だれもしらない

新聞。雑誌。テレビ。インターネット。どれを見ても異形生物のニュースで持ちきりである。
目ぼしい番組は報道特番で軒並み潰れてしまった。昨日もそうだったし、きっと明日も明後日もそうだろう。
その人はつまらなそうにテレビの電源を落とすと、胎動する腹を撫でながら話しかけた。
「どうした?早く出てぇのか」
片言の共通語ではない。流暢な母国語で。

フェイタンの腹には命が宿っている。
相手は子供の存在を知らない。知らせるつもりもない。
ヒソカにクロロの除念を託したあと旅団はヨークシンシティで一時解散した。することもないのに廃墟に居座り、身を寄せあって団長の帰りを待っていても仕方あるまい。
腹が目立たない妊婦もあるらしいが、フェイタンはそういうタイプだったらしい。団員たちと別れる頃は妊娠中期に差し掛かっていたものの、その体質のおかげで誰にも見咎められることはなかった。
いや。そういえばマチに「生理はちゃんと来ているか」と訊かれたような気がする。
もともと月経不順気味であるし、その時は妊娠に気付く前だったこともあり気に留めなかったけれど、今にして思えば、本人より先に異変に気づいてあんなことを言ってきたのかもしれない。
まぁ別に隠すつもりもないし、バレていたならバレていたで構わないのだが。

仲間の助けは端から期待していない。子供をどうするかも考えていない。きちんと育て上げる気なんて毛頭ないどころか、ひり出したら即刻捨ててしまえばいいと思っている。
そこまで我が子に関心がないなら堕胎してしまえばよかったのだろうが、どうしてかそういう気にはなれなかった。
理由はよくわからない。愛とか母性とか、そういう類いとも違う。ただこの世に芽吹いた以上、生きる機会はくれてやってもいいと思った。それだけのことである。

「いてェな……クソが」
腹を擦りながら舌打ちする。数日前から月経痛に似た痛みが断続的に続いていて、それはだんだん激しさを増している。
出産が近いのは結構だが、あとどれくらいこの痛みに耐えなければならないのかと思うと気が滅入る。
いっそ自分で自分の子宮を切り開いてやろうかと考えているうちに股から漏れた液体が服を濡らす気配がした。
どうやら破水したらしい。よかった。もうすぐこの邪魔くさい腹とも鬱陶しい痛みともおさらばだ。
それはそうとどこで赤ん坊を産み落とすべきか。寝床はだめだ。寝具を汚したくない。後始末を考えればバスタブの中が最適だろう。フェイタンは文字通り重い腰を上げると、痛む腹を抱えながら浴室へ向かった。

服を脱ぎ捨て、蛇口を捻って浴槽に湯を張りながら、鏡に映った己の裸体を見る。
人並み外れた腹圧によって腹の膨張はだいぶ抑えられているものの、容積の小ささは如何ともしがたい。
蛙のようにパンパンに張って、腹筋と正中線と臍が浮き出た腹の不恰好さときたら。仲間たちに見られでもしたらいい物笑いの種だろう。まぁ関係ない。次に奴らと会う時はいつも通りだ。
「……チッ」
バカか。タオルと着替えを用意しなくてどうする?イラつきながら浴室を出て、必要なものを掴み出して脱衣所に叩きつけ、ようやく浴室に戻ってバスタブに身を沈めた。
もう肌寒さを感じる季節ではないけれど、温かい湯に浸かるのは心地好い。それに多少も気が紛れる。
胸元に手を当てる。慎ましやかな乳房は臨月の今もさほど外見は変わらないが、その中身は痛いほど張っている。
当人の意思に反して体の方は育児をする気満々らしい。勢い余って乳腺炎になりそうな予感さえある。
忌々しげに顔を歪めつつ、ふと思い立って胸を揉んでみる。マッサージすれば少しは楽になるかもしれない。
「ん、……」
やはりというか、張り詰めた肉塊を揉むと形容しがたい痛みが走った。だが、しばらく続けているうちにほんの僅かではあるが楽になったように思う。
どれくらいそうしていただろうか。いっそう激しい痛みが下半身を襲った。

「う!……ぐぁ!!」
経験したことのない痛みに思わず声が出る。呼吸ができないほどの激痛だ。
「ひ、いぃ、いだ、い、あ、あ!」
歯を食い縛って耐える。痛みが引いた隙に息を整える。再び襲ってきた痛みを、声を殺してまた堪える。その繰り返しである。

産みの苦しみがどれほどかなんて考えたこともなかった。この激痛で自分の念能力が発動したりはしないだろうか?まぁそんな心配は無用か。なにせ呼吸するのにいっぱいいっぱいでブチキレてる暇なんてありゃしない。
そんなことを考えながら、過去の記憶を手繰り寄せて、見様見真似でいきみ逃す。
流星街で何度か出産に立ち会ったことがある。フェイタンが住んでいた地区では女の子が出産の手伝いをする風習があった。と言っても子供にできることなどたかが知れているから、実質ただの見学のようなものだったが。
血塗れの赤ん坊を見た他の子が「汚い」と言って産婆に怒られていたのを今でもよく覚えている。口には出さないまでもフェイタンも同じ感想を抱いていたものだ。
それ以上に、この世の終わりのような絶叫を上げて苦悶する妊婦の姿も悍ましいと思った。そして今まさに自分がその妊婦なのである。滑稽を通り越して笑えてくる。と言いたいが笑う余裕などどこにもない。

「ひい、い"、ハッ、ハアッ、はあッ……、〜〜〜ッ!!!」
どれくらいそうして過ごしただろう。時間の感覚が曖昧になっている。風呂の湯はすっかりぬるくなって、血で薄赤く濁っていた。
「はー、はー、はー……」
汗と水蒸気の結露が混じった水滴を滴らせ、肩で息をしていると、腟口が大きく開くのが分かった。
いよいよ産まれるのか。さっさと出てこいよクソ野郎。体が冷えて風邪を引いちまう。などと無言のうちに毒づきながら渾身の力でいきんだ。

(生まれる!!)
そう直感した瞬間、ふっと意識が途切れた。
気絶していたのは数秒だったと思う。ふと股間に目をやる。汚れた微温湯の中で、へその緒をたなびかせ、手足をばたつかせて泳ぐ胎児の姿があった。
抱き上げて洗ってやると産声を上げて肺いっぱいに空気を取り込み始める。

(気色わりぃ……)
赤いのか青いのかよく分からないしわくちゃの皮膚をして、股には桜桃くらいの大きさのふぐりをぶら下げたそれは、歯のない口を目一杯に開けて耳障りな声でぎゃあぎゃあ泣いている。
お世辞にも可愛いとは思えない。率直に言えば不気味である。
フェイタンの子宮はまだ伸縮を続けている。軽くいきむと胎盤が排出された。
「……」
無感動に見下ろしながら引摺り出し赤ん坊から切り離してバスタブの外に投げ捨てる。あとで生ゴミと一緒に捨ててしまおう。

出産とその後始末を終えた頃にはすっかり日が暮れていた。
フェイタンは疲労困憊した様子でため息をつくと、痛む体を引摺り、どうにか服を着て、赤ん坊を抱いて浴室を出た。
見慣れた筈の部屋がやけに懐かしく思える。風呂場にいたのはせいぜい半日くらいだが、何年も籠っていたような錯覚さえ覚えた。
疲れた。このまま寝てしまいたいが腹が減って眠れそうもない。インスタント食品で済ませてしまおう。
立っているのもつらければ屈むのもきつい。おまけに座るのも一苦労で、食卓に着くまでに数え切れないほど舌打ちした。

「お前も腹減ったのか?」
もたもたと食事を摂りながら、ふにゃふにゃと泣く赤ん坊に問いかける。
まだ自我もないようだが何かを求めているのだけはよく伝わる。面倒臭いと思いながらも仕方なく乳首を含ませると勢い良く吸い付いてきた。生まれてきたばかりのくせに呆れるほどの食欲だ。
「さっさと済ませろ。こっちも食ってる途中なんだからよ」
赤ん坊は乳を吸うことに夢中で母親の言葉など聞いていないようであった。
眉間を歪めながら、多少は皺が伸びて人間らしくなった赤ん坊を見つめる。まだ少ない髪は金色だ。顔は彫りが深い。眉骨が高く眉毛らしいものはない。おおよそ母親には似ていないというか明らかに父親似である。

眠気はどこかに行ってしまった。赤ん坊を抱いたままテレビをつける。
相変わらず未知の怪物についての特番ばかりだった。
携帯端末の着信音が鳴る。メッセージが届いていた。送り主はシャルナークだ。メンバー全員に一斉送信しているようだった。

『みんなキメラアントのニュース見てる?いま流星街もやばいらしいよ』
曰く先月あたりからキメラアントの女王とやらが巣食って、住民を攫い、多大な犠牲者を出しているのだという。
『しょうがねぇな。ヒマな奴集まって助けに行ってやるか?』
フィンクスの返信。
『いいよ。いつにする?』
自分はこの通りヒマではないのだけれども、蟻討伐に参加することにした。

こいつはまだ故郷に連れて行けそうもない。
せめてもの親の責任として、少しくらいは安全な世界に放してやろう。
……そう思った矢先。出かける前にベビーシッターを探さなくてはならないことに気づいたその人は、げんなりした様子で天井を仰いだ。



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