やさしいあのこ

※ウボォーさんが帰ってこない
※ので責任を感じてやさぐれるナークの話
※フィンフェイ前提

廃墟ビルの一角にあるその部屋は北向で、真っ昼間でも日が差さず仄暗く薄ら寒い。
青白いモニタの光が照らすその部屋で浅い眠りから覚めた彼は、喉の乾きを覚えてぬるいビールを口に含んだ。
「いいよ。入って」
戸をノックする音を聞いて入室許諾の意思を示す。
淡い希望を抱きながら上体を起こしてその方角を見つめると、薄暗い廊下に細く小さいシルエットが一つ見えた。

――もしかして、ふざけているのか?
復讐者を返り討ちにして戻ってきたあの大男は、つまらない悪戯心を起こして仲間の一人に囮を頼んだ。囮にドアを開けさせながら、物陰に隠れて、絶でも使って気配を消して、油断させておいて「ワッ」と飛び出て此方をびっくりさせるつもりだ。
夢想しつつ凝を使ってみるも、どう探っても一人分のオーラしか感じられない。どうやら期待は裏切られたらしいと悟る。落胆のあまり怒りさえ覚える。酔いも相まって腹の奥がいらいらと熱くなったが、どうにか押さえて平静を保つ。

「……何?フェイタン」
シャルナークの心中を知ってか知らずか小さなシルエットの訪問者――フェイタンは問いに答えず、パタリと戸を閉めてツカツカと歩み寄ってくる。
「酒臭い」
開口一番にそんなことを言った。
「ああ、飲まなきゃもったいないだろ。せっかくフランクリンが盗ってきてくれたんだし」
部屋の角には開封されたビールケースが雑に投げ出されている。蛭下しのためにわざわざ別行動をして調達してもらったが、今となっては無用の長物である。与えるべき人間は未だ――いや。おそらく二度と戻ってこないのだから。

「フェイタンも飲めば?まだいっぱいあるよ」
「いらない」
「そう。それで?何しに来たの」
予想通りの答えに思わず苦笑しながら、改めて問う。
「別に。お前が珍しく引きこもてるから様子見に来た」
「ふーん、オレのこと心配してくれたんだ。優しいねぇ」
そんなわけあるか。ウボォーギンを鎖野郎に殺させる手引きをしたのは自分だ。わざわざ情報を与えて、考えなしに送り出して、その結果がこれだ。どうせこいつはその失態を咎めに来たんだ。「お前がついていながら何だ」「お前があいつを殺したようなものだ」と責めに来たに違いない。

「飲むなとは言わないけど。仕事終わてからにすればいいのに」
フェイタンはシャルナークの隣に腰を下ろすと溜め息混じりに呟く。捩じ込まれた体の側面が密着する。布越しにじわりと体温が伝わるのを感じながら、シャルナークは自嘲気味に呟いた。
「これが飲まずにいられるかよ」
「何故」
「決まってるだろ。ウボォーのやつ死んじゃったんだからさ」
「それは、まだ分からないね」
「はぁ?どうしてそう言えるんだよ」
口をついて出た台詞がこれだ。
いつになく荒んだ声音に驚いたのか、フェイタンは切れ長の目をきょとんと見開いて絶句している。そのさまに罪悪感を覚えないでもなかったが、その表情が今のシャルナークにとっては奥歯が軋むほど憎らしく思えた。
そんな顔で見るな。今ので傷ついた、とでも言いたいのか。
つまらない被害妄想だとは思う。それでも、いたたまれなくなって唇を開いた。

「『まだ分からない』って、どういうことだよ。ウボォーが生きてるって?そんなわけないだろ、あいつは鎖野郎に殺されたんだ。もうとっくに夜が明けたってのにいつまで経っても帰ってこない。これが何よりの証拠じゃないか」
完全な八つ当たりだ。何の落ち度もないフェイタンを詰ってどうする。そうは思うが一度堰を切った感情はもう止められない。
「だいたい何なんだよお前。昨夜も『心配無用』だとか『アイツは簡単にやられるタマじゃない』とか何とか言ったよな?じゃあ、どうして戻ってこないのか説明してみろよ。できないだろ?なぁ?お前のそういうところが気に入らないんだ。いつもいつも、自分は何も考えずにヘラヘラしやがって。他人事だと思って適当なことばっか言ってんじゃねぇよ!」
乱暴な口調で一気に吐き出す。フェイタンは何も言わない。時折瞬きをする他は微動だにせず、黙って罵詈雑言を受け止めている。
(ああ、何やってんだろ。オレ)
自己嫌悪に駆られて口を閉じる。しかし、もう遅い。吐いた唾は呑めない。勢いに任せてぶつけた言葉の数々は今更撤回しようがない。
フェイタンの沈黙が痛い。二人きりの部屋が気まずくて仕方ない。他のメンバーがいれば、どうにかこの場を取りなしてくれるだろうに。いっそ消えてしまいたいとさえ願いながら膝を抱えて俯いていると、不意に隣から小さな溜め息が聞こえてきた。

「意外ね。お前でもヒステリー起こすコトあるか」
視線だけ此方に向けて呟く。その声に怒りは感じられない。一匙の呆れ笑いを孕んだそれがシャルナークの羞恥心を煽る。
「……バカにしてんの?」
「してないよ。ま、正直なところ面白くはあるけど」
「何で」
「いつも余裕ぶてるシャルナークがキレ散らかすトコ見れたよ。困たちゃんワタシだけ違うて安心したね」
「誰が困ったちゃんだよ」
「お前以外に誰がいるか」
「フェイタンと一緒にされたくないなぁ。オレいくらキレたって無差別攻撃はしないもん」
「ハハハ」
フェイタンは自虐的に笑うと、その右手を伸ばしてシャルナークの頬に触れた。そのまま慈しむように円を描きながら、こう言った。
「仮にウボォー死んだとしてもシャルナークのせい違うよ。鎖野郎への仕返しアイツが望んだコトだし。止めても聞かないだろうし。第一アイツが負けるくらいの相手なら、お前がお供しても仕方ないね。一緒(いしょ)に殺されて終わり」
「…………」
前半の台詞はともかくとして。先ほど自分がぶつけた暴言に負けず劣らずの辛辣な物言いに思わず毒気を抜かれてしまう。
「あのさぁ。それフォローのつもり?」
「フォローていうか事実だけど」
「あは、ひでぇ」
あまりの手厳しさに乾いた笑いさえ漏れる。
だがフェイタンの見解は間違ってない。それに甘い言葉で慰められるだけでは惨めさが増幅するばかりだ。こうやってぼろかすに罵ってくれた方が却って楽である。
「……ま、いいや。ありがと」
「お礼言われる義理ないし」
「あと、ごめん」
「謝られる筋合いもないよ」
「いや、それはあるでしょ。オレさっきフェイタンにひどいこと言っちゃったし」
「別に気にしてないね」
そう言って微笑む目元には濃い隈がある。白く薄い皮膚から透ける青黒さはひどく病的で、退廃的なにおいがする。
「寝てないの?顔色悪いよ」
「ワタシ昨夜は働き詰めだたよ。寝るヒマないね」
あの陰獣はどうなっただろうか。少なくとも、この仕事が終わるまで殺されはしないだろうが。
「そういえばフィンクスは?」
「団長の指示で仕事行た。すぐ戻てくるとは思うけど」
こうして座っていると、フェイタンの小さな体が余計に小さく感じる。シャルナークの視点から見下ろすと、ちょうどマスクの中を覗く形になる。
乾燥して皺が寄った唇と、首筋の赤い痕が妙に艶めかしい。
衣服や髪からヤニのにおいがする。フェイタンは煙草を吸わない。彼の残り香だ。どうやらフェイタンが寝不足なのは、彼のせいでもあるらしい。

「ねぇ」
「ン」
「どうせ慰めてくれるんならチューとかハグとかしてくれてもよくない?」
冗談半分にそんなことを口にすると、フェイタンは眉間に軽く縦ジワを寄せて「はぁ」と溜め息をついた。
「調子乗るな。ぶつよ」
「わ。怖ぇ」
「なに笑てるか。気持ち悪い」
きつい口調ではあるが、怒っていないことは明白である。この人は陰険で狡猾で皮肉っぽい反面、愛情深く優しい人間だ。こうして戯言に付き合ってくれる程度には情が厚い。
「じゃあ、ちょっと膝貸してよ」
「何故」
「いいじゃん。減るもんじゃなし」
そう言うなり、半ば強引にフェイタンの太股に頭を乗せる。硬くて細くてゴツゴツしている。しかし不思議と居心地が良い。フェイタンは何か文句を言いたそうだったが、やがて諦めたのか何も言わずにシャルナークの髪を撫で始めた。
ウボォーギンが死んだ。かもしれない。
その事実は、フェイタンの掌から伝わる体温に溶かされて、ゆっくりと、しかし確実にシャルナークの中に染み込んでいく。
「少し寝るといいね。仕事までまだ時間ある」
「うん」
「おやすみ」



自分だって眠いだろうに。と思いつつ言葉に甘えて目を瞑る。
意識が泥のように沈んで、再び浅い眠りへと落ちていく。

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