LONG "To the freedom." | ナノ



32



いつもと変わらない朝食の風景がそこにはあって。昨晩あれ程どんな顔をして会えば良いのかと悩みに悩んだ彼に恐る恐る挨拶をしてみても、おはよ〜う!名無しちゃあん!といつもと変わらない返事が返ってきた。
そして私だけが意識しすぎていた事に恥ずかしさが込み上げてくる感覚がじわり、と全身を駆け巡る。


「(私ってやっぱり子供だな…)」

サンジさんがあんな事で私への接し方が変わるかもしれないだなんて、そんな事を過剰に考える私はまだまだ子供だと自覚させられる。それと同時に彼は女性とあのような状況になる事に免疫があるのであろう事を改めて思い知らされる。

何故こんなにも頭の中が彼で埋め尽くされてしまうのか、それは気づいてはいけない事だと何処かで感じる自分が居た。






朝食を終え、雲ひとつ無い青い空を洗い終えた洗濯物を運びながら見上げた。心地よい風に目を細める。未だにメイド根性は染み付いてしまっているようで、こうして家事をしている時は何故か心が落ち着く。

よし、と洗濯物を干し始めようと手を伸ばした瞬間後ろから足音が聞こえて振り返るとそこにはブルックさんが立っていた。


「ブルックさん。」
「いつもお疲れ様です、名無しさん。お手伝いさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「え?い、いや!大丈夫ですよ!お気持ちだけ頂いておきますので。」
「相変わらずお優しいですねえ。あーいや、実はちょっと名無しさんとお話がしたい口実だったりするんですよねー!ヨホホホ!だから少しだけ、ダメですか?」

私と話がしたい、だなんて言われてしまったら断る事なんて出来なかった。
ブルックさんの言葉に驚くと同時に家事は1人で黙々とするのが当たり前だったから嬉しさも込み上げてきた。
じゃあお願いします、と言うと喜んで!と言うブルックさんに思わず頬が緩む。


「私とお話がしたいだなんて、光栄です。」
「何を仰いますか!それは名無しさんとこうして2人きりでお話出来る私のセリフですよ。…あの、名無しさん。」
「はい、何でしょう?」

背の高いブルックさんは骨だけだと言うのに軽々と高い位置に張られた縄に次々に洗濯物を干していく。あっという間に終わってしまいそう、と呑気な私は彼の次に発した言葉に固まってしまうのだった。


「サンジさんの事、いつからお好きになられたんですか?」






何事も無かった様に振る舞えた自信はあったが、今朝彼女の顔が見えた途端心臓が跳ね上がる感覚は確かにあって。女性に対してドキドキするだなんて俺にとっちゃ日常茶飯事なのだが、それとは確実に違う物だった。

当の彼女は明らかに何時もより俺と目線を合わせまいとする様子で、それは追い討ちをかけるように心臓を締め付けられた。
彼女が仲間に入ってからというもの俺は、例えあのマリモ野郎に何言われても仕方ねえくらい情けない男に成り下がってやがる。

こうして料理の下ごしらえしてる時も食事の用意してる時でさえ、これを食べた彼女は今日もあのふわりと笑う可愛い顔を見せてくれるだろうかと思ってしまって。
これはもう俺が女性に対して言う"恋"と呼ぶにはあまりにも軽すぎる気がして。


「…どうしたもんか。参ったな。」

鍋で煮込まれている野菜を見下ろしながら出た言葉は煙草の煙と共に宙を舞った。






「え、な、何を仰るんですか急に…?」
「いやー、年の功というものでしょうかねえ?昨晩は本当にサンジさんが名無しさんに惚れ薬でも飲ませたのでは、と思いましたが。今朝の名無しさんのサンジさんを見つめる瞳はまるで恋する乙女のように見えまして。」
「こ、」

"恋"、その言葉を聞いた途端高鳴る心臓。それと同時に思い出す昨晩の彼との会話。
私は今では恋なんてした事ないと主張したばかりで、サンジさんへ対する気持ちが本当に恋なのかなんて確証出来る物自体が分からない。


「ブルックさん、」
「はい?」
「恋するって、どういう事なのでしょうか。その人の事を格好いいと思ったら、優しいと感じたら、恋、なのでしょうか?」
「そうですねえ。恋するって事は人によって違うと思いますが…じゃあ試しに。名無しさん少し目を閉じてみてもらえますか?」
「え?あ、はい。」

ブルックさんに言われた通り瞼を閉じると当然のように暗くなる視界。波の音と甲板から聞こえる他の皆さんの声がより耳に響いた後、キッチンからする良い匂いが鼻を掠める。そして同時に浮かぶのは"あの人"の姿。


「名無しさん。」
「はい、」
「今、何を思い浮かべてます?」

ゆっかり瞼を開けると問いかけるブルックさんを見上げる。そして干した洗濯物がヒラヒラと舞うくらい吹き抜ける風。いつもより冷たくて気持ち良いのは私の顔が熱いせいなのだろうか。


「ブルックさん、あ、あの。私、今サンジさんの事を…」
「そうですか。それじゃあ、それが名無しさんの知りたい事に繋がるヒントなのかもしれないですよ。」

いやーそれにしても今日は空が青いですねえ、と洗濯物を干す手を再び動かすブルックさんに私も慌てて手を動かした。


「ブルックさん、ありがとう…ございます。」
「私は何もしてませんよ。ヨホホホ。」

正解なんて無い、それは自分にしか分からない。そして気付かないフリなんて出来ないんだ。この感情はきっと私自身にも止められないんだと鳴り止まない鼓動を感じながら思った。

これが、私の生まれて初めての恋なのだと確信してしまった。





洗濯物を全て干し終えブルックさんにお礼を告げ、次は掃除だと倉庫へ雑巾とバケツを取りに行く短い道中でも私の頭の中には"あの人"が浮かんで離れてくれなくて、さすがにこれじゃあダメだと頬をバチ、と軽く叩く。

私はまだ未熟な魔女で、この船に乗せてもらったのは強くなる為であって。恋にうつつを抜かすな、なんてよく言うけれど今の私はまさにピッタリな言葉だ。
しかしそれ以上に私が心配なのはサンジさんとこれから普通に接することが出来るか、という事だった。今朝気付いてはいけない、そう思っていた感情の正体をブルックさんにあっという間に暴かれてしまった。
もしかして私は感情を隠すのが下手なのかもしれない。いや、きっと下手なんだろう。

どうしたもんか、と倉庫の中で1人悶々とするしか無かった。





ダイニングの小さな窓から甲板を見やるといつもの様に洗濯物を干す彼女の横に何故か背が高えガイコツが立っていて俺は怪訝な顔になるのを自身で感じた。


「あいつ、余計な事言ってんじゃねえだろうな…」

昨晩の浴室の件はブルックにも責任があると言っても過言ではない。あいつがちゃんと俺と名無しちゃんにロビンちゃんからの伝言を伝えてくれたらあんな事は起こらなかった。
そしたら名無しちゃんの俺に対する態度もいつも通りだった筈なのに。
そんな事を考えながらブルックの野郎と話す彼女の笑顔にまた胸が苦しくなる。

他の男にそんな笑顔向けないでくれ、なんて浅ましい事を思ってしまう俺は確実に着実に彼女に惹かれている証だろうか。

この気持ちを伝えてしまえば楽になるだろう、だがそんなのは彼女の事を考えれば簡単に出来る事じゃ無い。
そんな事をした日には、きっと彼女は俺に気を遣いこの船で居心地の悪さを感じてしまう。 そんな事だけはさせたくない。

女性を前にすると直ぐに感情を表に出してしまう俺の性分は何処へ行ってしまったのか。

「クソ、」

こんな汚い事を考えている事を知られたら彼女はどう思うか、考えただけでゾッとしながら昼飯の準備に取り掛かった。





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