空音
10
――――あきよし?
それは、誰のことを表しているのか。
誰が、発したものなのか。
確かめようとして、でもできなかった。
被せられたジャケットを取り去ろうとする私の手を、アキが掴み、そのまま抱き寄せたからだ。
何なの?
「こんな時にどこ行って……って、その女、誰っスか!?何してるんです!?」
第三者の言う“その女”は間違いなく私のことで。
だとしたら、“秋吉さん”はひょっとしなくても、アキのこと?
「可愛い子がおったから、ナンパしててん。でも、お前があまりにも怖い形相で駆け寄ってくるから、ほれ見てみぃ。怯えてしまってるやないか」
「ナンパ……?あの秋吉さんが!?というか、ちょっと待ってくださいっ。その女の着ているジャージ、どこかで……」
ああ、やっぱり、“秋吉”はアキなんだね。
慌てる第三者を、アキは冷たい声で牽制した。
「好奇心は猫をも殺す、やで」
それはきっと、余計な詮索はするな、という意味なのだろう。
「で、でも、その女……まさか、あいつらの“姫”じゃ……」
なおも言い募ろうとする男の人に、アキは深いため息をつき、同時に、男の人から息を呑む音が聞こえた。
あいつらの姫、が何を指すのか分からないけれど、姫と言われてまず一番に思い浮かぶのは、高笑いをする来栖嬢の姿だった。
彼女は怒羅魂の姫だ。
でも、まさか……。
「か、勘弁してくださいよ!あーもうっ、俺は、何も見てないっスからね!とにかく、さっさと行きましょうよ!」
私についての詮索を諦めたのか、声の主は早くとアキを急かす。
……何をそんなに慌ててるんだろう。
アキは私に顔を近づけ、そっと囁いた。
「ええか、空音。あんたはあまり深く踏み込みすぎない方が賢明や。宇崎千歳をうまく味方に引き入れたみたいやけど、宇崎千歳にも、もちろん怒羅魂にも――これ以上自分から関わったらアカンで?」
まるで、自分のペットに言い聞かせるように。
優しくて、けれど厳しい忠告。
「じゃないとあんた、後戻りできんくなる」
それがアキの去り際の言葉だった。
「この上着はどうすれば……」
私のつぶやきは、誰に届くこともなく虚空に消えた。
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