図書室とひだまりと
〇×●







 図書室の、あの古びた本の香り。使い古された木製の机に椅子。それから、本のページを捲るとごく稀にある、涙のしみの跡――。
 それから、それからね。

 いつも決まった席に腰をおろして、真剣に本と向き合う『彼』の姿。
 ああ、なんて幸せな空間なんだろう、図書室って!


***



「みちる、邪魔」

 私の顔を見るなり、彼――神無月亜樹こと神無君――はそう言った。
 まぁ、私が図書室の入り口につっ立ってたんだから当たり前と言えば当たり前なんだけどさぁ……。

「ひっどいなぁ。もっと優しく言ってくれたらいいのに……」

「は? よく聞こえないんだけど」

「……傲慢」

「誰が傲慢だって? もう一回言ってみ」

 何よ、しっかり聞こえてるくせに。
 彼は油断していた私の頬をつねる。地味にいひゃい。
 私はさらに追撃をかけて来ようとする神無君の手を慌てて避けて、一足先に図書室へ入る。神無君はその後から悠々と入ってくるのだから、何だか悔しい気分になる。

 高校に入学して一年間も経てば、やっぱり特定のお気に入りの場所ができる。私の場合は図書室だった。
 いや、何が良いって、放課後になるとここに丁度良い西日が差し込んで、こう……うとうとしちゃうのが堪らない。
 初めは友達の部活が終わるのを待つ暇潰しに訪れていたけど、今では進んでほぼ毎日来てしまうから、ここの図書委員さんとはもう顔見知り。
 先輩である図書委員さんは私を見るなり手招きをして、近づいた私に耳打ちしてきた。

「ねぇ桜庭さん……オレ前から気になってたんだけど」

「何がですか?」

「やっぱり神無月とは、付き合ってるの?」

「そっ! そんなわけないですっ」

 私は少しでも真意が伝わるよう、先輩に身振りで示した。だ、駄目……私の顔、今すごく真っ赤なんだろうなぁ。
 そんな私が先輩はおかしかったのか、彼は拳を口にあてて笑う。

「だってさぁ桜庭さんのこと『みちる』って呼び捨てしてるから、てっきりそうなのかなー、と」

「……ん、言われてみればそうですね。何でだろう」

 その時、急に先輩の表情が変わった。え、私何か変なこと言ったかな。
 そう思ったのも束の間、肩を強く横に押されて、私は危うく転びそうになった。こういうひどい扱いをするひとは、一人しか知らない。

「神無君ひどいっ」

「これ、お願いします」

 神無君は憤る私を華麗に無視して、借りる手続きをするために図書委員さんに本を手渡す。
 む、むかつく……!

 私は無性に腹が立ち、さっさとその場を離れていつもの席に着いた。もちろん、途中の本棚で写真集を手にして。
 ここはまず、星空の写真で気持ちを平静に平静に……。

 ……へ い せ い、に。



***



 いつの間にか転寝してしまったらしい。私は頭を叩かれて飛び起きた。

「わっ何何!?」

「ばか、もう時間だ」

 神無君が指差す時計を凝視すると、もう図書室の閉館十分前だった。

「うっそ、もうこんな時間だったんだ」

「いいから早く準備して」

「は、はぁい」

 でも寝てすっきりしたぁ。……何か忘れてるような気がするけど、まぁこの際関係ないか。
 そうして神無君に追い立てられるようにして、私は帰り支度を済ませると校舎を後にした。

 帰り道、私は隣を歩く神無君を首を傾げてそっと見上げた。彼は私が友達と一緒じゃない時は、こうして二人で帰ってくれる。
 この辺りは変質者がたまに出没するので正直、助かってる。
 あ、もしかして神無君も変質者に会いたくないから一緒に帰ってくれるのかな。だって神無君、目の保養になるから。

「……さっきから、何」

「え?」

 あれ、私ずっと神無君の方見てた?
 焦った私は顔を明後日の方向に向けて、無理矢理笑ってみせる。彼はため息をついた。

「何よ、言いたいことがあるなら言ってよ」

「前」

「……前?」

 私は正面を見て――思い切り電柱に頭と鼻をぶつけた。我ながら良い音がしたよ。したけどさっ!

「思ったんだけど、今日の神無君色々ひどいっ」

「は? ……てか、それくらいで泣くなよ」

 彼は困ったように眉を寄せて、しゃがみこんだ私を見下ろす。
 だって、しょうがないじゃない!

「邪魔って言われたのは仕方なかったかも知れないけど、肩押されたの痛かったし! 今だって……ていうか、な、泣いてないよっ!」

「あれは……」

 彼は言い淀んで、立ち上がらない私の代わりに自分が膝を折った。
 そしてどこか不機嫌そうな顔をしながらも私にティッシュを差し出す。
 泣いてないはずなのに、そんな風にされると余計に喉の奥がツンとして辛い。

「みちるが悪い」

「り、理由は?」

「じゃあ、お前がうるさかったから」

 じゃあ、って何だ。じゃあって。
 ……ん?
 うるさいって、先輩と喋ってたことかな。でもひそひそ声だったんだけど。

 私は残りのティッシュを神無君に返して立ち上がり、スカートの裾を軽くなおす。
 お陰で思い出したことがある。私はすっかり調子を取り戻していたようだ。

「ね、そう言えばいつから神無君、私のこと名前で呼んでたっけ?」

「……。今更それを聞くの?」

 彼はまた歩きだす。夕日で真っ赤に染まっていた空は、いつしかそのほとんどが藍色に塗り替えられてゆく。
 早足で追いつくと、私は再び神無君と並んだ。何か思うところがあるのか、彼の瞳は眼鏡の奥で緩く伏せられている。
 こういう風に何かを考えてる神無君て、本当、綺麗な表情してるんだよね。――って、しみじみしてる場合じゃないよ私。

 遂に別れ道まで来てしまった。あれから神無君はずっと無言のままで。気まずい雰囲気だったわけじゃないと思うから、私は別に平気だけど寂しくないと言えば嘘になる。
 とりあえず、今日はここまで。私は神無君に別れの挨拶をしようと彼を振り返った。

「じゃあ、またね!」

 大きく手を振ってのんびり歩きだした私を、しかし彼は呼び止めた。暗くなってきて、残念ながら表情はよく分からない。

「さっきの返事だけど」

「うん?」

 ああ、名前のことね。どうしたんだろう、急に。
 神無君は早口にこう言った。

「みちるが気付けば、その内分かるから」

「え? ごめん、意味が分かんない」

「今は分からなくていいよ。……また明日な」

「あ、うん。また明日ね」

 彼は右の道。私は左の道。けれど私はしばらく遠ざかっていく神無君の背中を、見えなくなるまで見つめていた。


 ――また、明日。






(おわり)


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