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綱吉から逃げてしまった。
何をやっているんだろう。
そう考えて、何もない廊下で足を止めた。
ふ、ふ、と静かに漏れる呼吸が、自分の精神が普通じゃないのだとわかる。
深琴ちゃんが連れ去られた。
いつかこんな日が、来てしまうんじゃないかと思っていた。
深琴ちゃんは一般人で、何かから逃げる術なんかなくって、私みたいに誰からか派遣された『護衛』もいなくて、助けを待つしかなくて。
───深琴ちゃんを助けてもらう立場の私が、綱吉に甘えるわけにはいかない。
一瞬の記憶がないのは、深琴ちゃんが浚われた、なんて事実、認めたくなかったからなんだ、と今更ながらに理解する。
どうしよう、どうしよう。
焦れば焦るほど、考えなんかまとまらない。
ごくん、と生唾を飲み込めば、ぽすん、と私の背中に誰かが顔を埋めた。

「くーちゃん?」
「静玖ちゃん、ぎゅって、ぎゅって、して。お願い」
「え。あぁ、うん」

基本的に女の子からの誘いは断らない主義なのでくるりと振り替えって凪ちゃんを抱き締める。
ふるふると震えている凪ちゃん。
一体、何があったんだろう。
回りに誰もいないことを確認してから、そっと口を開いた。

「凪ちゃん」
「あの、違うの。あのね、わたし、」
「うん、なあに?」
「うれし、かったの」
「………………………え?」
「嬉しかったから、恥ずかしいの」

耳までぽわっと赤くした凪ちゃんに、嬉しかった? と、思わず首を傾げた。
ぱちぱち、と目を瞬いてから、ささくれていた心がゆっくりと溶けていく。
………そうだ。
特別な何かが出来るわけでもない私が、深琴ちゃんのことでごたごた悩んだって仕方ないんだ。
ただ、この件で綱吉には甘えられないだけ。

「………凪ちゃん」
「うん」
「私も、ぎゅって、して。………苦しいよ、悲しいよ」

だから、ぎゅって、して。
お互いに隙間なくぴったりとくっついて、そうしてぎゅう、としていたら、ぽすん、と軽やかに誰かが私の頭に乗った。

「廊下でなにしてんだ、二人とも」
「リボ先生」
「今なら町に行ってもいいぞ。───気分転換してきたらどうだ?」

イタリアーノらしい優しい声に目を瞬かせ、至近距離で凪ちゃんと向き合う。
その瞳は不安で揺れていたけれど、実は、ずっと欲しいものがあったから、外に行きたかった。
今の私の精神状態なら、やっぱりあれはあった方が良いと思うし………。
不安そうな凪ちゃんの瞳をもう一度見て、ゆっくり、怯えさせないように口を開いた。

「くーちゃん、暇なら、その、私に付き合ってくれない?」
「………うん」
「欲しいものがあるんだ。だから、ちょっと家に帰りたい」
「静玖、フィーのおしゃぶりはお前が帰ってくるまで預かっておくな」
「はあい」

凪ちゃんの背から腕を外し、隣に並び立つ。
ぽむぽむと私の頭を叩くリボ先生に宜しく言って、凪ちゃんの手を取った。

「じゃあ、行ってきます、リボ先生」
「おぅ。敵はいねぇが、気を付けろよ」
「はい………」

こくん、と小さく頷いたのは凪ちゃんで、二人揃ってアジトから出た。

途中で甘いものでも買って、とにかく気分転換をしようと心に決めたのだった。



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