おはなしまとめ | ナノ

11


 あと二時間で日付が変わると言う頃に業務が終わった。石田くんはまだ残ると言うので一足先に上がらせてもらう。いつも通りの「お疲れさま」と、コンビニで買ったチョコレートを彼のデスクに置いて会社を後にした。十月も中盤。夜の空気はひんやりとしていて、オフィスで暖まった体温を簡単に奪う。小さく身震いしてから駅までの道を歩いた。

「なまえちゃん!」
「あ、イタリアンの。ちゃん付けとは流石ナンパ師」
「はあ。こう見えても真面目なのよ?あの方が客受け良いからさ」

 肩を叩かれて振り返ればイケメン店員が笑顔を私に向けていた。かけられた声に思わず振り返ってしまったが、どうして彼は私の名前を知っているのだろう。あまりいい気分では無い。

「はいはい。それで何の御用?」
「冷たいなあ。お店に来ないから渡せなかったんだけどさ。此れなまえちゃんのでしょ?」
「あーボールペン!良かったあ」
「そんなに大事な物なの?」
「友達に誕生日プレゼントで貰ったものだから。ありがとう」

 手渡されたそれは数日前に失くしたボールペン。目にした途端ほっと心が安らいだ。矢張りお店で落としたのかとか、此処に名前が刻印されているから名前を知られたのとか、彼はよく私を見つけたなとか、情報整理で頭の中がいっぱいになる。それを一つ一つ片付けて、改めて「本当にありがとう」と伝えた。思っていたよりもオーバーな反応に引いたのか、少しの間を空けてイケメン店員は「ねぇ、」と言葉を発する。

「・・・お礼が欲しいって言ったらくれる?」
「うわ、現金な奴ですね。何ですかお金でも貪ります?」
「違うから。一杯付き合ってよ」

 獲物を狙う様な目付きにぞわりと鳥肌が立つ。作り慣れた笑顔にこの手の男は苦手だと再認識させられる。彼にとってボールペンを拾った事は、ただの良いきっかけに過ぎなかったのだ。ほんの少しだけ上がった好感度も一気に地に落ちた。

「知らない人とは飲まない事にしてるので」
「じゃあ御飯!お酒飲まなきゃいいんでしょ?なまえちゃん御飯は?」
「まだだけど・・・」
「じゃあ決まりね!嫌いなモノとかある?」
「特には無いけど」

 なんて強引なんだろうと思うも、抵抗も虚しく手首を引かれて歩く。チャラめな彼の事だから小洒落た店にでも連れて行かれるかと思ったのに、着いた先は築50年は優に超えているであろう古い木造の定食屋だった。
 こんな遅い時間まで営業している事にも驚きだが、会社の側にこんなお店があるなんて知らなかった。席に腰掛け壁に掛けられたメニューから私はとんかつ定食を、イケメン店員もといナンパ師はさばの煮付け定食を注文した。温かい御茶を啜りながら御飯を待つ。店内に広がる良い香りで今にも腹の虫が鳴りそうだ。

「そういえばナンパ師さんは」
「佐助ね、名前」
「私にそう呼べと?」
「え、名前呼ぶのすら嫌なの?俺様どんだけ嫌われてんのさ、連絡先渡されるのがそんなに嫌な事?」

 呆れ混じりのため息を零したイケメン店員は、肩を窄め手のひらを返して突き上げた。この反応は慣れている。大概の男はこの第一ステップで『この女、面倒臭い』と認識して、遊び相手を探したいだけの男はすぐ別の女に行ってくれる。きっとこの人だってそうだ。

「だって見ず知らずの人ですよ?普通に考えて怖いです」
「だから名刺を渡したんだけど」
「とは言え初対面だし」
「二度目でしょ、なまえちゃんが店に来てくれたの。で、いま会ってるのが三度目。これでもまだ見ず知らずの人?」
「何処の誰かは知れても、まだ壁はありますよ。その壁を超えてくるのはちょっと」
「それじゃあなまえちゃんと一生他人じゃん。なまえちゃんが何を気にしてるのか分かんないけどさ、なまえちゃんって子を知って、気になって、もっと知りたいと思って声かけたの。どうこうなりたい気持ちが無い・・・わけでも無いけど、今はどんな子なのか知りたい」

 気さくに声をかけて来るだけあって、彼との会話はするするとテンポ良く進む。何を言っても言い返して来る頭の回転の早さは関心する程だ。拒絶の意を示しているのにめげてくれ無い彼との会話は、これまでに無い新鮮さで建前と裏腹に少しばかり愉快だった。

「私これまで男運が悪過ぎて言い寄られるのとか怖くて、警戒心ってそんな簡単に消えてくれなくて正直いまも不快感マックスです」
「・・・怖い思いさせてごめんね。でもさ、ちょっとづつでもなまえちゃんが俺を知ってくれたら嬉しいなーなんて、贅沢?」

 狡い顔をする人だと思う。眉を下げて寂しそうな顔を見せられると嫌でも母性本能が働いてしまう。私の一番弱い部分かもしれない。けれど此処で目を逸らしたら負ける気がして、目の前の男をしっかりと見つめた。

「そんなに簡単じゃないですけど」
「分かってるよ。だからお互いにゆっくり、ね」
「見るからにモテるのに変な人」
「へへへ、これでも必死なんだぜ?」

 顔が良いだけでは駄目だと石田くんを見て思っていたけれど、更に口が上手くても必死になるとは。彼もまた何か問題を抱えているのだろうか、そもそも何も問題の無い人なんているのだろうか。気にはなるけれど、それを知るにはまだ早過ぎる。空いた湯のみを両手で包み込んで厨房の方へと目を逸らした。

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