ふさわしい召使~トルヴァン伯爵家の事情(1/2)


 好きなんだ、あんたのこと――

 突きつけられた言葉を思い出して、デレクは小さくため息をついた。
 言葉を放った少年は普段勝気なのに、その瞬間だけ、泣き出しそうに顔を歪めていた。
「困ったな……どうしたらいいだろう」
 デレクはもう一度ため息をついて、かたわらに控えているアルフレッドを振り返った。
 ロンドンのトルヴァン邸を預かる執事、アルフレッド・ハリスンは、いつもと変わらぬ落ち着き払った態度を崩さず、デレクのカップにコーヒーを注いでから、ひとつの提案を口にした。
「ギボン様にご相談されてはいかがでしょうか」
「パイクに? なぜ?」
「こと今回の件に関しては、あの方の助言に頼るのが賢明かと――あの少年のこともご存知でいらっしゃるのですし」
「確かにパイクはテッドとの出会いの場に居合わせたが、だからといって彼に今回のことまで話すのは気が進まない」
 デレクは不機嫌に言う。
 パイクならば、有益な助言を与えてくれるだろうが、その前に思いきりからかわれるに決まっている。 
 アルフレッドは、わずかに片方の眉をつりあげて、若いあるじを見下ろした。
「旦那様。二週間前、旦那様があの少年を屋敷に連れて来られたときのことをご記憶ですか?」
「覚えている。おまえは、テッドを雇うことに反対した」
 デレクは拗ねたふうに言って、コーヒーカップを口元に運んだ。
 二週間前、見ず知らずの少年を屋敷に連れて帰ったのはデレクだった。
 テッド・シーモアと名乗る少年は、年は十三か十四。漆黒の髪と瞳、そして浅黒い顔は彫りが深く、南欧の血が混ざっているようだった。なかななか凛々しい顔立ちをしていて、けばだったジャケットも帽子も、明らかに古着だが、着こなしのセンスが良いせいか、さほどみすぼらしいふうには見えなかった。
 この少年に何か仕事を紹介してやりたい――。
 あの日、デレクはアルフレッドに相談したのだ。
 アルフレッドは最初からいい顔はしなかった。
 およそ感情の読み取れない目で、テッドを頭から爪先までざっと検分したが、少年には一言も声をかけずに、デレクに向き直った。
「今日は確かウィンスレット嬢への贈り物を探しに行かれたのでは?」
「うん、それでキューガーデンを散歩していたんだ。テッドとは植物園を出たところで出会った。財布を……」
 デレクはちょっと言いよどみ、それから少しばかり早口につづけた。
「財布を拾ってもらったんだ」
「さようでございますか」
「うん、そうなんだ。それで何かちゃんとした仕事を紹介できないかと思って、連れてきたんだ」
「働きぶりはおろか、身元すらはっきりしない人間を、トルヴァン伯爵家の名で推薦するのは如何なものかと存じます」
「暫くこの屋敷で働かせることはできるだろう? その間に、私やおまえがその仕事ぶりを判定すればいい。何ならずっとここにおいてもいいと思う」
 楽天的なデレクの言葉に、アルフレッドは眉をひそめてみせた。若い主人の軽はずみを、暗に非難しているのだ。そして端的に意見を述べた。
「お屋敷勤めに向いているとは思えません」
「そんなことはない」
 傲慢な口調で執事を遮ったのは、デレクの後ろでふたりのやりとりを聞いていたテッドだった。
「あと数年もすれば、あんたに代わって、ここの執事だって務められるさ」
 アルフレッドは無表情にテッドを一瞥し、きわめて慇懃に言葉を返した。
「私の考えでは、それはまずムリでしょう」
「なんだと?」
「テッド!」
 険悪な雰囲気に、デレクが割って入った。
「いいか、テッド。ここで働くなら、アルフレッド……いや、ミスター・ハリスンの言いつけに従わなくてはならない」
「わかってるさ」
 テッドは、ぐいと胸をそらして言った。
「だけど、それはオレがここで働くって決まったあとのことだ」
 アルフレッドは偉そうな少年をまじまじとみおろして、それからデレクの方に向き直った。
「旦那様、ひとつだけおうかがいしたいのですが、ギボン様はこの件についてどのような意見をお持ちなのでしょうか」
「パイクは特に意見を口にしたりはしなかったが」
「そうですか。ギボン様は何も……」
 アルフレッドは、ため息をつきたいのを堪えているような顔つきで頷いて、渋々とだがテッドを雇い入れることを承諾したのだ。
 一連の出来事を思い返して、デレクはぼやいた。
「まさか、こんなことになるなんて思いもしなかった」
「……予想されなかったのならば、旦那様が迂闊だったと言わざるをえません。ご自身の財布を擦られたというのに」
「そうだけど……あっ」
 うっかり答えてから、かまをかけられたことに気づき、デレクは真っ赤になった。
「卑怯だぞ、アルフレッド」
「お言葉ですが――」とアルフレッドは無表情に反論した。
「まだ旦那様を坊ちゃまとお呼びしていた頃でしたら、こうした嘘にはもっと厳しく対処したでしょうね」
 デレクは上目遣いにアルフレッドをにらんだが、執事は淡々と言葉をつぐ。
「ともかく今はもう旦那様はご自身の行為に責任をもつことができるくらいに大人なのですから、私ができることといえば、せいぜいご忠告申し上げることくらいです。あのとき、旦那様は私の忠告をお聞き入れになりませんでしたが……」
「今度はちゃんとその忠告を聞き入れろと言いたいのか」
 不機嫌に言ったが、どうやら他に解決策を探る道はないらしいと、デレクはもう一度深いため息をつき、立ち上がった。
「パイクに相談する」
「それがよろしいかと存知ます。お仕度を」


    
 テッド・シーモアとの出会いがキューガーデンで、マチルダへの贈り物を決めた帰りというのは事実だが、財布を拾ってもらったというのは嘘だ。
 アルフレッドが見抜いた通り、テッドはデレクの財布を擦ろうとしたのだ。
 あの日、何を贈れば喜んでもらえるか考えながら、マチルダの大好きな植物園を散策するうちに思いついたのが、珍しいシダのテラリウムだった。
 少女の喜ぶ顔を想像して、心のなかにふわりと温かな気持ちが広がったとき、前方から駆けてきた少年が、とん、とデレクにぶつかった。小さく詫びる言葉を呟き、そのまま駆け去ろうとした。
 だがデレクは、咄嗟に彼の懐から財布を抜き取った手を捕らえていた。
「なにすんだよ、放せ!」
 少年は、デレクの手を振り払い、勢い良く悪態をついたものの、自分を捕らえた手の主を見上げた瞬間、ぽかんと口を開けたまま、言葉をとぎらせた。
 黒の双眸に広がったのは、確かに賛美と憧憬の色だった。ちょっと唖然としたふうにデレクを見つめていた。
「今、私の財布を盗っただろう?」
「知らない」
「嘘をついても無駄だよ。上着を調べたら、すぐにわかる」
 すると、少年の黒の瞳がきらりと光った。憧れの色は打ち消されて、敵意と反抗にとってかわる。ジャケットのポケットからデレクの財布を取り出すと、地面に叩きつけるように投げつけ、ふてぶてしい態度で言った。
「財布はそこに落ちてるぜ」
 その開き直りに、デレクがあっけにとられていると、少年は傲然と頭をあげたまま、尚も言った。
「金持ちのくせに、財布のひとつやふたつで、ケチケチするなよ。巡査でも呼ぶ気か」
「いや……そういうつもりはない」
「だよな。オレがとったって証拠は、もうどこにもない」
 植物園前の街路で、通行人の目がふたりに集まった。なにしろ、ひとりはしゃれた身なりの青年貴族で、ひとりは浮浪児とまではいかなくても、おそらくは労働者階級の出。およそ接点がありそうにない組み合わせだ。
 それに、デレクは何もしていなくても人目をひくのだ。その端麗な容姿と優雅なしぐさに、人の視線はつい吸い寄せられる。
 通りかかった年配の紳士が財布を拾い上げて、デレクに手渡し、何か問題が生じているならば巡査を呼びましょうと申し出たが、彼はやんわりと断った。
 少年にも言った。
「訴えたりする気はないよ。プロの窃盗集団に入っている様子でもないし、出来心だろう?」
「大きなお世話だ。だいたいプロかどうかなんて、あんたにわかるのか?」
「だって、プロはたいてい三人くらいで、もっと効率よく仕事をするだろう?……少なくとも、ディケンズの小説だと……」
 デレクは、諭すように続けた。
「本当に困っているなら相談にのるけど、盗みはよくない」
「相談にのるって?」
「うん。困っているなら……力になれることがあるかもしれないと思うんだ」
「スリかもしれないオレに?……施し? 金を恵んでくれる?」
 刺々しく挑発的な少年の言葉を、デレクは柔らかに受けとめた。
「当座、どうしても必要なものがあるならね。きみは、仕事はしているのかな」
「してないよ。仕事なんか」
 労働など忌むべきものだと言わんばかりの態度で、少年は言った。
 デレクは小さくため息をつき、できるだけ非難がましく聞こえないよう、言葉を選びながら言った。
「きみは健康そうだし、探せば仕事は見つかるはずだよ。他に収入を得る手段があれば、他人のものを盗んだりする必要もないだろう?」
 話しながら、デレクは自分自身を振り返っていた。二年前、精神的に不安定な状態でいた頃、彼は盗癖に悩まされていた。
 もちろん、このスリの少年は、そんな病的な発作で、デレクの財布を抜き取ったわけではなかっただろう。
「本当に財布のことはいいんだよ。だけど放っておけない。相談にのるよ。ここではなんだから、私の屋敷に……」
 途端、 少年は思いきり顔をしかめ、全身の毛を逆立てた猫のように唸った。デレクの言葉を曲解して受けとめたらしい。
「屋敷で相談? どんな相談さ! このスケベ野郎」
 デレクは少年の反応に戸惑ったが、生じた誤解に気づいた瞬間、真っ赤になった。
 誤解を解こうと口を開きかけたとき、車道に二頭立ての幌付箱馬車が止まった。デレクが顔を上げると、馬車の扉が開き、なかの人物がデレク達を手招いたが、それがラングデルール・パイクだった。
 この偶然を、デレクはさして怪しむこともなく、ほっとして少年とともに馬車に乗り込んだのだ。
 アルフレッドは、このときのパイクの対応に興味を示したが、とりたてて変わったことはなかったと、デレクは思う。
 デレクがスリの少年に何か仕事を世話するつもりだと知ると、呆れたふうではあった。
「デレク、きみは彼に仕事を紹介するつもりかもしれないが、本人が何と言うかだ」
 パイクは些かそっけない口調で言って、少年に視線を移した。その眼差しには、どこか言外の圧力をかけるようなところがあった。
 少年はぴくりと頬を震わせた。上目遣いにパイクを睨みつけたが、すぐにふいと視線を外した。それから、まっすぐにデレクを見つめ、口を開いた。
「いいよ」
 少年は、先刻の反抗的な態度を脱ぎ捨てていた。どうやら誤解はとけたらしいと安堵したデレクの目を、まっすぐにみつめて言う。
「あんたと行く」
 パイクは眉をひそめ、非難するような視線を少年に向けた。だが、言葉は発しなかった。
 デレクは少年に優しく微笑みかけた。
「自己紹介するよ。私はトルヴァン伯爵デレク・ダウニー」
 そして問いかけた。
「きみの名前は?」
 この問いを口にしたとき、デレクの頭にはある人物のイメージがよぎった。今回に限らず、「名前は?」と尋ねるたびにデレクはそのひとのことを思い出して、何となく落ち着かない心地になる。
 だがもちろん相手にとっては、それはたわいない、ありきたりな問いだった。
「テッド・シーモア」と答えは、ためらいなく返ってきた。
 よろしくと、あらためて挨拶を交わしたとき、今度のようなトラブルが起きるとは、デレクは夢にも思わなかった。


……
 昨夜のことだった。
   
  好きなんだ

 その言葉の意味を、デレクは最初、正確に理解できなかった。
 そのとき彼は眠っていて、真摯な告白を耳にして、目を覚ましたとき、まだ半ば夢をみている心地だった。誰かが覆いかぶさるように自分を見下ろしているのに気づいたが、状況は把握できなかった。
 ベッドサイドの読書用ランプが灯っていて、部屋は柔らかに淡い闇に浸されていた。
 静寂のなか、デレクは横たわったまま、少年を見上げた。
「テッド?」
 確かめるように名を呼んだ。
 どうしたんだ、と問い、同時に先ほど確かに聞いた少年の言葉を思い出した。
「好き、って言ったんだ」
 テッドは、かたくなな声でくりかえした。
 いつも勝気で、時には傲慢な表情をみせていた少年の顔が、薄闇のなかで泣き出しそうにもろく見えた。
「愛してる」
 思いがけない告白を今度ははっきりと耳にして、デレクはあっけにとられた。
 相手を押しのけて、叱責すべきだと思ったが、憤るよりも先に、困惑してしまった。
 少年の黒の瞳がきらりと光った。自分の想いが通じないことへの苛立ちの色。痛み。そしてほんの少し子供っぽい癇癪――
 テッドは、怒ったような顔つきで、唇をきつく引き結んだまま、デレクに顔を近づけた。
 だがこのときには、デレクはもうすっかり目を覚ましていたから、片手で少年の上腕をつかんで、押しとめた。
「テッド、やめるんだ」
 厳しい声で叱りつけ、おもむろに上体を起こした。
「いったい、どういうつもりだ?」
「好きだって、言っただろ」
 ほとんど喧嘩腰の口調だ。
 黒の瞳に挑むような光を浮かべて、まっすぐにデレクを見つめて言う。
「あんたはとても綺麗だし、優しいし、すぐに好きになって、何が悪い?」
「テッド……綺麗だっていうけど、私は女じゃないぞ」
「そんなこと、わかってる。問題ない」
「問題なくはない……だろう?」
「ないよ。そんなに珍しいことじゃないし、ばれなきゃいいんだ。オレは気にしない。未経験でもないぞ。……まったく、どうでもいい奴は、すぐになびくのにさ。あんたはものすごく鈍いし、ぜんぜんわかってないし、なんでだよ」
「なぜって……」
 少年はふてくされた態度で、デレクからすっと身を放すと、ベッドの端に腰かけた。
「もちろんソクバクする気はないよ。今はさ。最終的には俺だけのものにしたいけど。でも今、あんたが女優と付き合っているって噂は、知ってるし、そのことは、オレ、気にしない」
 デレクはかすかに頬を赤らめた。
 年上の女優、ケイト・マリナーとは確かに一時恋愛関係にあったが、今は良き友人という間柄だ。もともと真剣な恋ではなくて、互いに遊びと割り切っている部分が強かった。
「それにしても、いったいどうしてそんなことを知っているんだ?」
「好きな奴のこと、知りたいと思うのは、当然だろ」
 テッドはそう言って、ぐいと体を寄せると、デレクの首に腕をまわした。
 まるで恋人に甘えるようなしぐさじゃないか、とデレクは少々間の抜けたことを思い、今まさにそうした意味で迫られているのだと再認識する。

 パブリック・スクール時代も含めて、過去にもこうした経験はないわけではなかった。いや、むしろ平均よりは多く経験しているかもしれないデレクだったが、慣れるということはなくて、たいていの場合、困惑してしまう。
 そして同時に、相手も困惑させてしまうのだ。
 なにしろデレクは、社交の場ではきわめて友好的で付き合いも良く、都会的に洗練されていて、会話も機知にとんでいる。流行にも敏感で、いかにも遊びなれたふうに見える。
 デレクを口説く紳士方は、すんなりと受け入れられるか、抵抗されるか、はたまた軽蔑と嫌悪に直面するか、のどれかを想定している。
 ところが、そのどれでもない素直な「当惑」に直面すると、口説くのには調子が狂い、無理やり押し倒してしまうには、どうにも勢いがつかない……という、きわめて間の抜けた状態に陥ってしまうのだ。
 口説いている途中で、笑い出してしまった男もいたな、とデレクは思い出す。
 オックスフォード大学の二年目に知り合ったその男は、ヨーロッパの小国の次期君主だった。オックスフォードには、妻子を国に残しての留学だったが、勉強よりもむしろ社交を楽しんでいたような節がある。
(それにしても……状況的にはあのときと似ている)
 今回同様、寝込みを襲われて、唐突に愛していると告白されたのだ。
 相手はデレクより十ほど年上で、体格もずっと良かったから、考えてみると随分と危険な状況だったのだが、結局、男は何もしなかった。
  『間の抜けた失恋だが、思い出としては楽しいものになるだろう』などと、いかにも遊び人らしい台詞を残して出て行った。
 その前に、頬にキスをされたが。
(あの状況でその程度で済んだのは、何事もなかったのと等しいだろう……)
 思い返して、眉間に小さく皺をよせたデレクに、テッドが怒った声で言う。
「俺のこと、嫌いなのか?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「だったら、女の方になるのが、いやなのか?」
「え?」
 デレクは何を言われたのかを、数秒後に理解して、更に数秒間絶句した。
 テッドは、その間、何か真剣に悩んでいたようだが、ややあってきっぱりと言った。
「だけどオレもそれはやだ」
「テッド」
 デレクは、大仰にため息をついた。
「馬鹿なことばかり言ってないで……」
「馬鹿なことじゃない!」
 テッドは激した表情で叫んだ。
「オレは断然本気だ。なんでわかってくれないんだよ」
 少年の真剣な気持ちを傷つけてしまったらしいと察したが、そのときにはデレクは少年の体重に押し倒されていた。
「テッド――」
 名を呼んだ唇に、少年の唇が触れそうになる。だが、触れ合う寸前に、少年は、す、と遠ざかった。
「――!何するんだよっ」
 テッドが罵声をあげた。大きな手に背後から襟首をつかまれて、デレクから引き離されたのだ。
「アルフレッド」
 デレクは顔をあげて、執事の名を呼んだ。
 執事は、じたばたと暴れる少年を片手でつかんだまま、部屋の灯りを明るくともした。
「失礼いたしました。不審な物音が聞こえましたので、何かあったのかと」
 あくまでも冷静沈着。何が起きていたのか、もちろん把握しているはずなのに、そんなことはおくびにも出さない。
 デレクはやっと上体を起こすと、小さく咳払いした。危地を救われたわけだが、きまり悪い。そっけない口調で、我ながら白々しい言い訳を口にする。
「何でもない。テッドはちょっと寝ぼけて……」
「寝ぼけてなんかない!」
 少年は大声をあげたが、その顔は泣き出しそうにみえた。敏捷な動きで執事の腕から抜け出し、きっとした目で睨みあげたあと、部屋を飛び出していった。
 デレクは、薄闇のなかに開け放たれた扉を見つめた。困ったな、という気持ちが強くて、深くため息をつく。
「お怪我はありませんか」
 アルフレッドの声に我に返った。
「大丈夫だ」
 もうさがっていい、と言ったが、アルフレッドは物言いたげな顔つきで、動かない。
「なんだ」
「いえ、少し着衣が乱れておいでなので……それでも未遂に終わったようですね。幸いにも」
「未遂……って」
 デレクは真っ赤になった。
「おかしなことを考えるな。テッドはちょっと混乱していただけだ。あんな告白をしたけど、それ以上、何かする気があったわけじゃないだろう」
 キスはされそうになったが。
「テッドは、まだ子供だ」
「旦那様は、警戒心がなさすぎます」
 非難がましさはなく、事実を淡々と述べる口調で、執事は言う。
「同性のご友人達のなかで、旦那様に友情以上の想いを寄せていらっしゃる方がいると疑ってみたことはございませんか」
「そういうことを言ってくるひとがいないわけではないけど、どれもきちんと断っている」
「あからさまな態度を示さずとも、特別な好意をもってらっしゃる方々のことですよ。お心当たりはございませんか?」
「ない」
「それはきっと旦那様が鈍すぎて、お気づきにならなかったのでしょう。このお屋敷にお越しのご友人のなかにも旦那様に想いを寄せてらっしゃる方はいらっしゃいます。複数」
「複数?」
「複数です」
「アルフレッド」
 デレクはすねたような顔つきで、執事を睨んだ。
「おまえは、私を人間不信にしたいのか?」
「滅相もない」
 アルフレッドはやはり淡々とした口調で答え、恭しく一礼して、退出する間際に言った。
「ただ事実を申し上げただけでございます」


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