PRESENT | ナノ



The moment you like things you hate



「名無しーーー!」

お母さんの私の呼ぶ声で目が覚めた。
ベッドから気だるく起き上がると自分の部屋を出て洗面所で顔を洗う。

「たまには自分で起きてくれたら助かるのに。」

ダイニングに入るとテーブルの上に朝食を並べるお母さんと新聞を広げて座るお父さんの姿が目に入る。そして、並べられたお皿の上に乗せられた物も。

「また魚...?」
「毎日毎日なんなのこの子は。うちは魚屋なんだからそんな事言わないでちょうだい。」

昔は喜んで食べてたのに、と呆れたように言うお母さんを横目にしつつ椅子に腰を下ろす。出そうになった溜息を引っ込めながらお皿の上にある焼き魚を見つめた。




私がこんなにも大好きだった魚、そして海が嫌いになったのは10歳の頃。
お父さんの仕入れの様子を見学するのが小さい頃からの楽しみだった私はいつもの様に港へ出かけた。

キラキラと揺れる波に惹かれて海を見つめていたその時、後ろから背中を押されて私は海へと落っこちてしまった。
突然の事でパニックになった私は海の中で必死に泳ごうともがいた。そして追い打ちをかけるように私の視界に大きな魚がこちらに向かって来るのが見えた。
次の瞬間、漁師のおじさん達に助けられた私は傷一つ無く無事にお父さんの元へ帰って来れた。
後から知ったが、私を海へ落とした犯人はたまたま港に遊びに来ていた街でも有名な悪ガキ集団のリーダーだった。その日、その子の両親は私と私の両親に必死に頭を下げて謝ってきた。

だが私の海と魚に対する恐怖心は拭える事は無かった。

店に並べられた魚は色とりどりでキラキラしていて宝石みたいだった。魚を食べるのも大好きだったのに、少しのきっかけで物の見方がこんなにも変わってしまうなんて。
それでも私は魚屋に生まれた宿命を全うしてきた。


朝食後、開店準備を終えボーッとそんな昔の事を考えているとお父さんの声が店内に木霊した。

「いらっしゃい!」

お父さんの声にハッとして顔を上げるとお客さんが入ってきており、私も後に続くようにいらっしゃいませ、と小さな声で言った。
そのお客さんは常連さんで近くに飲食店を経営しているコックさんだった。

「おやっさん、あの話聞いたか?」
「ああ、一昨日から来てるって話だろ。」
「一昨日は八百屋、昨日は肉屋、今日は此処に来るんじゃねえか?」
「だと良いけどなあ。」

お父さんと常連さんが何の話をしているのか分からず、常連さんのクーラーボックスに購入してくれた魚を入れながら私は眉をひそめた。何が来ると言うのだろうか。

「はい、どうぞ。」
「おう、ありがとうな名無しちゃん!じゃあ、おやっさんまた!」
「はいよ!どうも!」

常連さんが店を後にすると、私はお父さんに問いかけた。

「お父さん、何の話してたの?」
「ん?ああ、大量の食材を買っていく青年が一昨日からこの街に現れたって話だ。」
「何それ。」
「多分どこかのコックなんだろうがな。八百屋の旦那も肉屋の旦那も見た事無え顔だって言ってるから、この街の人間じゃない事は確かだろうな。」

八百屋、肉屋、と来れば次は魚屋か...
確かに大量に買ってくれるならそれはうちにとって良いことだ。
店の奥でお刺身をパック詰めしているお母さんからそれを受け取り、店に並べていた時。

「いらっしゃい!」
「いらっしゃいませ、...?」

店に入ってきたのは金髪にスーツ姿の煙草を咥えた男性だった。異様なその姿とぐるぐるとした眉毛の男性に私は再び眉をひそめた。

「この街は野菜も肉も魚も良いものが揃ってるなあ。」
「ありがとうございます!」

異様な雰囲気にそさくさと店の奥へと逃げるように入るとお母さんの元へ駆け寄った。

「お母さん、変な人来てるよっ。」
「何よ変な人って。」
「眉毛がぐるぐるしてて...」
「ダメよ、人を見た目で判断しちゃ。」
「だって...!」

淡々と作業をするお母さんは私をちゃんとお手伝いしてちょうだい、とあしらった。
売り場に戻りたくないな、と思っていたのも束の間、名無しー!と私を呼ぶお父さんの声が響いた。
恐る恐る売り場に戻ると大量のクーラーボックスを広げるお父さんと男性の姿があった。

「ほら!お前も手伝え。」
「は、はい...」

どれだけ買うの...?と驚きながらクーラーボックスを手に取った。もしかして、さっき話していた食材を大量に買っていく青年か?と男性の隣に立ち、お父さんに言われた種類の魚を入れていく私に男性が口を開いた。

「な...!!こんな素敵なレディが居たなんて...!!」
「え...?」
「ここの娘さんかい!?」
「はい...」

目をハートにする男性に少し戸惑いを隠せないで居ると、お父さんからまさかの言葉が発せられた。

「名無し、この量を1人で運ぶのは大変だ。港に船を停めてるらしいからお前、運ぶの手伝ってあげろ。」
「は!?」

何を言ってるんだこの父親は。こんな得体の知れない男と自分の娘を2人きりにするかね普通。大丈夫だ、と男性が断ると良いから、と言うお父さんに行け、と目で言われているのが分かった。

「...分かりました。」
「いや大丈夫だ、本当に!こんな可愛いレディに荷物を持たせるなんて俺には...!」
「店主からの指示なので。」

さっきから何なんだ、素敵とか可愛いとか。
軽々しく言う男に少し嫌悪感を抱いた。
男の言葉を躱し、クーラーボックスを半分持つと私は店を出た。

「港までご一緒しますので。」
「いやだけど...」
「このくらい私にとっては軽い方ですのでご心配なさらずに。船まで案内お願い出来ますか。」
「...分かった。」


やっと折れてくれた男と大量のクーラーボックスを抱えて2人で歩き出す。
港までの道中こっそり男の顔を盗み見るが、髪で目が隠れて表情があまり分からない。

「...名前を聞いても良いかな?」
「え、」

突然私の方へ顔を向けてきた男にびっくりしつつ目線を足元に移し小さな声で名無しです、と呟いた。

「名無しちゃんか〜!素敵な名前だなあ〜!俺の名前はサンジだ。手伝って貰っちまって本当にありがとうな。」
「いえ、別に...」

時折目がハートになる男...サンジさんに私は気になる事を質問した。

「こんなに魚を買って、どこかでレストランでも経営されてるんですか?」
「ん?ああ、いや。これは一緒に冒険してる仲間に食わせるための食材だ。」
「冒険...?」
「ああ、冒険だ。」

冒険ってどこを、と聞こうとした時、サンジさんがあれが俺の船だ、と指をさす。その方向へ視線をやると大きな船が停まっているのが見えた。
港、というより少し外れた所に停められたそれは海を冒険するにはうってつけのものだった。

「あれって...」
「ああ、海賊船だ。」
「か、海賊...!?」

まさか、海賊だったとは。私は今まで海賊と2人でここまで歩いて来たというのか。
驚きを隠せない私に黙っててすまねえ、とサンジさんは困ったような顔で言った。
しかし船まで運ぶようにお父さんから言われたからには最後まで仕事をしなければ、と私は止めた足を再び動かした。

「名無しちゃん、」
「船まで運びます。仕事なので。」

サンジさんの呼びかけにそう答えると止められないと分かったのか、彼もまた歩き出した。

船の傍に着くとその大きさに圧倒されそうになった。海賊船を見るのは初めてでは無いがこんなに近くで見るのは初めてだ。帆は畳まれており、どこの海賊団かは分からない。

「ここまでで大丈夫ですか?」
「ああ、本当に助かった。ありがとうな。」
「じゃあ、私はこれで。お買い上げありがとうございました。」

クーラーボックスを下ろし踵を返して店へ戻ろうとした時名無しちゃん、と名前を呼ばれ、その声に振り返ると彼は口を開いた。

「君は、魚が嫌いかい?」
「...嫌いです。」
「......」
「変ですよね、魚屋の娘なのに。」

この人は本当に海賊なのだろうか、柔らかなその口調に思わず口を滑らせてしまう。

「魚も、海も嫌いです。...嫌いというより怖い、の方が正しいかもしれません。」

サンジさんの顔を見るのが怖くて、だからと言って海を見るのも怖くて。地面に視線を下げる事しか出来ない。
コツコツ、と歩いてくる足音に視線を上げると私を見下ろすサンジさんと目が合った。

「変なんかじゃねえよ。ただ、あんな良い魚を見極められるオヤジさんを持ってるのに勿体無えな、と思ってよ。」
「...そうですね。」
「将来は、あの店を?」
「継ぎたいですけど、どうですかね。私には無理かもしれません。」

昔は絶対私が店を継ぐと決めていたのに。
また魚を、海を、好きになれたら良いのに。

「俺がこんな事言うのは余計なお世話かもしれねえが...君にも見る目があると思うぜ?」
「見る目...?何を、ですか?」
「俺が買ったこの魚。君はあの店の中の物から適当に選んでくれたのかも知れねえが、どれもあの中で1番良いものだ。」

料理のしがいがある、と笑うサンジさんを見上げながら私はその言葉に目を見開いた。そしてその笑顔に少し心臓がドク、と鳴った気がした。

「俺が海賊になって冒険してるのには夢があってよ。オールブルーっていう世界中の海の魚が集まる場所を見つけてえんだ。って、名無しちゃんは興味無えか。」
「知ってます...」
「え?」
「オールブルー、私も知ってます。」

私の言葉に次はサンジさんが目を見開いた。

魚が大好きだったあの頃、本に載っていたその場所に私も行ってみたいと思っていた。
まさか実在するか分からないその場所へ本気で行こうと思っている人が居るだなんて。

「私、昔は魚も海も大好きだったんです。オールブルーもあると信じていました。...サンジさんが見つけてくださる事を祈ってます。」

今度こそ店に戻ろう、と思った瞬間長い腕が伸びてきて私の両肩掴んだ。

「オールブルーを見つけたら真っ先に名無しちゃんに報告しに来る。だから...」
「...?」
「待っててくれねえかな...!?」
「待っ...!?」

待っててって、何かそれって...

「サンジさん、それどういう意味で言ってます?」

私のその言葉にポカンとすると、次第にサンジさんは顔を赤らめた。その先程目をハートにしていた彼とは打って変わった表情にまた心臓が高鳴った。

「あ、いや、その...!」
「...待ってて良いんですよね?」
「え、」
「私待ってます。迎えに来てくれるサンジさんのこと。」
「...名無しちゃんこそ。それ、どういう意味で言ってるんだ?」

未だに掴まれたままの両肩が熱い。
私を見下ろすサンジさんに全てを持っていかれそうになる。こんな気持ち、初めてかもしれない。

「こんな気持ちにさせた責任とってくださいって意味です。」

悪戯に笑いながらじゃあ、とサンジさんの両手を振りほどくと、私の名前を呼ぶ彼の声を聞きながら私は店へと走り出した。



「こりゃあ早く見つけねえと...だな。」

私の後ろ姿を見つめながらサンジさんがそう呟いた言葉はもう私の耳には届いて居なかった。


どこかに貴方が居ると思えば、この海も少しは好きになれそう。そして魚を見る目も変えてみようかな。
芽生え始めそうなこの気持ちを貴方に伝えられるその日を待ちながら。




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あお様へ
この度はリクエストしてくださり誠にありがとうございます!
海洋恐怖症の夢主という事で、仲間設定の方が良いかなあとか色々試行錯誤した結果このような設定にさせて頂きました。仲間設定の海洋恐怖症の女の子もいつか書いてみたい...!
気に入ってくださるか分かりませんが、この作品をあお様に捧げます!
ありがとうございました!





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