まぼろしが君になる位置

 
 保健医に就任してから1ヶ月が経とうとしていた。
 治癒個性は希少である。リンが雄英に来てからリカバリーガールは週に1回だった出張が2回へと増え、その分業務もリンに回ってくるが身構えていたよりも忙しくない。
 そうして学校が終わった後に土曜の夜勤だけ救命救急センターへ研修医として身を置くことになった。既に2回足を運んでいたが今のところ問題なく対応できている。


 今日はまだ1件も緊急搬送がないまま時計の針が日付を跨いだ。みんなが無事に過ごせているようでいいことだと思う。

 そんなことを考えながらうとうと船を漕ぎ出した頃、高速道路で規模の大きな玉突き事故が起こったと連絡が入って来た。

 眠気でとろけた意識を気合いで持ち上げ、トリアージの赤と黒を優先的に受け入れると返答すると15分もしないうちに院内は慌ただしく人が行き交いだして次々と負傷者が運ばれてくる。まさか嵐の前の静けさだったとは…。

「先にトリアージ黒5人到着しました!この後も黒の搬送続きます!」

 もはや目も当てられないほどに激しく損傷した遺体と分類される人体。車体に挟まれて回収に時間を要する状態でもトリアージ黒だけはその部位を切断して速やかに中枢神経部分を運んでくれと指示を下した。一般的に黒は既に生き絶え、救命不可能として搬送は最後に回されてしまうが私の扱う医療忍術にはまだ希望がある。


ーー印封印いんふういんかい

 印を結ぶと額に刻まれた白豪の印がうねり、まるでつぼみが花開くかのように大きく形を変えた。
 完全に事切れた人間が蘇生するかは分からない。身体はキレイに復元されるが生命活動の再開はその患者次第になってしまうからだ。

 ひとり、またひとり、並べられたむごい状態の遺体が人間の姿をとり戻す光景に誰もが釘づけだった。しかしさすがと言うべきか、命を扱う現場、圧倒されつつも各々自分のやるべきことを忘れずに手早く動き続けている。

「人手が足りません…!」

 心臓マッサージに人工呼吸、心肺蘇生を行う手は足りないが運ばれてくる人数の確定がしないうちは分身を作り出すためのチャクラさえも惜しみたい。しかし損傷した全ての神経と細胞が修復した今のタイミングで酸素を回さなくては助かるものも助からない。

「増やします」

 やらなくては助からない、もう答えは出てしまっている。医務室の壁際にある蛇口を捻り、勢いよく流れ出す水にチャクラを込めて水分身を生み出すとすぐさま救命活動にあたらせた。





 空も白んで来た頃。トリアージ赤の患者は全員容体が安定し、黒も後1人を残した全員が人工呼吸器から自発呼吸へと戻った。即死の状態から生き返ったことが奇跡だ。正直数人助かれば御の字だと思っていたからこの結果には驚いている。


「どちらの選択肢もあります。悲観的にならず前向きに考えてみましょう」

 怪我人はまだまだ多い。腕を失った人、脚を切断した人、自前の手足よりは使い勝手が悪いかもしれないが神経と繋げられた義肢の性能はかなり良い。見た目も生身に近いものもあればアート的なものまで種類がいくつもあって義肢に対してポジティブに受け取る人も少なくない。

 無くしたものを復元することはできるが生涯の内で回数の決まっている細胞分裂をここで消費するということはそれに伴って老いが進み、寿命が縮まるという意味だ。
 四肢欠損の状態で身体エネルギーの循環が定着すると復元は厳しくなるので答えを出す猶予は短くなってしまうが1週間の期限を設け、全てを説明した上で義肢にするかどうかの決断を患者に委ねたのでそれまで待つのが私たちの仕事になる。


 そうして意識のはっきりしている患者たちに話を終えたリンは束の間の休憩として喉の渇きを潤しながらスマホを手に取った。
 画面には既に彼が起きていてもおかしくない時間帯、リンは相澤にもうすぐ当番の医師と交代して帰るという内容のメッセージを送ってから最後の一踏ん張りだと自分を奮い立たせた。

 治癒の続きを行うべく病室へと足を進めるが、こんな多量のチャクラを一気に使ったのは初めてのことで身体がふわふわと落ち着かないような感覚が全身を包んでいる。周りの看護師たちも一睡も出来ずの忙しさで疲労の滲んだ出立ちを目にすると自分も含め地獄絵図すぎて場違いにも少し笑えてしまった。

 眠っている患者にチャクラを流した瞬間、視界が暗転してパチンと弾けるような明るさが一瞬まぶたの裏に広がった。

「!! 先生ッ!」

 自分の身に何が起こったか分からなかった。気づいた時には床に倒れ込んでいて、右のこめかみがじくじく痛み液体の流れる感覚に出血したなと冷静に思った。身体が重くて動かない、動かせない。口からは掠れた声が僅かに1度出たきりで呼吸は弱々しい。


 イヤだ、認めたくないがこの感じはもしかしたらチャクラを練るためのエネルギーが枯渇してしまったのかもしれない。
 限界とはこんな突然来るものなのか。まだまだいけると思っていたけど完全にアドレナリンによる錯覚だったようだ。なまじチャクラを練れる量が多いものだから自分の許容範囲を自惚れていたのかもしれない。まさか全て使い切るなんて夢にも思わず医療忍者が聞いて呆れる。エネルギー切れイコール死だ。

「反応なし!すぐにーーー」

 看護師が意識確認をしてくれているのを感じるが身体が言うことを聞かず指を動かすことすらできない。瞼がひどく重たくて開いているとも言えない目が小さくまばたきをする度に持ち上がらなくなってきている。このまま気を失ったら死ぬ。だめだと思っていても身体の生理的機序に抗うことは出来ず意識が沈んでいってしまう。

 一回だけ、体験したことがある感覚。寒い眠い、じわじわと迫る死の感覚に寝てはいけないと分かっているがそれに争うことは容易ではない。だんだんと手足が冷えていくような、背中に冷風が吹き抜ける感覚に身体が震えた。

 耳鳴りがうるさい頭のなかで相澤先生の姿が思い浮かんだのが最後、思考がぷつりと途切れた。
 


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