小さなころから人嫌いで、スクールバッグを背負うようになっても、刑務所の制服に身を包むようになってもその性分は変らなかった。いつもしかめっ面で最低限しか喋らない。それでも所長の甥だからと他の看守たちに気を遣われていたが、本人はそれをなんとも思っていなかった。人間は嫌いだった。特にミューミュー看守が一番嫌いだった。ワニ革のバッグを持っていたからだ。
「まあまあ、そんなに怒るんじゃあないよ。お前の悪い癖だぞ。ねえシャーロットちゃん?」
「そうよ!」左手のぬいぐるみが所長を後押しする。「あなたは昔からいっつもそう!」
 ラコステはむっとしながらも抗議の言葉を飲み込んだ。シャーロットが始めた昔話を黙って聞いてやる。他の人間がやったらすぐに部屋を出て二度と口も利かなかっただろうが、叔父だけは例外だった。好きとまではいかないが嫌いではない。毎週日曜日のミサのあとで、水族館――刑務所じゃあない、本物の方だ――に連れて行ってワニを見せてくれたのは叔父だったし、高校でワニの研究ばかりするラコステに唯一理解を示してくれたのも叔父だった。加えて今の仕事をあてがってくれたのも叔父なのだ。恩義を感じない方がおかしい。ラコステにだってそれくらいの人間性はある。
「ミューミュー看守が直接ワニを殺して皮を剥いだってわけじゃあないのよ? あなたの怒りはもっともだけど、だからって世界中のワニ革産業を壊滅させるのはムリ。あたしだってやれるもんならやっちゃいたいけどねッ!」
「そうだねシャーロットちゃん。割り切らないとね。それにラコステ、前にも行ったがミューミュー看守は有能なんだ。正当な理由なしに彼女をクビにはできない。我慢しておくれ」
「わかってます。大丈夫です。ただ、ときどきどうしようもなく怒りがこみ上げてくるだけなんだ……」
「ああ、ラコステ! ワニの味方! あたしのカワイコちゃんッ!」
 キンキンした裏声で叫びながらシャーロットが身をよじる。ラコステはへたくそな愛想笑いでそれを受け流した。幼いころの遊び相手だったこの人形にも恩はあるが、ラコステは本当に好きなのは本物の方だ。ワニの形をしただけの布と綿じゃあない。
「そう、それで……ラコステ、お前を呼んだのは他でもない、重大発表があったからだ」
「なんですか?」
「私がこの座についてもう三年……この三年でやったことといえば、ランチメニューを二種類増やした事とこの所長室の模様替えくらい……もうそろそろ、本格的に“改革”をしてもいいと思うわけだ……」
「なんの改革?」
「警備の改革よッ!」
 突然シャーロットが目の前に身を乗り出してきたので、ラコステは思わず一歩引いた。
「もォォ〜〜〜シャーロットちゃん、そこは私に言わせておくれよォ〜〜〜〜!」所長が困ったように眉を下げる。「まッ、そこがチャーミングなんだけどねッ!」
「叔父さん、警備の改革って?」
「ああ、そうだそうだ……それはな、今、お前が面倒を見ている番犬がいるだろう? ジャーマンシェパードの……」
「はい、います」
「しかしだ、あれはどうも品がよくない。吠えるし、ハアハアうるさいし、濡れるとすぐブルルルッてやって周りをびちゃびちゃにするし……」
「それにすっごく臭いッ!」
「そうだ! それもある!」
 シャーロットと所長が向かい合ってぺちゃくちゃと犬の悪口を言い始める。ラコステは折を見て口を挟んだ。「叔父さん」
「吠えるのと息切れがうるさいのはどうにもなりませんけど、臭いは最近ましになりましたよ。僕がちゃんと洗ってやってるから」
「ほんとうに? お前は働き者だなァ。縁故採用のボンクラと言うやつもいるが、私はちゃあんとお前の働きっぷりを見込んで雇ったんだ」
「それで、番犬がどうしましたって?」
 叔父に任せていては一向に話が進まない。ラコステが先を促すと、ロッコバロッコはにんまりと目を細めて言った。
「ワニがいい。犬よりもワニだ。ワニをセキュリティにするのがいい」
 もう準備は進めてある、と言ってデスクの書類の山を漁り、大きな茶封筒をラコステに放って寄越す。受け取ったラコステが中を開けてみると、そこには見知った施設の名前があった。よくワニを見に行った水族館だ。本物の。その下には、この石の海に数十頭のワニを譲り渡す旨が書かれている。
「ワニはいい。静かだし、美しいし、それにスッゴク怖い。囚人を囲うのに最適だ」
「……僕もそう思います」
「だろう?」
 所長が満足げに笑みを作る。ラコステも微笑み返した。いつもなら無理やり作ったぎこちなさが残るが、今回は近年まれに見るほど自然な表情になった。「ラコステが笑ってるわ!」と叫んでいるシャーロットを尻目に所長室を出る。
 それからラコステは、スキップでもしたい気持ちを抑えながら自分の持ち場へ戻った。途中ですれ違った同僚がぎょっとして彼を見たが、全く気にも留めず、鼻歌交じりで廊下を歩いていった。
 ラコステは番犬の飼育係だ。その番犬に、ワニが加えられる。世話をするのは誰か? もちろん飼育係だ!
 それを思うと有頂天にならずにはいられなかった。ラコステの喜怒哀楽は全てワニに起因していた。これまでの十九年間ずっとそうだったし、このときはまだ、これからもずっとそうだろうと、誰もがそう思っていた。


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