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「ただいまー」

2日ぶりの家は、どこかがらんとしていて人がいないようにも感じられた。
うん? と顎に指を添えて首を傾げれば、ぱたぱたと軽やかに走る音がして、ぴょん、と嵐ちゃんが玄関でぽやっとしていた私に抱き付いてくる。

「おかえり、姫さま」
「ただいま、嵐ちゃん」

きゅうきゅう抱き付いて離さない嵐ちゃんに首を傾げながらも、結っていた髪を解く。
ぽん、とコルクを抜いたような軽い音がしてから、こんっ! とリコリスが元気良く鳴いた。

「髪留めに変えてたの?」
「そうしたら何時でも一緒かなぁ、って」
「………ズルい」
「こら、我が儘言わない」

すっと離れた嵐ちゃんがぷぅ、と頬を膨らませるので、その頬をぷつりと指で押す。
それでもぷくぷくと頬を膨らませたままなので、嵐ちゃんの背中をさすってあげると嵐ちゃんはゆっくりと離れていった。
………あーれー?

「嵐ちゃん1人?」
「他の2人はイタリアへ」
「………何かあったの?」
「ちょっとね」
「む、」

話してくれない嵐ちゃんに眉を寄せるけど、ふと嫌な予感がして口を閉じた。
たぶんきっと、そう。ティモが関わってる。
ずっとティモと連絡が取れなかったみたいだけれど、やっと取れたのかな。
それだったら、良いな。それだけだったら、良いな。
だけど、胸がざわざわと騒がしいほどに蠢いている。
ティモが無事ならそれでいいけれど、うーん、なんだかなぁ。

「雲もイタリアへ?」
「うん。日本に残ったらのはわたしだけ」
「そっか、わかった」

嵐ちゃんしかいないなら変な負担はかけられないよね。
ぽむっと頭に乗ったリコリスの尻尾の一本を撫でて、リビングへ行く。
しぃん、と何も響かない静かなリビングに、きゅ、と眉を寄せた。

「嵐ちゃんはさ」
「ん?」
「独り、寂しくない?」
「姫さまが帰ってくるってわかっていたから、寂しくないよ」

にこっと輝かしい笑みを浮かべる嵐ちゃんに、こくん、と頷いた。
そうだね。
肉体的に距離的に傍に居れば寂しくなくなるわけじゃない。
それに、文字通り傍に居ればいいってものじゃない。
そもそも文字通り傍に居なきゃ意味がないのなら、私は今、日本には居ないはずだ。
───傍に居れるなら居てあげたい。
でも、それを選ばなかったのは私だし、ティモだ。
………よしっ。

「嵐ちゃん、今日は一緒に寝よう!」
「え」
「………だめ?」
「ううん、嬉しい!!」

きゅ、と再び抱き付いてきた嵐ちゃんを抱き返した後、手を繋いだまま2階へ上がって私の部屋へ直行した。
普通の───当然シングルサイズのベッドだから2人で寝転ぶと少し狭いんだけど、自分から一緒に寝よう、と言ったんだから我が儘は言えないし、言うつもりもない。
あぁ、やっぱり、『寂しい』のは私なんだな。改めて、そう思う。
やっと帰ってこれたんだ。
そう思うと、すぅっと私は夢へ飲み込まれていった。
明くる朝起きた時、嵐ちゃんは部屋に居なかった。
それもそうか。嵐ちゃんが朝ご飯作ってるんだから。
ふわぁ、っと欠伸を1つして、枕元で未だ丸くなって眠るリコリスにそっと微笑んだ。

「おはよう、嵐ちゃん」
「おはよう、姫さま」

リビングへ行けばやっぱり嵐ちゃんは台所にいたので、ちょっと安堵のため息。

「姫さま?」
「ちょっと人の気配に敏感になってるだけだよ。………ほら私、寂しがり屋な部分があるから」

未だに窓に鍵を掛けない───掛けられないのはその所為。
スペルビの一件があるから本来なら掛けなきゃいけないんだろうけど、スカルくんがまた来ないかな、という期待の方が遥かに大きいからこそ掛けられない。
そんな私の気持ちを知ってか知らずかわからないけれど、嵐ちゃんがぽむぽむと軽く頭を叩いてきた。

「む、」
「学校行くよね? お弁当も出来てるよ」
「ありがとう、嵐ちゃん」

嵐ちゃんが作る朝ご飯は相変わらず洋食だけれど、美味しいので文句は言えない。
もぎゅむぎゅと時計を見ながら朝ご飯を食べ、身支度すべてを終えた頃にはいつも家を出る時間だった。

「行ってきます」
「行ってらっしゃい」

ちらりと沢田家を見るけれど、綱吉も深琴ちゃんも出て来る様子はない。
いや、来ても私は一緒には学校行かないけれど。
ふぅ、とため息を吐いて一歩踏み出した。
2日振りの昼間の学校は相変わらず変わりはないけれど、授業はしっかり進んでいるから本当に困る。
事が終わったら深琴ちゃんに聞かないと………。
1日授業を受けたらもう後は帰るだけ。
あぁ、お昼の嵐ちゃんのお弁当は美味しかったな、と誰に言うでもなく呟いて校門を後にした。
雲も居ないから1人で帰路に着く。
あぁ、平和だなぁ。これが私の生活だよね。
思わず目を細める。
刹那、昨日の学校の姿を思い出して顔を歪めた。
綱吉達は戦ってる。相手側は十世の座を掛けて。………綱吉がどう思っているかはわからないけれど。
私は関わらないって、そう思った。
チェルベッロの話を聞いて、私は『十世の守護者なんかにはならない』って啖呵切ったんだから。
私はティモのだから。
ティモの『雪』で居たいから。
ティモから預かったこのリングに、誠実でありたいから───。
ぐっと力強く腹に腕を回されて後ろに引かれる。
ひわっ、と妙な声が出た瞬間にクラクションを慣らしながら猛スピードで車が通っていった。
ふと視線を上げて信号を確かめると、点滅することなく赤が輝いている。
赤信号の横断歩道を渡ろうとしていたのだとようやく認識して、ぞっと背筋が冷たくなった。

「あ、」

今更になって恐怖に襲われ、未だに腹に回されている腕に手を重ねた。
自身の不注意だったからこそ、「怖かった」と口にするのは憚られる。
だけれど怖いものは怖い。
触れていた温もりに逃げ出して、私はその腕をきゅう、と掴んだ。

「───おい」

頭上から聞こえた低い声に身体を震わせ、ゆっくりと顔を上げる。
そうして、真紅の双眸と出会った。

「あ、ありが」

とうございました、と言葉が続くこともなく、がくっと膝から下の力が抜ける。
しかし崩れ落ちることなく真紅の瞳の強面なお兄さんに体重を預けることとなった。
ちっ、と悪態ついたお兄さんはひょいと私を抱え直して歩き出す。
意外にも人は少なく、でもやっぱり奇異の視線がびしばしと送られるので縮こまった。
言葉に成らない恥ずかしさが身体を巡るけど、膝が笑ったままに道に捨て置かれなかっただけマシ。
しばらく歩いて、人通りの少ない小さな公園のベンチに降ろされた。

「あの、ありがとうございました」

ようやく落ち着いて頭を下げると、お兄さんは押し黙ったまま何も言わなかった。
だからってこちらの話を聞いていなかったわけではないだろう、と勝手に判断して顔を上げれば、美しい真紅の瞳を歪めて───苦虫を噛み潰したような顔をしている。
え、なんで。

「あの、」
「───いや、なんでもねぇ」

え、なにが。
会話になってない、と心の中で呟いて焦ったら、大きな手でくじゃりと髪をかき撫でられた。
ふわ、と相変わらず妙な言葉が口から出て、ふ、とお兄さんが小さく、本当に小さく笑う。
───笑った、気がする。

「名前は」
「………静玖。柚木静玖、です。あの、」
「───ザンザス」

ざんざすさん。
口の中だけでそれを繰り返す。
あれ、ザンザスさん? どこかで聞いたことがあるようなないような。
うーん、と悩むと頭にあったザンザスさんの手がゆっくりと離れていった。

「………………テメェは」
「はい?」
「いや、いい」

歯切れの悪い言葉に首を傾げつつ、ザンザスさんを見上げる。
綺麗に輝く真紅は苛立ちに染まっているようにも見えて、む、と口を閉じた。

「俺はもう行く」
「はい、ありがとうございました」

ようやく膝が落ち着いた頃、ベンチから立ち上がって深々と頭を下げた。

ザンザスという名がもう1人の候補者の名前だったと思い出したのはその背が見えなくなった頃だった。



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