徒』に会うので、下手なことができないと息苦しさを嘆いていた。ナギサの方がアカデミーの先生になればよかったんじゃ、と思ったけど口にはしなかった。

「サホは? ご近所付き合い、少しはマシになった?」

 わたしの隣に座って、大根おろしと共に厚焼き玉子を口に運ぶヨシヒトが、隣に住むカカシとの関係に突っ込んできた。

「まあ、ね。そこそこ」
「じゃあ今度はカカシも誘うか」
「だから、そういう流れじゃないでしょ!?」

 確かにカカシとの関係は、前よりはギスギスしていない。複数の人から告白されたときや、上忍になる前後、任務の途中で海に行ったり、コイヤブレの種をもらって、隣人になってからはそうやって関わる機会も増え、面と向かって会話をするようにはなった。この間なんて、隣に座って焼肉を食べた。数年前と比べたら段違いだろう。
 また時が経てば、この関係も少しは変わり、昔のように近しい仲に戻るだろうか。最近、よくそんなことを考える。
 戻れるような気がするような、しないような。よく分からない。一度割れた茶碗が、破片を集めて修理したとしても、ヒビは残るし、『割れた』という事実は消えない。わたしがカカシを憎んで恨んだ事実がある限り、子どもの頃のような無垢な関係にはなれない。
 だからきっと、完全には戻れない。昔と似たような距離に立てても、昔と同じにはなれない。

 そういえば、何だったんだろう。

 通り過ぎようとするわたしの腕を掴まえたカカシは、何がしたかったのだろうか。言いたいことがあったのなら言えばいいのに、黙ったままだった。
 カカシがわたしに優しいことや、オビトの代わりにわたしを守ろうとしてくれていることを知ったように、新たなカカシを知ることが多くなった。
 意図は分からなかったけれど、わたしの腕を掴んだカカシも、新たなカカシという意味では、また違う一面を知ったのかもしれない。
 昔はやたらクールだったなぁと、あの頃のツンツンとしたカカシを思い出すと不思議と口元が緩んだ。



 ヨシヒトやナギサと別れたのは、日付が変わる30分前。二人は送ると言ったけれど、仮にも上忍だし、慣れた里の中だから平気だと断って、一人でマンションに着いた。
 階段を上がり、廊下を歩き、部屋の鍵を開ける。結界には今日も異常はない。
 靴を脱いで、あまり履かないヒールですっかりくたびれた足を床につけると、歩くたびにぐにゃぐにゃして変な気分だ。
 解放感を覚えながら照明のスイッチを押して、真っ直ぐソファーに向かい腰を下ろす。リビングの窓にはレースのカーテンだけで、明かりで外から部屋の中が暴かれているだろうけれど、一刻も早くソファーに座りたかったため、厚いカーテンを引く気にもなれなかった。
 誰も居ないわたしだけの部屋は、冷蔵庫の起動音が響くだけ。

 シャワー浴びたいけど、面倒だな。

 化粧は落とさないといけない。ならいっそシャワーを浴びたい。でも億劫だ。ソファーに横たわって目を閉じる。
 しばらくそうしていて、このまま眠ってしまいそうだったけれど、外から放たれている殺気で目を開けざるを得なかった。
 体を起こし、窓の外に目をやる。白くぼんやりとした薄いレースのカーテン。その先に人影はない。
 この殺気は、ただの主張だ。存在に気づけというアピールだ。
 無視しようとまた体を横にするけれど、放たれる殺気は収まるどころかどんどん強くなる。

「ああ、もうっ」

 ソファーから腰を上げて、レースのカーテンを端に寄せ、掃き出し窓を開ける。ベランダ用のサンダルをつっかけて外に出て、手すりに体を寄せた。
 隣との境界線である壁の向こうは、角部屋のベランダ。そのベランダに、手すりに背を預けているのは、角部屋の主であるカカシ。見た瞬間に悪寒が走った。氷の塊みたいに、冷え冷えとした空気を辺りに広げている感覚に、思わず喉が鳴る。

「何なの? こんな夜中に、そんな殺気出して」

 殺気を放っているのは他でもないカカシだ。里一番とも言われているエリート忍者だ。そんな奴が放つ殺気なのだから、浴びる方はたまったものではない。

「ねえ、聞いてるの?」

 聞こえてはいるはずだけれど、カカシはわたしを無視したままだ。腹が立って、隣との境界線である壁に手を突いた。距離が近くなるけれど、腕を伸ばしてもその体には届かない。
 私服のカカシは、いつも大体同じ格好をしている。鼻から下はマスクで覆い、首も覆うくせに、両腕は剥き出しで、左腕に彫った暗部の刺青が見える。俯いているので、額当てを外していても前髪が邪魔で目元が見えない。だからまた、腕を取られたときと同じく、表情が窺えない。
 もう一度声をかけようとしたそれより早く、やっとカカシの顔がこちらを向いた。左目は閉じられ、開かれている右目は、ひどく冷たかった。
 久しぶりに見た、闇色の目。
 驚いたのと、冷たさに本能が怯えてしまい、グッと唇を引いて堪えた。

「オビトオビトってうるさい割には、あっさり鞍替えするんだね」

 目と同じくらい冷えた声色で、カカシは言った。

「は……?」

 鞍替え? 何の話だろう?
 意味が分からなくて、間抜けな声しか出ない。
 何を言っているんだこの男は、と反論したくなったけれど、どう言えばいいのか浮かばなかったし、何よりカカシのその目と声から、尋常じゃないほどの不機嫌さが伝わってくるので、自然と喉は絞られた。

「班の元メンバーだったよね。オビトにあれだけ執着してたくせに、サホって案外器用なんだ」

 馬鹿にした口調は、ヨシヒトやナギサのことを指している。
 ヨシヒトとナギサ。

 あ、もしかして。

 今日の夕方のことを思い出す。
 もしかして、カカシはわたしが、ナギサと恋仲だと勘違いしているのだろうか? 待ち合わせて二人で出かけるとなると、デートの類と思うのも無理はない。
 だから、オビトを好きだったはずなのに、あっさり他の男と付き合って鞍替えするような、尻の軽い女だと言いたいのか。

「あの種をナルトにやったのも、もうお前にはいらなかったんだよな。咲かせる必要なんて、とっくになくなってた」

 種――コイヤブレの種のことだろう。咲かせる必要がない? 何を言っているのだろう。ナルトに分けたのは、クシナ先生との繋がりを分けたかったからだ。いつかそのときが来たら、わたしだって種を植え、育てて花を咲かせる気でいた。決していらなかったわけじゃない。すぐ傍の引き出しに、今でも大事にとっておいているのに。

「ばっかじゃないの」

 力を込めて言ったら、思った以上に低い声になった。

「ナギサと待ち合わせしてたのは、ヨシヒトのお祝いのためよ。三人で集まる前に、ヨシヒトへのお祝いを買うために先に二人で待ち合わせしてただけ」
「……その割には、随分気合の入った格好してるね」

 事実を述べたのに、カカシはまだ何か気に入らないのか、わたしの格好にまで言及してきた。下ろし立てのワンピースに、普段より少し気を遣った化粧。利便性より見た目を取った小さなバッグに、磨かれた華奢なヒールの靴。ただ出かけるというだけでは、こんな格好はしない。

「ヨシヒトがいっつも、わたしに『きれいにしろ』ってうるさいの、知ってるでしょ。ちょっとでも手を抜いた格好をすると、顔を合わせている間ずーっとうるさいから、だから最初からバッチリ決めていかないと面倒なの」

 気合が入っているのは当然だ。ヨシヒトに会う。それだけで十分な理由になる。
 カカシもヨシヒトやナギサとの関係は長い。わたしが下忍になった頃から顔を合わせているから、二人の人となりは知っている。ヨシヒトのあの美に対する独特の意識の高さも、わたしに熱心な美の指導を続けていることも周知のはず。
 わたしの説明に目を丸くしたカカシは、本当に小さな声で「え」とか、「いや」と、上擦った声を上げる。
 やっと自分が勘違いしていたと気づいたらしく、放っていた殺気はすっかり引っ込んで、珍しく動揺しているのが手に取るように分かった。
 勘違いに気づいて、殺気が消えたのはいい。代わりに、今度はわたしの中にどろどろとした怒りが湧いてくる。無意識に顔の、特に目元辺りに力が入る。

「あんた、わたしのこと馬鹿にしたのね。オビトのことを引きずってるくせに、他の男と付き合う、尻軽な女だって」

 わたしの言葉に、少し伏せていたカカシの顔が、弾かれたように上がる。閉じていた左目も開いて、色違いの目は泳ぎつつも、時折わたしを捉えては居心地悪そうに逸らすのを繰り返した。

「そんなつもりじゃ……」

 カカシは弱々しく否定したけれど、それが真実だと思えるはずがない。あれだけ殺気を放って、わたしに『鞍替えした』なんて言ったんだ。
 なのに、『そんなつもりじゃなかった』? 冗談じゃない。

「オビトを忘れられるなんて、そんなことできるわけない!」

 悔しくて悔しくて、それだけ言って、手すりや壁から体を離し、部屋の中へ戻った。背後からわたしを呼び止めようとする声がかかったけれど、わざと乱暴な音を立てて窓を閉め、カーテンもすべて引いた。有りっ丈の力でカカシを拒絶した。
 悔しい。悔しい。あいつ、わたしを、馬鹿にした。
 ずっと前から知ってるくせに。ずっと傍で見てきたくせに。
 ソファーに顔を伏せて、湧き上がる怒りと悲しみから漏れそうな声を抑えつける。額を押し付けた左腕の、まだ薄れない数本の痣を見ると、涙が溢れてくる。

「できるわけない……」

 どうすればオビトを忘れられるというのだろう。
 オビトが死んで八年近く経つ。それでもわたしの心の中には、ずっとオビトが居る。
 わたしに手を振るオビトは、オレンジ色のゴーグルをつけて、小さな傷をこさえて、火影になるんだって、今も言っている。


「オビトオビトってうるさい割には、あっさり鞍替えするんだね」


 記憶の中のオビトが煙のように消えて、背の高いカカシが、冷たい目でわたしを蔑む。
 腹が立つ。鞍替えだって。サホは器用なんだ、だって。
 ばかじゃないの。そんなわけないのに。
 腹が立つ。悔しい。悲しい。
 あんな奴、もう思い出したくもないのに。笑うオビトを思っていたいのに。どうやってもあいつの顔が、言葉が、痣が、離れない。



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20181124


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