アンバランスor――U3


 「つまらないな」
 ベッドの上にごろりと寝そべって、カーライル氏が言った。シャツのボタンはほとんど外してしまっていて、その上にシルクのガウンをはおってはいるけど、なんとなく目のやり場に困る。
 性格に問題があるような気はするけど、彼はとても魅力的で、社交界でも人気がある。奥さんのエディット夫人も綺麗なひとだ。合衆国でも有数の資産家のひとり娘で、数ある求婚者に振り向きもしなかった彼女が、カーライル氏に出会った瞬間、恋に落ちたそうだ。
 当時カーライル氏の会社は倒産間際だったらしいけど、彼に夢中になったエディット嬢は周囲の反対を押し切り、結婚したのだ。
 夫人の財産のおかげで、カーライル氏の資産状況は最悪な事態を免れた。だけど結婚後も彼の遊蕩がおさまらなかったため、目下夫婦仲は険悪で、別居中。カーライル氏はホテル暮らしを送っている。
 そして――
 カーライル氏の僕への好意は、アルジーが不快げに指摘した通りだ。氏はたぶんバイセクシャルで、相当遊びなれている。僕にも興味をもっている。面白半分に。
 奥さんとの不仲のせいで神経質になっているせいか、ときどき調子外れな悪ふざけをしかけてくる。
 だから、僕はカーライル氏のベッドには不用意に近寄らないことにしている。一度、気分が悪いとうなされているふりをしている彼を心配して覗き込んだとき、いきなり引き寄せられて危うくキスされそうになった。
 今もちょっと目が合うと、こんなことを言う。
「バート、一緒に寝ないかい?」
 聞こえなかったふりをしたが、カーライル氏は諦めない。
「充分ふたり寝ることができるよ。だって、いつ殺し屋が来るとも限らないんだからさ。一緒に寝る方が安心だし、安全だし、いい考えだと思わないかい?」
「思いません」
 このひとにはきっぱりとものを言わなくてはだめだというのは、この半月ほどで思い知らされていた。
 カーライル氏はくすりと笑った。
「プリチャード家を出る際、僕の外套をまちがって持ってこさせたのは、きっとアルジーだね」
「え……」
「よほどきみとふたりきりになりたかったらしい。それにしてもアルジーはかわってしまった。前はもっと破滅的な感じだったんだよ。まるで緩慢に死を招き寄せようとしているみたいな無茶な暮らしぶりをしていた。今はすっかり普通になってしまってつまらないね」
 つまらないって―― 
 僕はむっとして、もう少しで言い返すところだった。
「つまらないと言えば、僕の奥さんもマジメなひとでね。殺したいほど嫌いなら、離婚してくれたらいいのに、カトリックだからと離婚には応じてくれない。迷惑な話だ」
「だけど……殺す方が……」
「殺人はばれなければ平気だろう。離婚はねえ、こっそりするわけにもいかないからさ」
 僕には理解できない理由だった。殺人の方がよほど恐ろしい罪なのに。そんな理由で本当に殺意を抱くことがあるのだろうか。
「離婚が不可能なら、そこから逃れるためには殺すしかないってこともあるだろう」
 カーライル氏は言う。それは奥さんのではなくて、まるで彼自身が信じる理屈のようで、聞いているといやな気分になった。
 アルジーに忠告されるまでもなく、僕はこのひとに気を許したりはしていない。
 僕に興味をもっているからとかそういうことだけではなくて、その言葉や振る舞いのなかに、時折、奇妙な歪みを感じる。
 どこがどうとはわからないのだけど。
 とにかくあと三日。僕は心のなかで自分に言い聞かせていた。あと三日、きちんと仕事をしたら、アルジーといっしょに過ごせる。
 駄々をこねる子供みたいなカーライル氏をなんとかなだめて、僕は自分の部屋に戻った。 カーライル氏が借りているスイートの一室で、彼の寝室と隣り合った部屋だ。
 ベッドに腰かけると、正装用の白い蝶タイをほどき、ベストと上着を脱いだ。まだ眠るつもりはなかったけど、もっと地味なスーツに着替えてしまう。
 舞踏会で着ていたスーツのポケットから、シガレットケースをとりだした。縁飾りに葡萄をデザインした銀製のそれは、ニューヨークに来て半年の間こつこつとお金をためて骨董屋で買ったものだ。前にアルジーがこちらに来たときに贈ろうと思っていたのだけど、いざ顔を合わせてみると、彼の趣味にはそぐわないような気がして、渡しそびれてしまった。
 仕方がないので、そのまま自分で使うことにした。といっても、僕は煙草を吸わない。かわりにアルジーからもらった手紙をしまっておくことにしたのだ。
 そっと蓋をあける。もちろんすべての手紙は入らないから、一番最近もらった手紙と、一番最初にもらった手紙をいれている。
 もらった手紙は何度も読み返す。一度読んでいるから、安心していられるし、なんだか春の陽だまりにいるような幸せな心地になる。
 毎回、返事を書かないのは、やはり悪かっただろうか。
 だけど僕には、アルジーのように巧くは書けない。書くこと自体は嫌いではない。むしろ好きな方だ。
 でも、アルジーへの手紙だけがうまく書けない。伝えたいことを言葉でまとめることができない。
 会いたい気持ちがふくれあがってきて、日常のことなどどうでもよくなる。アルジーのことだけしか考えられなくなりそうでこわくなる。そして心配になってくる。アルジーはちゃんと眠っているだろうか。食事をしているだろうかって。
 それに。
 本当にまだ僕を必要としているのだろうか。
 今書こうとしている手紙が届く頃、ひょっとしてアルジーは僕のそばにいたいと願ったことを悔やんだりはしていないだろうか――
 理屈ではそんなことはありえないとわかる――頻繁に送られてくる手紙からは、彼の想いを読みとることができる。
 それでもどうしようもないのだ。不安はまるで心に染みついてしまったようにはがれない。アルジーの心変わりを案じるだけではなくて、安堵してしまったら、よくないことが起きるんじゃないかっていう、なんだか馬鹿げた怖さもある。
 そして、いつも書いたばかりの手紙を、僕は破り捨てる。もっと無難な手紙を書き直そうとして、しだいに言葉を失っていく。
 そんなことを思い返しながら、シガレットケースをそっと撫ぜた。
 今頃、アルジーはどうしているだろう。
 彼の強引さに、さっき僕は勝手だと腹を立てた。でも彼が僕と過ごしたいと望んでいるのは嬉しかった。
 だって僕だってずっと会いたかったし、いっしょにいたいと願っている。望みや願いが同じだと不安は消えていく。
 でもアルジーは僕が不精して手紙を書かないと思っていて、そのことで幾らか気持ちを傷つけられていた。さっきキスのあと、逃げ出すみたいに僕が出て行ったことだって不愉快に思っているだろう。
 手紙のことはもう仕方がないけど、会えて嬉しいことだけ、ちゃんと伝えておきたい。
 迷ったけど、僕は眠る前にもう一度、アルジーの部屋を訪ねることにした。
 ところが――
 僕が彼の部屋に面した廊下を曲がったとき、扉の前には先客がいた。
 濃紺のガウンをまとった、すらりとした女性。濃いベールで顔を隠している。
 彼女がノックをすると、扉はすぐに開いた。
 アルジーの姿がちらりと見えた。
 あらかじめ示し合わせていたかのように、何の躊躇もなく、ベールの女性は部屋に入っていった。


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