おはなしまとめ | ナノ

07


 勝手に帰った事へ文句を言われると思っていたのに、石田くんは朝一で取引先に出向いていて居なかった。顔を合わせずに済んで良かったはずなのに、モヤモヤともジメジメともとれる感情が居座った。
 パソコンを立ち上げて自分の仕事に集中する。昨日の想定外の休みのせいで仕事がずっしりと溜っていた。しかし、あれだけの停電にしては大した被害は無かったようだ。

 簡単な資料作成をいくつかこなして、トイレに行こうと立ち上がる。廊下を歩いていれば、商談帰りのお客様が向こうから歩いてくるのが見えた。社内でお客様とすれ違うのは比較的よくある事。定められた社内ルールに従って、私は立ち止まり頭を下げた。けれど視界にある相手の足は動かない。困っていればお客様が笑った。

「Hey,久しぶりじゃねぇか」
「え?・・・あ、」

 聞き覚えのある声に顔を上げる。目の前にいる隻眼の男は私を見下ろしていた。出来れば二度と会いたくないと思っていた男、私が今でも処女である元凶とも言える男。その男の名を。

「伊達、政宗」
「よく覚えてたな、なまえ?」
「貴方こそ、よく私の事なんて」
「アンタだけだからな、付き合って抱けなかった女は」
「付き合った内にカウントされてないから。勝手に元カノにしないでよ」

 相変わらずの言いように、思わず言い返してしまう。勝手に言わせておけばいいのに。抗うだけ怪我をするのは私なのだから。そう分かっていても彼の挑発には簡単に乗ってしまう、それは昔からの癖みたいなものだろうか。

「まさか今もvirginだなんて言わねぇよな?」
「関係無いでしょ」
「Ha!Really?マジでそうなのか、変わんねぇな」
「貴方も相変わらずみたいね、じゃあ失礼するわ」

 この男とは会話するだけ時間の無駄だ、と背を向ける。しかし肩を掴まれて無理矢理に壁へ押し付けられた。急な衝撃に小さく悲鳴が漏れる。政宗はねっとりとした視線で私を見つめククッと喉を鳴らした。此処は一応会社なのだが彼は分かっているのだろうか。

「痛いんだけど」
「アンタが逃げようとするからだろ?やっと見つけたんだ、今度は絶対に抱いてやるよ。You see?」
「お断りします。死んでも嫌です」

 肩に置かれたままの政宗の腕を振り払い、追い込まれた壁から逃れようとするも力で敵うわけが無く。また、そんな抵抗では諦めないのがこの男である。女なんていくらでもいるのに中々にしつこい男だ。

「どうせこの様子じゃ恋人もいねぇんだろ?」
「だから、関係ないでしょ」
「オレが貰ってやるよ、なまえ。chanceをくれねぇか」

 耳元で、甘くすがる様に囁かれる言葉。敏感な耳は政宗の息に身体を震わせた。それを知っていてやるのだから性格が悪い。こうやって、これまで何人の女を自分のモノにして身勝手に捨てて来たのだろうと思うと鳥肌が立つ。

「もう私の中に踏み込んで来ないでよ、本当に貴方が嫌いなの」
「それは無理な話だな。なまえ、オレは」
「何をしている」

 言葉を遮られ政宗が舌打ちをする。現れた第三者に目をやれば其処には石田くんの姿があった。見慣れた姿への安心のせいか、私の右目からぽたりと涙が溢れる。

「貴様・・・なまえを泣かせるとは赦せん、斬滅してやる!」
「熱いねぇ、coolにいこうぜ?」
「政宗!本当にいい加減にして。此処に居るって事は商談で来たんでしょう?取引先でこれ以上馬鹿な真似をするのは止めなさい」
「本当、良い女になったななまえ。Ok,今日は大人しく帰る。だがな、諦めたわけじゃねぇ。See you.」

 政宗は満足そうに笑って、背中を向けて去って行く。自由に動かせるようになった身体は強張って思う様に動かず、力無くその場に座り込んだ。それを石田くんが支えてくれる。まさか政宗とこんな形で再会するとは、夢にも思わなかった。成長しない彼の言動に呆れと少しの悲しさが残る。

「なまえ、今のは貴様の何だ?」
「高校の後輩、昔からあんな感じで・・・ごめんね」

 私にとっての政宗はそれだけの存在。政宗は一つ下の学年で、部活も違えば委員会も被る事無く、ただめちゃくちゃイケメンがいる!と噂されているのを、何となく耳にした事がある程度の認識だった。
 実際に彼を目にしたのは、校舎裏の花壇に水を遣りに行った時。彼宛てのラブレターに書かれた時間に現れた私を、その手紙の送り主だと勘違いされたのだ。

「アンタか?オレのloverになりてぇってのは」
「いやいや、私ただ委員会の活動でお花に水を・・・って聞いてる?」
「Hum・・・悪くねぇ、」
「ちょっと、やだ」

 人の話も聞かないで、政宗は私をじっとり見つめてから強引に唇を奪った。みょうじなまえ、高校二年の夏にして人生初のキッスである。ふざけるなと引っ叩いて、告白なんかしてないと誤解を解いて。それで終ると思っていたのに、そこからの政宗がしつこかった。下駄箱での待ち伏せ、教室までお迎え。当然、付き合っていると噂もされたし、私に執着してくる政宗を愛おしく思う瞬間もあった。けれど彼と私の思考が交わる事は無いと、その年の冬に気付かされた。

 政宗に付き合って欲しいと言われ、考えたいと時間を貰った。その時すぐにイエスと答えるのが恥ずかしかっただけで、明日にでも付き合おうと思っていた、そんな矢先。政宗が知らない先輩とホテルに入るのを偶然見てしまった。砂でも飲んだかの様にザラザラする喉、声が出なくて、動けなくて、真冬の外で二人が出てくるまで3時間、私は其処に居た。見間違いだと、勘違いだと、自分に言い聞かせて。絶望すると分かっていながら。

「どうして政宗は私を好きだと、付き合いたいと言いながら他の女を抱くの?」
「オレが愛を感じられるのは、その時だけだからな」
「じゃあ抱かれたく無いと思う私の愛は政宗に届かないの?」
「・・・ああ、それに付き合えば抱けると思った。今時、virginなんて流行んねぇぜ?オレがなまえをheavenに連れて行ってやる」
「やだ、止めて!」

 私の夢を笑った。私の想いを笑った。もう付き合っているも同然なのだからと、無理に犯されそうになって逃げた。彼の中の方程式『愛=セックス』それは私には理解し難いものだった。それでも良いから、と彼の愛を欲する女は一定数いるようだけれど、その一瞬のみの愛など私には何の価値も無かった。
 それから必死に避けて、顔を会わせる事も無く高校を卒業した。しかし大学で再会して、地元の飲み会で再会して、忘れた頃に彼は私の前に姿を現した。そして、また。

 昼のチャイムが鳴り我に返る。最近、過去に浸る事が増えたのは年のせいだろうか。誰もこの廊下を通らなかった事にほっとして、石田くんに差し出された手を借りて立ち上がった。

「ありがとう石田くん」
「私も下の名で呼べ、拒む事は赦さん」
「・・・三成、ありがとう」
「ああ、構わん」

 これまで出会ったどの男とも、石田くんは違うと言う事はずっと前に確信していた。けれど、それでも怖くて踏み出せなかった一歩を、彼はそっと歩ませてくれる。彼は、私を裏切らないと言った。その言葉に賭けてみたい自分がいるのだから、少しは前に進めているのだろうか。

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