よく晴れた日のことだった。照りつける太陽に首筋をじりじりと焦がされながら、外仕事をしていたときだ。トランシーバーから雑音交じりの音声が聞こえてきて、ラコステは作業を中断した。ブラッシング途中の番犬たちに“待て”と指示を出して無線機を取る。
「こちらロッコバロッコ、どうぞ」
「ロッコバロッコ、……ザザ……こちら、ホワイト……ザー……ネイクだ。君に伝えたいことがある……」
「ああ……」思わず声がもれた。そういえばそんなやつもいたなと二週間近く前のことを思い出す。
 子ワニが一匹死んだ日から今の今まで、ホワイトスネイクは一度もラコステに接触してこなかったのだ。もう少し放っておかれたら忘れてしまったかもしれない。彼には仕事を依頼されていたが、その内容――面会や釈放などの正規ルート以外で、部外者と囚人の出入りをさせないようにすること――が普段の業務とさして変わらなかったので、とっくに記憶の端へ追いやっていた。スタンドを使ってワニの世話をこなすことに夢中だったというのもある。
 ホワイトスネイクは「君に伝えたいことがある」と繰り返してから、本題に入った。
「農場に番人を置いた……ザーッ……君と……利害の対立はしないだろう……ガガッ……見慣れないものを見かけても、そういうわけだから……ザザ……よろしく頼む……以上だ……」
 そこでブツッと雑音が切れる。ラコステは「了解」とだけ返してハンドマイクを元に戻した。
 刑務所の一角に見張り番を置けるということは、やはりこちら側の人間なのだろうか? 疑問はあったが気にしないことにした。自分には関係のないことだ。


 そう思っていたのだが、結論から言うと、無関係ではいられなかった。
 昼食をワニに届けて、鋭い牙が新鮮な鶏肉を引き裂いていくのを眺めていたときだ。コン!と音がして、足元に置いてあったバケツが弾き飛ばされた。
 はじめはワニの尻尾にでも当たったのかと思ったが、バケツは誰もいない草の上に転がったあと、もう一度跳ねたのだ。ひとりでにバケツが跳ねた。
 ラコステは警棒を抜いてゆっくりと銀色のそれに近づいた。警棒の先で軽く突き飛ばしてみる。数秒待ってみたが、バケツはもう勝手に動いたりしなかった。何も異常はない。ただのバケツだ。
 では何がバケツを動かしたのだろう?
 ラコステが眉をひそめてバケツを睨んでいると、後ろから大きな声でワニが吼えた。ガラガラ、ゴロゴロと独特の音で何かを威嚇している。
 急いで振り向くと、そこにはワニと、ワニでないものがいた。ワニが襲われている!
「スクリレックスッ!」
 ラコステはすぐにスタンドを発動した。体長より深い沼を作ってしまえば地上の生物は抵抗できない。浮かんできてもワニに食われるだけだ。
 案の定、不審な物体はみるみるうちに引きずり込まれていった。トプンと小さな音を立てて、頭の先――なのだろうか? あまりに奇妙な風体なので本当に頭なのか分からない――まですっぽりと水中に沈む。
 一秒経ち、三秒経ち、十秒経った。ラコステは水面を睨みつける。おかしい。水死体が浮かんでこない。
 そのときだ。ラコステのいる場所からは程遠いところで、ザバッと水面を突き破る音がした。顔を上げると、少し離れた場所で休んでいたワニの背後に“それ”がいた。両手を振り上げて、今にもワニに飛び掛ろうとしている。
 しかし次の瞬間。相手は勢いよく吹き飛ばされた。スクリレックスの外の硬い地面にまで飛んで、したたかに体を打ち付ける。
「……残念だったな。ワニの武器は牙だけじゃあない……」
 ワニはその長く太い尻尾でもって相手を殴りつけるのだ。小さい生き物の骨くらいなら軽々と粉砕する。背後に立ったのが運の尽きだ。
 ラコステは水面を自分の歩くところだけ地面に戻しながら沼を出て、倒れこんでいる“それ”に近づいた。蹴って仰向けにする。はじめから分かりきっていたことだが、どうも人間ではないようだ。
 不審者の扱いになるから、一応警備主任に連絡を入れなければならない。警棒を仕舞ってトランシーバーのマイクに手を伸ばす。
「――! ――!!」
 背後から、声とも鳴き声ともつかない妙な音がした。ワニのものではない。背後を見ると“それ”が再びワニに襲い掛かっていた。声はそいつのものだ。
 けれどあれはここにいるはず――困惑しながら足元に視線を戻すと、やはりその体が横たわっていたが、ラコステが蹴ったところからボロボロと崩れ落ちていた。まるで土くれだ。
 一体何なのか? しかしそんなことはどうでもいい。ワニを守らなければ。
 そう思って数歩走ったものの、ラコステは沼に入る前に足を止めた。ワニたちが寄ってたかって相手の腹や足に尻尾をぶつけて攻撃している。相手はもうサンドバッグのようになっていた。自分の出る幕はない。
 しかし、あることに気づいた。“それ”が何か喋っているのだ。ワニたちが一呼吸も入れずタコ殴りにしているので途切れ途切れになっているが、さっきまで何の意味も成さない雄たけびのようだった音が、今はこう聞こえる。「ママ」と。
 ラコステは沼の真ん中まで歩いていき、ワニたちを落ち着けた。沼の形を変え、ワニを川のそばに誘導する。水が引いた地面の上で、“それ”は身じろぎながらぽつりと言った。「ママ……」
「……お前、喋れるのか? 人間なのか?」
 “それ”が顔を上げる。思いのほか元気なようだったので、ラコステは警戒してそいつの腰のあたりを踏みつけた。体重をかけても、今度は崩れない。
「……おまえ、しる……おまえ……とり、めし……」
「なんだ? はっきり言え」
「おまえ……しる……にく……」
「肉? 肉がなんだ?」
「にく……とり……」
 壊れたレコードのようだ。“それ”が発するのは単語ばかりで、それも「おまえ」「しる」「とり」「にく」「めし」の五つだけだった。いや、「ママ」を含めれば六つか。
「……お前、喋れるのか喋れないのか、どっちなんだ。英語が喋れないのか?」
「しゃべる」
「なら喋ってみろ」
「しゃべる」
「それは分かったから」
「わかった」
 ラコステは眉を片側だけ引き上げた。反復している。
 真似をしているだけだろうか? オウムや九官鳥よろしく、音だけを無意味に繰り返しているのだろうか?
しかし「ママ」や「にく」のように、相手はラコステが口に出していない単語も喋っていた。
「……もしかして、お前、学習しているのか? 人間の言葉を?」
「ことば……わかった……しる……おまえ……」
 やはり、単なるオウム返しではない。ラコステはそう判断した。相手には意思があり、それを極めて乏しい語彙の中からなんとか伝えようとしているようだった。


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