36.
「こんな時間にどこへ行くつもりだ? なまえ」
「! ゲンマ……」
突然手首を掴まれて弾かれたように振り向くと、額から汗を流し肩で大きく息をするゲンマがそこにいた。
「裸足のまま病院から抜け出して来たの? 駄目だよ。ちゃんと安静にしていないと」
「はぐらかすな。その荷物、一体どこへ行くつもりだったんだ?」
初めてこんなにも怒った顔を見たような気がする。今までどれだけ迷惑をかけても呆れるか仕方がないなと笑うか、そんな顔ばっかりだったから。
「何で来たの?」
「昔の夢を見てな。俺の勘を舐めんじゃねえぞ?」
目が覚めるや否や感じた妙な胸騒ぎを信じて良かった。本音と言えば、要らない心配をした。体中が痛いじゃないかと悪態をつきたかった。だが───。
「お前、まさか里を抜ける気か? ふざけんな!」
いつも髪をまとめるのに使っていたかんざし、下忍になった祝いにと贈った愛用の千本。何より机の上に放られた木ノ葉の額当てを見つけた瞬間、頭に血が上り目の前が真っ赤に染まった。
「もうここに戻る気はないってか? ついでに今までのことも全部清算しようって腹か? そんなことが許されると思ってんのか? あァ?」
本気で怒っている。それこそ、無意識に怒気が殺気へと変わっているくらい。この人から嫌なものを感じる日が来るなんて───痛い。
「次はだんまりか? よっぽど碌でもないことを考えているらしいな」
掴まれたままの手首の骨が軋み痛みを訴えてくる。でも、それよりも───。
「いつまでも甘い兄貴でいると思うなよ?」
違う。
「お前がそう言う態度ならこっちだって考えがある」
こんなことを言いたいわけじゃない。なまえには一人で抱え込んで欲しくないのだ。何か悩みがあるのなら話して欲しい。そうじゃないと俺は何のために側にいると言うのだ。
「不知火なまえ、お前を拘束する。尋問部隊に引き渡して洗い浚い吐かせてやるよ」
違う。違うと分かっているのに。俺が今すべきことはなまえの手首を握りつぶすことなんかじゃなく、優しく抱き締めてやることだ。悩み事があるなら俺も一緒に悩んで、望んでくれるならいくらでも力を貸すからと優しく声をかけてやることなのに。
「どうする? 大人しくついて来るなら良し。抵抗するって言うなら、怪我の一つや二つは覚悟しろよ?」
痛え。動いた所為で今にも開きそうな傷が痛む。だが、それ以上に───。
「捕まえる? ううん。あなたは何も分かっていない」
反対の手でゲンマの腕を掴み返した。この人はあんなことを言ったけれど、やっぱり甘いし優しいよ。だって私が触れた瞬間に反撃に出ることだって出来たはずでしょう。
「あなたがいつまでも甘い兄じゃないと言うのなら、私だってそうだよ。いつまでもあなたの後ろを追いかけている妹じゃない」
グググッと手の平に込めたチャクラを電気ショックの要領でゲンマの体に通過させる。
「! ぐっ……お前、何を……っ」
痺れた体は碌に動かない。ただでさえ入院するほどの怪我人なのだ。意識も直に飛ぶだろう。
ちくしょう。目の前がボヤけて───。
「お別れだよ。ゲンマ」
掴んでいたはずの手が緩みそっと床に下ろされ、なまえの足が窓枠にかかった。駄目だ。本当に行ってしまう。どうにか伸ばした手も虚しく空を切った。
「さようなら。私のことはどうか……」
許すな───とお前は一体どんな気持ちでそれを口にしたのだろう。なあ、なまえ。
痛え。声を上げそうになるくらい。
───心が痛い。
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