すん、と鼻を鳴らして空気を吸い込む。袖、肩口、胸元を伸ばして更に嗅ぐ。どうやら服ではないらしい。
「……やっぱりたばこくさい」
「急になンだよ」
雑誌に目を落としたまま返事をしたのは原因たるヘビースモーカーである。しかし今のは独り言で彼は関係ない。
「いえ、私がです。…うつったのかな…」
吸殻も綺麗さっぱり掃除してしまったからだろうか。しかし念入りに手は洗ってあった。
「服じゃねえの」
「おろしたてですよこれ」
わざわざクリーニングに出した家主の服ではあるが。毎回折る所為で袖に折り癖がつくようになったそれは、相変わらず肩がズレている。
「じゃあ部屋の」
ずっと吸ってるししょうがないだろォとページをめくりながら、おっこれいいなと折り目をつけていた。それ私のですよと文句を付けるとあーはいはいと生返事される。
「部屋は昼間に換気してあります。そのあと吸ってないじゃないですか」
煙草切れたとか言って。
灰皿は綺麗なままで、傍らにはぽつんとライターだけが寂しそうに鎮座している。そんなに気になるもんかねェと家主が取り出したのは見慣れたボトルだった。
「ほれ、ファブリーズあるぞ」
シュッと一吹きすればふんわりフローラルな香りが漂う。しかしそれは衣類や部屋の消臭用で、まかり間違っても人間にふりかける類のものでは無い。
はあとひとつ溜息をついてから受け取り、折角だからと靴箱やカーテンにフローラルを撒き散らした。
「……せめて香水貸してくださいよ」
棚にある小瓶の中身は半分くらい使われた形跡がある。こつんと指で弾くと液体がゆうらりと揺れた。
「俺と同じ匂いになりたいのか」
煙草とそれと。体臭もあるから全く同じにはならないだろうけどな。
煙草も香水も同じ銘の香りがするなんて、外で知り合いに気付かれでもしたら大変面倒くさい事になるのは目に見えていた。
「それは嫌です…」
既に同じ匂いがしているというのに、その事実には気が付けない。煙草なんてやめた方がいいですよ、とつぶやいた。
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bkm