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08:55


バタン。ガチャガチャ、ガチン。…ぱたぱたぱた…

遠ざかる足音が他の雑音に紛れて聞こえなくなるまで、俺は玄関に座ってじっとしていた。
この耳は実に様々な音を拾う。まるで素人のオケ演奏を聴かされているような気分になるのは、今が誰もが忙しなく動く平日の朝であるせいだと思いたい。
一日中これでは、耐えられる気がしない。
いちにち。あと、15時間。

(…さて、どうするか…)

たしたしたし、フローリングの廊下を四本足で歩く。
玄関からリビングまでのたった数メートルが遠い。
とりあえず、腹減ったな。

『ごはん、テーブルの上に用意してあるからね!』

花京院の言葉を思い出して少し駆け足になる。廊下を抜けて左手、見上げるダイニングテーブルの高さはベッドの比ではないが、俺は一気にそこへ飛び乗った。

俺は、朝はパンより白飯派だ。
花京院はパン派だ。
朝に弱い花京院を起こすのはだいたい俺の役目だが(ちなみに今朝は俺の姿を見て一発で目が覚めたらしい)、朝食の準備は面倒くさい。
よって、俺たちの朝は珈琲と食パンで始まる。

飛び乗ったテーブルの上には、トーストされた食パンと、そうでない食パンが並んでいた。
どちらも細かくちぎられた状態で。
一見するとなんとも言葉に詰まる光景だが、今の俺にはきっとこの方がありがたいんだろう。

『食べられるほう食べてね』

俺も花京院も猫を飼育した経験がないため、何がどのくらい食えるのかさっぱり分からなかった。
困ったときのグー●ル先生、と花京院が朝の短い時間で調べて、今家にあって猫が食べても害のないものとして、いつも通り食パンが選出されたのだ。
とは言え、バターもジャムも塗られていない素焼き(と生)に、珈琲は当然取り上げられ牛乳はお腹を壊すらしいからとスープ皿になみなみ注がれた水じゃあ、食欲は湧かない。

ひとまず水から、と水面に顔を近づけ、おっかなびっくり猫の真似をして舌を出してみる。
俺の舌は思ったよりも器用に水を喉に運んだ。
我ながらうまい。そして美味い。
少し気分を良くしてぴしゃぴしゃやっていたら鼻に水が入った。

―――♪

ぴくり、耳が反応する。反射的に顔を上げて耳をすませた。
すると相変わらず色んな音が混ぜこぜになって押し寄せてくるが、さほど不快には思わなかった。
さっきの音はもう聞こえてこない。
なんだったか、覚えのある音だ、そう考えた瞬間にピンときた。

(メールか!)

俺は後足を伸ばして立ち上がりぐるりと見渡せる景色に視線を走らせた。たしか昨夜充電ケーブルを繋いで、そのままだ。
それなら今も寝室にあるだろうと当たりを付けテーブルから降りようとした俺は、だがそこで不覚にも動きを止めた。

(…っう、)

高い。
上る時には全く問題に感じなかった床との距離が、降りるとなると全く別の印象を与える。
しかも今の俺は猫だ。
つまり前足から着地するのだ。
ゆえに頭から飛び込まなくてはならないのだ。
尻尾がふるり、短く震えてからぱたんぱたんと斜めに大きく空(くう)を切った。

―――♪

背中を押すように、再び耳に届いた音はメールの受信音で間違いないと確信する。
無意識に動いた大きな耳はやはり寝室に照準を向けている。

(、くそっ!)

半ばやけくそでテーブルの端を蹴る。
ダンッ、前足が床に着いた次の瞬間、続く後足で思いっきり床を蹴った。そのままがむしゃらにフローリングを掻き走る。景色が飛んでいく速さで恐怖が少しずつ高揚感に塗り替えられていった。


(へっ、なんてことなかったぜ!)




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