郁ちゃんにあの手紙のことは話せなかった。
話さなかった、と言う表現の方が正しいのかもしれない。
「あ、郁ちゃん。私そろそろ行くな、次移動教室やねん」
「ん」
「いつも弁当ありがとう」
空の弁当を持ち、私は中庭から去る。
校舎に入り、ちょうど曲がり角を曲がろうとした時、私の不注意で人にぶつかってしまった。
「す、すみません」
「あ……いや、」
慌てて頭を下げるが、体当たりしてしまった相手はなんと夏目先輩だった。
うひゃあ。
骨とか折れてないよね?
華奢な体に私はなんてことを。
彼は少しだけ驚いた様子で、けれどすぐに微笑を浮かべた。
「大丈夫だよ。こちらこそごめんね。僕の方も少し注意力が散漫してて」
これが真城なら思い切り私の非を責めてくるんだろうな。
流石は夏目先輩、紳士だ。
真城なんて比べ物にならない。
「本当にすみませんでした」
「次からはお互い気をつけようね。じゃあ、また。美園さん」
あれ。
颯爽と去っていく夏目先輩を目で追いつつ、私は小首を傾げた。
なんで、名前。
知ってるんだろ……。
途中、空き教室に寄って昼寝中だった真城を叩き起こし、無理やり引き連れてゆく。
起こし方は乱暴かもしれないけど、真城が一発で目覚めたので効果は抜群だ。
うん、椅子から落とされれば誰でも眠り続けてなんかいられないよね。
「テメェ、起こし方に気ぃつけろ!いてえんだよボケ!」
「なぁ真城。私思ったんやけどな、サボリってよくないんやないかな」
「は?何を今更……」
「だって真城がおらんかったら私クラスで一人やん。ぼっちやん。授業で二人組作れなんて言われた日には、先生たちにまであああの友達のいない……なんて枕詞つけられてしまうんやで?そんなの耐え切れんやん」
「知らねーよ!」
寝起きなだけあって、真城は相当機嫌が悪いらしい。
ついでに目つきも悪い。
当社比20%増しで。
そうこうしているうちに予鈴が鳴ってしまい、なんとか遅刻は免れたもののクラスメイトたちの注目を集めてしまった。
ああもう、真城がぐずった所為だ。
「それでは四人グループを作ってください」
物理の実験。
先生が口頭で指示すると、皆がそれぞれ自由に動き出す。
真城を連れてきて正解だった。
「お前……、まさかこれだけのために俺を」
「や〜!真城と実験できるなんて嬉しいなぁ」
「おい」
うん。
だってさ。
クラスで四人組作ると二人余るんだよ。
真城が来なければ一人。
つまり、私が半端になってしまうというわけ。
この間の実験ではものの見事に私一人が余って、女の子グループにプラスアルファとして加わらせてもらうしかなかった。
あんな気まずい思い、なるべくしたくない。
「お互いぼっちやし、ぼっち同士仲良うしよ?」
「お前と同じにすんなよ」
「君子は和して同ぜずや。郁ちゃんも言ってたで、協調性は大事やって」
「……あー、そ」
その顔、まったく意に介してないな。
心底どうでも良さげな表情の真城を引っ張って無理やり席に着かせようとすれば、女の子二人組が近づいてきた。
「み、美園さん!私たちと組まない?」
まさかのお誘い。
声をかけてくれたのは戸部さんだ。
戸部真奈子。
時々、ぼっちな私を心配してか話しかけにきてくれる心優しい女の子である。
「ええの?」
「もちろん!」
「真城もええかな?」
「え………う、うん!」
その間は一体。
横で彼女たちを思い切り睨みつけている真城の背中を本人にしか分からないように叩き、小声で注意する。
「何でもかんでも睨んだらアカンて。怖がってるやん」
「は?俺が悪いのかよ」
「相手は女の子やで」
「……チッ」
真城の態度が悪い分、空気を和ませようと私は笑顔の大売り出しだ。
気分的にはうちの子がどうもすみません状態だった。
終始笑顔で実験に参加していたためか、授業終わり、表情筋が痛い。
おまけに真城はといえばあからさまに彼女たちを睨むことはなかったが、仏頂面を崩すこともなかった。
協・調・性!
これはもう、壊滅的なんじゃないだろうか。
折角の友達を得る機会を真城は自ら放棄したのだ。
ここまで集団社会に馴染めない存在も稀だけど、真城の場合馴染めないのではなく馴染もうとしないんだよね。
人嫌いの気があるというか。
何でだろう?
私とは普通に話すのに。
あーでもそういえば、私も初めて会話を交わした日にはボロクソ言われたっけ。
あれ乗り越えた人じゃなきゃ仲良くしないってことかな。
それなら当て嵌まる人物は私みたいに寛容な人間か、罵られて喜ぶM体質の人だけしか……。
うわ。
真城が悪どい笑みを浮かべながら鞭を振るう姿は実に想像に容易く、私は慌てて邪な考えを払い除けた。
ごめん真城。
あんたをとんだ鬼畜野郎に仕立ててしまった罪な私を許して……。
「死ね」
放課後、ひっくり返されたトランプカードに悩まされながらそのことを話すと、真城は冷たく一刀両断した。
そんな虫けらを見る目で見ないでほしい。
ただの冗談じゃないか。
「真城は友達とか欲しいと思わんの?」
「別に」
「……なんか、日に日に真城の対応が素っ気なくなってる気がするんやけど」
「最初からだろ。俺はお前に優しくした記憶なんかねえよ」
「大丈夫や。ツンの中のわずかなデレを見つけるんも私の仕事やと思ってる」
「いや意味分かんねぇし……」
あれ。
やばい。
ハートの7がさっき出たような気がするんだけど、どこだっけ?
こっち?
それともその隣だっけな。
「あ、間違えた」
「ざまぁみろ」
私がひっくり返したカードはクローバーの3だった。
欲しいのは7だから、当然ながら揃わない。
真城のターン。
お、やつもハートの7の場所を誤認識してたようだ。
はは、ざまぁ。
揃えられずに私に順番が回ってくる。
よし7の組み合わせゲットー!
「真城〜。今日はありがとな」
「別に……うわ、お前二回連続で揃えやがった!」
「勘やったけどラッキー。流石に次は無理やな〜」
「んー、よし俺の番。つかさ、お前は友達が欲しいと思ってんのか?」
真城が揃えたのは三組。
一方の私は二組と、僅差で負けている。
「えー、何言うてんの?当たり前やん」
「ふーん……」
郁ちゃんが私のクラスに突撃してさえこなければ、せめて二〜三人の友人と呼べそうな子はできる。
と、私は信じてるけど。
「俺だけじゃダメなのかよ」
「ん?」
「友達。俺一人じゃ物足りねぇか?」
「……な」
カードをめくるために伸ばしかけた手が止まる。
今、真城はなんて?
「で、デレたあああぁーーー!!」
デレた!
真城が!今はっきりと!
小さな呟き程度のものやったけど、聞き逃さへんかったで!
「……うるせ」
「友達って言ったよね?今。私のこと、友達として認めてくれた思うてええん?私なんかを?」
「何でいきなり謙虚になってんだよ。散々俺の友達語ってきたくせに」
「だって」
まさか真城の口から聞けるとは思わなかったんだもん。
なんだかさ、こいうの。
いいよね。
嬉しい。
「嬉しいなぁ……」
思わず顔がニヤけてしまう。
あまりの衝撃にカードの配置も忘れちゃったし。
「だらしない顔すんなよ」
「いひゃい」
真城に頬をつままれる。
ちぇ。
やっぱりデレが続くわけじゃないのか。
「ふん」
と、いつもの態度に戻った真城を名残惜しく思った。
「あっ、もうそろそろ二十分経つよな?郁ちゃんも終わってる頃やと思うし、私、帰るな」
「早く行っちまえ」
「ふふ。付き合ってくれてありがとう。神経衰弱、またやろうな」
「……おー」
委員会か何かで遅れるという郁ちゃんを待つ間、何故か校内に残っていた真城に相手をしてもらってた。
郁ちゃんは私が一人先に帰ると、家で延々とグチグチうるさい。
だから大人しく自分の教室で待ってたんだけど、そこに真城がやって来たので暇つぶしにトランプでもやろうと誘ったのだ。
断られなかったのは少し意外だったけども。
背中を向けながら手を振ってくれた真城は、やっぱり性根は悪いやつじゃない。
クラスのみんなも、分かってくれればいいのになぁ。
特に女の子。
………そうだ。
「真城!郁ちゃんに会わない?」
「あ?」
扉の外へと足を進めていた私は思い立ち、踵を返した。
私と仲良くできるくらいなら、郁ちゃんとも絶対に気が合うと思うんだよね。
「なんで俺が」
「ちょっと会って話すだけでもさ。郁ちゃんに私の友達やって紹介したいんやもん」
「……俺はそいつとは仲良くしねーぞ」
私の考えなど分かり切っていると言わんばかりの答え。
でも断られはしなかったので、一緒に昇降口へと向かった。
そこには既に郁ちゃんが待っていて、私を見ると嬉しそうに駆け寄ってきたのだけど、その隣にいた真城に気づくと分かりやすく眉を顰めた。
「………なんでこいつもおるん」
普段より低い声で真城を威嚇する郁ちゃん。
印象良くない。
「怒ってる?」
なんとなくそんな感じがしたので、尋ねた。
「少し」
やっぱり怒ってる。
近づくなって言われてたのに、言いつけ守らなかったからだ。
「ごめん。あんな、真城、私の友達やねん。悪いやつと違うよ」
私は慌てて波風立てないよう真城を紹介した。
郁ちゃんに友達宣言するのは少し気恥ずかしいけど、そんな悠長なこと思ってる場合ではなかった。
「友達、なぁ。由岐はそう思ってても、こいつの方はちゃうんやない?」
「……は?」
空気、空気が悪い!
上から下まで品定めするみたいに真城を見る郁ちゃんに、真城はといえば青筋を立てんばかりの剣幕で郁ちゃんをねめつけている。
なんでや。
出会ったばかりにして、なんでそんなに険悪なムードになるん。
「ちょ、ちょおー、郁ちゃん!私の友達なんやから、邪険にせんといて!」
真城はデフォルトだとしても、郁ちゃんの態度に困惑する。
確かに真城と仲良くするなとは言われたけど、真城は悪いやつじゃないし、話せば分かってくれるものと思ってた。
それがどうした。
分かり合うどころか、真逆の作用が起きているではないか。
「郁ちゃん?」
「由岐、帰るで」
「ちょっと……」
「早ぉ外靴に替えや」
郁ちゃんは冷たい表情のまま、さっさと昇降口を出て行ってしまった。
私は一言真城に謝ってから、急いで郁ちゃんの後を追う。
後ろで真城が「ほらな」と言っていた気がした。
「郁ちゃん、待ってや!何で真城にあんな……」
「由岐」
校門で追いついた郁ちゃんの背中に文句をぶつければ、冷たい声で名前を呼ばれ、思わず固まる。
最近の郁ちゃん、変や……。
こんなにあからさまに不機嫌になることなかったのに。
「由岐。俺、言ったやろ?あの男に近づくのは許さへんって。なんで守らんかったんや」
「私は郁ちゃんの下僕とちゃうで!誰と仲良くなるかは自分で決める!」
「っ、ええ加減にしぃや由岐!俺の言うことが聞けんのか!」
「……っ」
思い切り腕を掴まれ、私は痛みに顔を歪ませる。
やっぱりおかしい。
郁ちゃん、どうしちゃったの?
「あ……」
ハッと我に返った郁ちゃんは私の手首を掴んでいた手を離し、「すまん」と罰が悪そうに謝った。
掴まれた手首がじわじわと痛む。
「郁ちゃん……?」
「……」
なんだか。
郁ちゃんが、違う。
私の知っている郁ちゃんは、声を荒げて怒鳴ったりなんてしない。
目の前にいるのは、誰?
「なぁ由岐。俺はお前が他の男と仲良うするの、許さへんで。……絶対に」
―――“お前は俺の幼馴染みなんやから”
その時、私は初めて郁ちゃんに言いようのない感情を覚えた。
いつもと同じセリフなのに。
何故だか、郁ちゃんが怖いと思った。
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