38

それは、真夜中の事だった。
一緒にベッドで眠っていたリコリスが急に起き出してふー、と興奮気味に何かを威嚇するように喉を鳴らした。
あぁもう、君は猫じゃないんだからっ!
こしこしと目を擦り、身体を起こそうとしたらぐっと口元を大きな手で塞がれてベッドへ引き戻された。
恐怖以前に、ただ、呆然と目を丸くする。
部屋に入る月明かりで見えた手の主に、今度こそ言葉を失った。

(な、ななななんであの時の銀髪お兄さんがウチにいるの?!)

あの時の、そう、あの日、綱吉達と出掛けに行った時に強襲してきたその人だ。
ひゅぉぉ、と風が吹いて静かにカーテンが揺れる。
あぁ、そうだ。鍵をかけないでいたんだ。
でも、このお兄さんを招き入れるためにかけないでいたわけではないのに!

「無防備だぜぇ、静玖?」
「っ───!」
「………本当にお前、オレのこと覚えてねぇんだな」

覆い被さる様に私の上にいるお兄さんは、獰猛な目を細めて私を品定めする。
ぺろり、とその薄い唇を舐めたお兄さんは、ゆっくりと私から手を離していった。
いろいろと驚きのあまり固まって動けない私を無視してふーふー、と威嚇していたリコリスを落ち着かせるよう、お兄さんは手を伸ばす。
がしかし、リコリスがその銀髪のお兄さんに懐くわけもなく、ふーっ、と威嚇してから私の首元に埋もれるように丸くなった。
ベッドの淵に座ってこちらに背を向けたお兄さんに眉を寄せつつ身体を起こす。
出てきそうになったリングを私はそそそっとパジャマの下にしまって、白銀の髪が流れる背にあの、と声を掛けた。

「───スペルビ」
「え」
「オレの名前だ。今度こそ間違えるんじゃあねぇぞ、チビ姫」

くるりと振り返ったお兄さんは優しい声音に自らの名を乗せた。
う、うーん、怖い人ではない、のかなぁ。
でも、でもなぁ………。いくら鍵を開けていたとしても、不法進入だもんな、これ。
それに、

(結果的に綱吉を襲ったわけだし、後、)

ボンゴレリングのこともあるし。
そっと視線を外すとお兄さん………スペルビさんの指に輝くハーフボンゴレリングが目に入る。
きゅっ、と眉を寄せた。
本当にハーフなんだ。私が首に下げてるそれとは違う。

「気になるかぁ?」
「お兄さん、じゃない、スペルビさんが私を知っていることぐらいには気になるけれど………」
「スペルビでいい」
「はぁ」

曖昧に頷く。
なんでこの人に『恐怖』を抱かないのかわからない。
スペルビさんは街中で剣を振るっていたし、バジル君を怪我させた人だし、その、えっと、ゆ、指先ちゅーしてきた人だし、ってあぁもう、最後関係ないし!

「あの、スペルビさん。確かに私は柚木静玖ですけど、一体私達はどこで知り合ったんですか」
「九代目の手紙をお前に渡しに来たことがある。………7年前になるぜぇ」

7年前って、時期によっては6つか7つ、でしょ?
そんな頃の記憶なんて曖昧だよ、普通!
え、えぇ、でもなぁ、覚えなんて、ない。
こんな銀髪で華やかなお兄さん、記憶にない。
じぃい、とスペルビさんを見ていると、手袋がはめられた手がすっと伸びてきた。
すっと左頬を撫でられ、きゅうっとさらに眉を寄せて目を細める。
うう、くすぐったい。

「静玖、」
「っ………、」
「本当に、覚えてねぇんだなぁ………」

両手で頬を包み込んでから、ゆっくりと後頭部にまで手を伸ばして抱きかかえるように髪をくしゃくしゃとかき回される。
されるがままなのは、その手の払い方を私が知らないからだ。
後頭部にあるスペルビさんの手は、左右体温が違う。
知っている気がする。
彼の左手の冷たさを、知っているような気がする。
だけれど思い出せない。

「会った………? 君に、どこで? いや、でも」
「コンッ!」
「うわ、なにっ。リコリス?!」
「コンコーン、コンコン」
「………や、さっぱりわからないからね、リコリス」

ぽふっと頭に乗った子狐様は9つの尻尾を器用に使い分けながら何かを訴えてきたけれど、狐語なんてわかるはずもなく、ぱたぱた暴れるリコリスに苦笑するだけだ。
よいしょ、と手を伸ばしてリコリスを抱えて頭から降ろす。
きゅっとリコリスを抱きしめれば、リコリスはコンッ、と小さく鳴いてすりすりとすり寄ってきた。

「時間だな」
「へ?」
「また来るから開けておくんだぜぇ?」

ぐっと首の裏に手を回されて引っ張られる。
何か発言する前にがぶり、と襟から覗く首に近い部位をかじられて痛みに呻いた。
腕の中からこぼれ落ちたリコリスが目を丸くするしていたけれど、それどころではない。
痛い、いたい、痛いっ!

「じゃあなぁ゛」

すっと視界から白銀が消えていく。
噛まれた部分に手を伸ばせば、ぬるりと何か液体が指に触れる。
───え。
手を使わないよう気を付けてベッドから立ち上がり、部屋を出て一階に降りた。
誰も居ないことを確認してから洗面台の前に立ち、驚愕。

「………やりやがったな、あンの野郎!」

口調が荒いのは仕方ない。
くっきりと残った歯形。つぅっと滴る赤い血。
こりゃ痛いはずだよっ。
パジャマに赤いシミが付かないよう脱ぎ、キャミソール一枚でリビングに行って救急箱を取ってまた洗面台の前へ。
脱脂綿に消毒液を滴らせて傷口を拭い、大きな絆創膏をぺたり。
パジャマを着直したところではっとした。
これ明日、深琴ちゃん達になんて言おう。
まさかかじられたなんて言えるはずもない。
だって不法進入者と普通に会話しててかじられただなんて間抜け過ぎて人には言えない。言えるはずがない。
それにしても、と口を閉じて絆創膏をなぞる。
結局スペルビさん───いや、こんな仕打ちをしたあの人に敬意は要らないね、スペルビは、何がしたかったんだろう。
怖い人なのかな。そうじゃないのかな。

「………わかんないよ」

存在を忘れられてしまったことへの焦りと苛立ち、そして悲しさは見てとれたけど───。
はた、と絆創膏をなぞる手を止めた。
あぁ、そうだ。人は簡単に人を忘れてしまう。
だからこそ、存在を認めるのは、認め続けるのは難しいんだ。
だからスノーフィリアさんは、後継者にそれを求めるんだ。
スペルビに、悪いこと、したかな。
でも、本当に覚えがない。
7年前なんて、ティモとのやりとりが面白くなりだした頃だし、まだ小学生だし。
イタリア語を理解するのが一番の楽しみだった。
───頑張って思い出してみようかな。
そう呟いて、私は救急箱を返して部屋へ戻る。

丸くなって眠るリコリスに安心感を覚え、そっと私は目を伏せた。



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