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それが欠け始めていることに、いの一番に気付いたのは他でもない沢田綱吉だった。
けれどもあの男は平然と女の………静玖の願いを受け入れた。己の願いを潰してまでも、静玖が望むそうに、最期まで好きにしたほうが良いと、そう判断を下した。
マフィアになろうとも甘ったれで染まりきらない男は、静玖のことを己のだと主張するわりには、その掌中に入れることはなかった。
曰く、そういう仲ではないのだ、と。
そうではないけれど、だからといって、己から静玖が離れることをすこぶる嫌がった男と、そういう仲ではないけれど、綱吉の傍に在ることを許した静玖とは、うまく噛み合っていたのだ。少なくとも、ザンザスはそう思っていた。面倒なことではあるけれど。
そうであるくせに、あの甘ったれでマフィアには到底見えない男、沢田綱吉は、静玖がその命を使い潰すことを良しとしたのだ。

「だって、仕方ないだろ。そうしたいって言ってるアイツを止める権利、俺は持ってないんだから」

とは、死ぬ前の奴の言である。
全く持って止める気のない綱吉に苛立って腹立って、無為に死ぬつもりか、と静玖に問いたこともあったが、それに対して彼女は、

「うーん………。伝え方が悪かったみたいですけど、別に今の『私』が生きることをやめたわけではないんですよ?」

と、きた。
ザンザスの眉間の皺が深くなるのも致し方のないことであった。

「回復の見込みがないから、使い潰そうかって話なだけで、別に自分の命に対して投げやりになっているわけではないと言うか」
「回復の見込みがない?」
「だって忘却じゃなくて『喪失』ですもん。なんでそうなるのか、と聞かれたら、まぁ、『雪』ってばそういうものだから、と言うしかないんですけど」
「は?」
「『雪』はそういうものなんですってば」
「何を喪う」
「うぅんと、一番は感情かな?」


こてり、少女だった頃と同じような仕草をした静玖に、舌打ちを返す。
なるほど、年相応に見えないはずであった。
喪失したことを気取られないよう過去の感情の表現を模しているのだ。二十越えた女性に少女の仕草は似合わないのを、違和感のないように、無駄な努力を費やしたのだろう。
ザンザスはそう、わかってしまった。

「あのね、ザンザスさん。あげちゃったんです」
「あげた?」
「そう、あげちゃったんです。………だって、そう考えた方が気が楽だから」


表情を無くした静玖は、そのまま口を開いていく。

「ティモには『好き』を、綱吉には『寂しい』を。あげてしまえば、当然、私の中から無くなるものでしょう? どうせ何も感じなくなってしまうなら、あげてしまった方が良い」

忘却ではない。喪失なのだ。失ったものは彼女の中には戻らない。
それでも彼女は、足を止めないとそう決めていた。

「静玖」
「はい、なんです?」
「テメェは俺が殺す。殺してやる」


どうせ死ぬのなら、死ぬつもりなのであるならば、己が殺したっていいはずだ。
どう反応するか、じぃと静玖を見つめれば、静玖は頬を赤く染めて笑った。彼女の中に残った感情が、確かに動いた瞬間であった。

「うれしい」

それは、ザンザスが望んだ反応ではない。
そんな反応、望んでいない。

「ねぇ、約束ですよ、ザンザスさん。お願いだから、私が『人』として死んだら、綱吉とザンザスさんの炎で燃やして下さいね」

なんて、ひどく嬉しそうに笑う静玖に、ザンザスの苛立ちが頂点に達したのは言うまでもなかった。
………………のだが、

(こいつは本当に………………)

ちょこり、と己の腕に座る静玖を見る。
過去の、幼い彼女だ。
交流など殆ど無い。
確かに赤信号で横断歩道を渡ろうとしていたのを気まぐれで助けたことはあるが、ちゃんとした交流など、ザンザスがイタリアに帰国する際にティモッテオの手紙の受け渡しをしたときぐらいだ。
それなのに、それだというに、彼女はなんの疑いもなく、ザンザスに甘やかな笑みを見せる。

(おとなしく生きることに執着してりゃあいいものを)

顔に傷を作って、あちこち汚して、わざわざこんな戦場に来る必要などないはずなのに。

「ザンザスさん」

なんて、舌足らずに男の名を呼ぶまだ幼さを残す少女に、頬の傷以外からかすかに血の匂いを感じ取って舌打ちをするしかなかった。










オールバックだった髪はおろされていて、でも赤い瞳の鋭さは隠しきれてなかったし、たぶん、本人も隠す気はなかっただろう。
―――ザンザスさんだ。
羽根飾りが風に揺れる。けれどそれを気にすることなく、ザンザスさんはミルフィオーレの二人を見据えていた。
女の子―――ブルーベルと、あの男の人を。
ただ、一度だけちらりとこちらを見て、そうして舌打ちをしたのがアレだった。
その舌打ちなんだったの、ザンザスさん!

「ザンザス!」
「沢田に伝えろ。ボンゴレ九代目直属独立暗殺部隊ヴァリアーは、ボンゴレの旗の下、ボンゴレリングを所持する者共を援護する」
「!!」
「って、俺達を………助けに?!」

隼人君の意識が合ってよかった、なんて一息吐く暇も無く、ザンザスさんの言葉に気分が上がる。
わあい、なんて言おうとして、ずきり、とお腹に痛みが走ったので、ザンザスさんの腕の中、おとなしくしていようと居住まいを正した。
よくよく自分を見たら、あちこちドロドロだった。まぁ、殴られて吹っ飛んで、べしゃりと地面に落ちたのだから、こうはなるだろう。
ぐに、と切れた頬を手の甲で拭けば、ぴりりとした痛みが走ったし、当たり前のように手の甲に血が付いた。
そんなことをしていると、ザンザスさんの隣にもふもふの格好いい子がやってきた。
ライオン? 虎? いや、なんでもいい。格好いいもふもふだ。
なんてもふもふさんに意識を奪われていると、べしゃ、と何かが地面に落ちた音がした。どうしたのだろう、と覗いてみれば、ベル王子の肩から落とされた隼人君が見えた。

「ししし、情ねーの! それでも『嵐』の守護者かよ」
「ナイフ野郎!」

あ、ご主人たちが喧嘩してるからか、瓜ちゃんとベル王子と同じ前髪をした可愛いアニマルが威嚇しあってる。小動物たちのじゃれ合いは可愛いなぁ。

「それより、スクアーロどこにいるか知ってるかしら?」
「! あいつはやられて………、今、山本達が捜索してる………」
「ハッ、死んだか」

なんで楽しそうな顔するの、ザンザスさん!
思わずコートを引っ掴んでくんくんと引っ張った。

「死んでないです、死んでないです!」
「うるせぇ」
「そういう軽口叩けるぐらい仲良しなのは良いことなんですけどね?!」
「はァ?!」

え、違うの………?

「うっそだろ、お姫、あれ、マジで言ってんの………?」
「あの子の感性どうなってるの?」
「いや、こっちに聞かれても困んだが」

そこ! ひそひそしているけれどなんとなく聞こえてるからね?!
え、嘘、ザンザスさんとスペルビ、仲良しじゃないの?
だって同じ部隊? チーム? で長年やってきたんだから、それなりに仲良しでしょうよ。
はっ!

「言葉選びっ、言葉選びが良くなかったですね! 長年付き合いがあるから軽口叩ける間柄なのはわかりますけど、スペルビはたぶん死んでません!」
「お姫、本当に、普通にちょっと引く………」
「なんでベル王子引くんですか?! いや、でもだッ!!」

ぺしん、とザンザスさんから有り難くもなんともないデコピンを食らった。
うぐ、痛い。

「やだ、ボス! 女の子の顔を叩いちゃ駄目よぉ」
「ふざけたこと言ったコイツの自業自得だろうが」
「うう、言葉選び間違っただけですもん。ザンザスさんとスペルビの付き合いが長いの事実じゃないですか」
「あ?」
「覚えてないですけど、スペルビ、お手紙配達してくれたらしいので、その頃からの付き合いですよね?」

あれ、結構前だって話だし、その頃からボンゴレいるなら、現状二十年近い付き合いなのでは?
っていうか、こんなやり取りしてていいんだろうか。とても緊張感は霧散してしまったのだけれど。
ちら、とミルフィオーレの二人の方を見れば、それはそれは呆れた顔でこっちを見ていた。

「お前………」

なんで、なんでザンザスさんまで呆れた顔で見てくるの?!

「あらやだ、静玖ちゃんったら、よく見たら顔に怪我して!! 女の子なのに!!」
「ひぇ」
「あぁ、あちこち細かい傷までして!」

ザンザスさんに抱えられたまま、モヒカンの人に顔を両手で掴まれる。
すりっと傷口を撫でられて、先程と一緒で痛みから顔をしかめると、あらあら、なんて男の人なのに軽やかで甘やかな声がした。
そうして、両脇に手を差し込まれてひょいと抱え上げられてしまった。
わ、わ、と驚きの声が出ている間にも、座り込んでいる隼人君の隣に座らされた。

「えっ」
「さぁ、この子の炎で治しちゃうわよ!」
「んっ?!」

ぺたんと座り直すと、γさんの傍にいたレナがふよーと泳いで傍までやって来てそのまま私の腿に頭を預けてきた。
日本刀へと姿を変えたルピナスは申し訳ないけど、まだそのままでいてもらうことにした。
孔雀………だよね、その子がふわっと羽根を広げた瞬間、暖かくて、けれど、針のような刺激のそれが身体を包んだ。

「ッ―――?!」

ザクザクと刺さる痛みと刺激に驚いて孔雀さんから離れようと動こうとしたけれど、レナが頭を預けてくれてるんだ………と思ったら、レナも何か感じたのか、さっきとは逆に私を頭に乗せた後、そのまますいと泳いで孔雀さんと距離を取った。
え、なに、なんで。ピリピリする。痛い。
日焼けの後のように、肌がピリピリする。

「静玖?」
「やだ、」

隼人君の問いに、短く返す。
レナの視線もちょっと鋭くなって、日本刀に付けられている飾り紐もぷらぷらと揺れだした。ルピナスも何か感じたのか、思っているのか、そんなところのような気がする。
なんだろ、今の。今のは、治癒じゃない。攻撃だった。

「ふ、ははははははは!!!」

逃げた私を見て、嵐の人が大口を開けて笑った。
急に笑い出したあの人にビビリつつ、そろそろとレナに動いてもらってザンザスさんの後ろの方に逃げた。

「暗殺部隊ヴァリアーと言ってもソレのことはなんも知らないんだな!!」

だ、誰がソレだ、誰が。

「静玖が『晴』の炎に弱いのは周知の事実だろうが!! なにせ、本人がわざわざ白蘭様に言ったんだからな!」
「はっ、くだらねぇ」
「何?!」
「だったら、『空』を混ぜてやりゃあ良いだけの話だろうが」

孔雀さんが戻った匣をザンザスさんが受け取って、そうして炎が注入された。
おいでおいで、と晴の人………たぶんレナの名付け親の人に手招きされたのでまた隼人君の傍に寄れば、匣から出てきた孔雀さんはさっきとはちょっと違う『色』を纏っていて、開いた羽根から射出された光は、さっきと違って痛くない。

「痛くない………」
「そんなに痛かったのか?」
「針が刺した感じだったから」
「あら、やだぁ。今は大丈夫なのね」

こくり、と頷けばわしゃわしゃと頭を撫でられた。うぅ、豪快では?
かき混ぜられた髪を撫でながら戻しつつ、ザンザスさんに声を飛ばす隼人君を見た。

「おい、ザンザスッ! 奴らはパラレルワールドを使い、お前たちの技をすでに攻略している………。型のある技は使わない方がいい!」
「るせぇっ」
「なっ、人が親切に―――」

なんてやり取りをしている間にも、瓜ちゃんがよいしょと人の腿に乗り上げてきた。
なんで? って顔で瓜ちゃんの顔を覗き込むレナの頭をポンポンと叩いて、それから苛烈に始まった戦闘にくらりと目眩を起こす。

「あらやだ、大丈夫?」
「大丈夫………」

なるほど、足手まといどころではなかったんだな、私は。こういうの、やっぱり想像と体験では諸々違うよね。
はぁ、と小さくため息を吐いて頭を振る。切り替えなくては。私が足手まといだったのは最初からわかりきっていたことで、それを体験、実感した。それだけの話。
―――それにしても。

「きれい」
「あ?」
「ザンザスさんの炎、きれいだねぇ。綱吉の時も思ったけれど、どうしよう、すごく」

きれい。
自分らしくないほどに、甘ったるい声が漏れる。
そんなことを言っている場合ではないのはわかっているのに、どうしてもそう思ってしまうのだ。

「こっちの貴方なんて、そんな表情すっかり無くしたって言うのにね」
「え?」
「『まぁ、うっかり死んでも良いかな』なんて思ってた貴方にするわけにはいかないわね、これじゃあ」
「は?」

ポロッと零された爆弾に、ぽかりと口を開けて対応してしまった。
うっかり死んでも良い………?
私が、そう思ってた? そう思って、生活してた?
どういうことなんだろうか。

「詳しいことは知らない。ボスもどこまで把握していたかはしらないわ。でもね、貴方は確かに『死んでも良いかな』って、そう自分を軽んじていた」
「………………あぁ、だから」
「『だから』?」
「だから、スペルビもディーノさんも過保護なのかなぁ」

納得。すこぶる納得である。
うっかり死ぬとはどういうことなのか、どういうつもりなのかさっぱりわからないけれど、そんな気持ちの『私』がいるのなら、この私が変なこと考えないよう見張ってた意味もあったのかな。
そっかー、そうだったのか。
は、と息を短く吐いて、それから。

「いや、わからない」
「静玖」
「どういうことなの。なんでそんな投げやりに、え? いや、それは怒られるのでは………? ミルフィオーレに行ったのも、そんな気持ちを持っていたから? ………おかしい。この時代の『私』、変だよ」
「静玖っ!」
「だって!」
「いいか、お前が『死んでもいい』なんて思ってるわけじゃないってのはわかってる。この時代の『静玖』のことを変だって思えるってことは、お前が自分の命を軽く見てはないのもわかる。だから良いんだ」

ぎゅっと私の右手を掴んだ隼人君がそう言う。
そうだろうか、そうなんだろうか。

「お前、死にたいのか」
「絶対に嫌だ」
「ん」
「えぇ、そうね。それで良いのよ、静玖ちゃん」

そう言って今度は優しく私の頭を撫でたその人の掌を受け入れていると、ザンザスさんたちの戦いが激しいのか、あちこちで炎を吹き出て、孔雀さんとは違う熱さが身体を撫でていく。

「隼人君、平気?」
「あぁ。…………十代目に連絡を入れる」
「うん、お願い」

耳元のヘッドホンをいじった隼人君は通信で綱吉と話出したので、それを邪魔しないよう、孔雀さんの主さんを見る。
今更ではあるけれど、モヒカンとサングラス、そしてお姉さん系の口調という、とても目立つタイプの人である。
うぅんと、もしかして、

「ルッスさん、で良いんですよね」
「良いわよぉ」
「レナの名付け親さん」
「ふふ、そうよ」

後ろから私の肩に頭を預けたレナが、呼んだ? と尾を揺らした気配を感じる。
嬉しそうなレナに私も嬉しくなる。もうさっきの死ぬだの死なないだのは忘れよう。
私は別に死にたいわけではないし、死ぬつもりはないし、うっかりだろうとなんだろうと、ここで死ぬわけにはいかないと思っている。
たとえ未来の『私』がそう思わなきゃいけないところにいるとしても、それは今の『私』には直接関係のあることじゃない。
だってあくまで、可能性だもん。
未来での戦いという経験が、この未来の『私』にはない。その時点で、この時代の『私』は私の将来の姿ではないのだ。
だから、大丈夫。そう思いたいから。

「―――えっ」

考えるために目を軽く伏せていたので、ばしゃぁん、と凄い音を立てて、水柱が立ち上がった音にびくりと身体を震わせてしまった。膝の上の瓜ちゃんがちらりとこちらを見てきたし、私の背後にいたレナは大丈夫? と顔を覗いてきた。
二体―――二匹のままでいいのかな、二匹の気持ちを落ち着かせるためにその身体を撫でながら、水柱が立ち上がった方向に何があったかを考える。
その方面は………、湖の方。
それってつまり、

「了平先輩たちの方!」
「あら、じゃあ心配ないわね」
「へ?」
「だって了平ちゃん、強いじゃない」

ストン、とその人の言葉がすんなりと腑に落ちる。

「そうですね。了平先輩は強いです」

戦ったところをきちんと見たわけじゃない。でも、了平先輩が強いのはよくわかる。
なんかどっと疲れたな、とため息を吐いてしまうと、綱吉と連絡を取り終えた隼人君が大丈夫か、と視線を向けてきた。

「お前、芝生ヘッドのことは信頼してんだな」
「了平先輩のこと? うーん、まぁ、付き合いは長いし、なんやかんやお世話になってるし………そうだね、信頼してる」
「ふうん」
「なんでそんな急に不機嫌になるの」
「別に」

ケッと吐き捨ててから、隼人君の視線がザンザスさんたちの戦いへと向かった。
むぅ、なんなのさ。
隼人君に倣って私もザンザスさんの方へと視線を向ける。アニマル兵器たちを使って、多彩な戦いを繰り広げているそれを見て、自分が以下に戦いのセンスがないのかがわかる。
ふと手元のルピナス―――刀へと視線を落とす。この子の使い方がわからない。ただ、鞘から抜くものでないものぐらいしかわからないのだ。

「上手に使ってあげられなくてごめんね、ルピナス」

思わず謝罪を口にすれば、わふ、と軽やかなルピナスの鳴き声が聞こえたような気がした。




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