魔王の彼女・前編(雇われ魔王の喫茶店)

「何で俺が」
「お願いします。私じゃ此処からお店まで魔力が持たないので」

 平身低頭、起きたばかりのフィリーさんに必死に頼み続けると、渋々了承してくれた。
 本当は魔王様に頼むべきなんだけど、部屋の場所が分からないし。仕方ない。

「有難う御座います! お礼に、向こうに着いたら紅茶淹れますね」

 勿論タダで! 当たり前だけど。

「……絶対だぞ」

 にこにこと満面の笑みでお礼もすると付け加えると、不機嫌ながらもフィリーさんは念を押すようにそう言った。心なしか、瞳が若干柔らかくなってる。

「じゃあ、もうすぐ出かけますから」
「もうかよ」

 文句を言いながら、フィリーさんはしっかり起き上がって出かける準備を始める。昨日のままのスーツを脱ぎ捨て……って!

「ああああのお着替え終わったら言って下さい、部屋の外で待ってますから!」

 人様の、ましてや他国の魔王の着替えを見てしまう訳にはいかない。私は慌ててその場――書斎を離れる。筈だった。
 ノブに力を入れたのに、扉は開かない。それどころか背後からダメ押しとばかりに塞がれた。

「此処にいろよ」

 どどどどうしようどうすれば良いのかな! 早くも頭が熱を上げて混乱する。
 ちらりと見えてしまったフィリーさんの上半身はすっかり肌が露わになっており、ノブを掴んだままの私の両手にフィリーさんの右手が重なった。あっ、どうしようホントに動けなくなっちゃった。
 顔どころか、視線すら動かせない。何て言うか、そう――怖い。
 フィリーさんは私がパニックになってるのもお構いなしで、整った顔立ちをするりと耳元に近付ける。ぎゅっと視界を閉じた。髪の毛で上手く表情が隠れてると良いのに。
 そろりと開けて隙間から見えたフィリーさんの表情が恐ろしく思えてしまって、足が竦んだ。
 今口を開けば、私はきっと叫んでしまう。それは迷惑になるから避けたかった。でも、ずっとこの状態を耐え切れる自信もない。嗚呼、誰か、誰かが来てくれたら――!
 そう強く願った瞬間、向こうから扉に力がかかった。あれよと思う間もなく、その力に引き擦られる。

「朝っぱらからセクハラとは結構なご身分ですねえ魔王様」

 倒れかけた私を受け止めた存在を、ふわりと漂った香りが教えてくれた。一緒に倒れてくるだろうフィリーさんが、魔王様によって反対に押し戻される。

「邪魔しやがってクソ魔王」
「いたいけな少女に手を出す貴方に言えた台詞ですか? 笑わせる」

 うわあ、魔王様が物凄く真っ黒い笑顔でいらっしゃる……。一気に現実に戻った気分。喜怒哀楽も浮かばない。

「てめえこそ離れろよ天然セクハラ魔王」

 うわあ、フィリーさんの口の悪さに拍車がかかってる……。魔王同士の修羅場ってこんな感じなのね。さっきから二人共セクハラセクハラ五月蝿いけど。嗚呼、こんなところで開店前に一日分の疲れを味わうなんて。

「……と、とりあえず、私は部屋の外で待つので、後はお二人で仲良く喧嘩してて下さい」

 もう何も言えない。魔王様の腕をダッシュで抜け出す。早くお店で一息付きたいな。

*************

 風のように去ったアイメリッタの残り香はあっという間に消えた。そして無言の嵐。ただただ重苦しいそれを消し去るように、フィリーは手早くバスルームに向かう。着替え終わった頃には既に半時間は経過していた。
 ヴァンシュタインは彼女を追う訳でもなく、かと言ってこの部屋に居続ける事はせず。ベランダに広がる広大な景色の中へと飛び込んでいった。
 気配の流れで彼がこの場から消えた事を察すると、フィリーは眉間に寄せていたシワを緩め、アイメリッタの元へと急いだ。

「お前、着替えなくて良いのか?」
「え、ええ、お店にも、服は何着か置いてあるので……」

 露骨に余所余所しくなった彼女に、罪悪感がじわりと神経を這う。純粋に「悪い事をしたな」と。
 今、どんな表情なんだろう。気になって、背を向けたままの彼女を振り向かせたくなる。恐る恐る手を伸ばす直前に、アイメリッタが振り向いた。

「さ、早く行きましょう!」
「え……あ、おう」

 あれ、どうしてそんなに笑ってるんだ。あの時腕や足が震えていたように見えたのは、演技なのか。
 そう疑うには十分な程、垢抜けてさっぱりとした顔。もしや自分は、余計な心配をしただけか。

 一つの事にこんなにも気を取られたのは久々だ。
 辿り着いた彼女の店のカウンター席に腰掛け、ぼんやりと天井を見つめる。彼女はどんな気持ちで紅茶を淹れているだろう。怖さが勝ってか、まともに視界に映せない。

「はい、どうぞ」
「ああ」

 何にせよ今回学んだ事は、「昨日の今日で調子に乗るな」という尤もな見解。俺はガキか。

「フィリーさん」

 自分でやっといてこんなに落ち込む事など数え切れない程体験しているが、これは堪える。
 ――美味しいな、リッタの紅茶。喉に流れる熱さが、限りなく心地良い。まるで太陽だ。燦々とこの身を照らす陽光の暖かさだ。

「フィリーさん!」
「う、おっ」

 真白のカップには、琥珀の液体は一滴もない。何時の間に飲み終えたのだろう。

「もう、おかわりするのかと思ったら、カップ持ったままボーッとして」
「わりぃ」

 どうかしている。取り留めもない過去の事象に後悔を幾重にも重ねて。昨日までの馬鹿馬鹿しい笑いを零していた己は同じ人間なのか。蛆虫のようで情けない。まさか他人を傷付けて、心底後悔するハメになるなんて。

「美味しくなかった、ですか?」
「そんなんじゃない。不味かったら全部飲まねーよ」

 今までの紅茶の中で一番美味しかった、なんて、素直な感想は言えなかった。
 きっと“あいつ”なら、一も二もなく褒め称える。気障な奴だから。

「悔しいな……」

 カップの底に消えてしまった言葉を、アイメリッタが拾い上げる。悔しさを漏らした先を、読んだかのように。

「……フィリーさんも、魔王様に負けない位優しいですよ」

 何だよそれ。俺はいじけた子供かよ。そんな慰めなんか――。

「おかわり」
「え?」
「まだあるんだろ。くれよ」

 魔王としての仕事がある事を忘れてはいけない。さっさと全部飲み干して、早く執務に取り掛かろう。

「ご馳走様!」

 吹っ切れたのだろう。昨日よりも清々しい爽やかな笑顔で、フィリーは店を後にした。

*************

 悠々とソファーに腰掛けていた彼が腰を上げた頃。視界の端にちらついた動きを追ったのは資料に目を通し黙々とサインを繰り返していたフィリー。
 机に映る影が移動している事に気付き、ふと振り返ると橙の空が柔らかく靡いていた。彼女の喫茶店も、そろそろ終わる時間。

「リッタは儂が迎えに行きます」

 ごく自然に、他意もなく立ち上がったフィリーに、制する声。その出所を睨める。

「貴方は閉店時間を知らないでしょう」

 背伸びなどしながら、ヴァンシュタインは穏やかに。魔王仲間でもあり幼馴染みでもある弟分のような存在に、ひらひらと手を振る。吹き抜けた一筋の生温い風に、鮮やかな金糸と濃紺の衣服が揺れた。
 当てつけのように聞き取れたそれに、彼は何も返さない。ただの事実だ。それこそ他意はない。だけど羨ましいと感じるのは、一体どういう理由からか。

「陛下、お客様がいらしております」

 壮年の侍女長の声が扉の向こうより降る。その側にいるきらびやかなオーラに若干眉を顰め、入室を許可した。

「失礼致します」

 真っ赤なリボンがあしらわれたペールベージュのドレスを静々と引きずり、現れたのは。

「御機嫌よう、フィリー様」

 数日ぶりに語りかけられた淑やかな言葉には何も思わず、手短に応える。

「……エレン」
「ふふ、怖い顔」

 貴族の令嬢らしい玲瓏な響きが彼の耳朶を擽ろうとする。それに含まれたねっとりと張り付くような感触が、フィリーは非常に気障りであった。
 だから嫌いなのだ。媚を売る人間というのは。

「懲りねえな」
「当然ですわ。こんなに愛しいのですから」

 反吐が出る。その言葉ごと何処かへ消えてくれ。そう叫べたら、どんなに気が楽になるか。

「本日は貴方にお知らせがありまして」
「奇遇だな。俺もだ」

 知っている。彼女はあらゆる策を尽くしてこちらの気を引こうとするのだ。その為なら偽りなど容易い事。だからこちらも、それを真似するだけ。

「お取り込み中失礼致します。陛下、アイメリッタ様とヴァンシュタイン様がお戻りになりました」

 タイミングが良い。別の魔王の名に目を見開く少女エレンを放置し、自ら出迎える。

「ええと、只今戻りました……で、良いんでしょうか」
「何でも構いませんよ。儂が許します」
「おいこら待てヴァン」

 此処は俺の城だ。好き勝手ぬかすな。軽口を叩いてすかさずアイメリッタの隣を陣取る。思惑通り、エレンはわなわなと手を震わせた。

「……誰、ですの。その女性は」
「お前には関係ない。なあ、リッタ」

 馴れ馴れしく肩など抱いて、こつんと頭を当てれば、ほら。

「ちょっ、近くないですかフィリーさん」
「御機嫌麗しゅう陛下。失礼致します」

 優雅とは程遠い大股で彼女は消えた。
 エレンは明日にでも怒りを露わに来るだろう。その時こそ、止めを刺すのに相応しい。

*************

「じゃあ、あれがフィリーさんと結婚したいって人なんですか!?」
「ああ」

 そこの魔王はすぐ感づいたらしいがな。そう付け加えると、ヴァンが当然だと鼻を鳴らした。鬱陶しい。

「いやあ、昔見た時とは随分と雰囲気が変わってましたね」
「魔王様知ってたんですか?」
「ええ。幼少期はよくこちらに来ていましたから」

 だからこの城の構造もばっちりですよ、なんてどうでも良い情報を曝け出す馬鹿は放っておく。

「貴方に馬鹿とは言われたくないですね」

 その突っ込みも黙ってろ。話が進まない。

「悪いな。後少しだ」

 そう、もう一息で「恋人ごっこ」は終焉する。何てことない、ままごと遊び。突き合わせたリッタを早く解放してやりたい。俺は確かにそんな気持ちでいた。

「でも、本当にあの人は明日も来るんですか?」

 大体の事は執務室で済ませてしまうから、応接室を利用するのは久しぶりだ。お茶請けをつまみながら、リッタの問いに答える。

「来る。今日は突然だったから、確認の為に日を改めるだろ」

 何せ二日前にも会ったばかりだ。その気のない相手に必死過ぎて笑える。何度同じ言葉を零しても、俺は拾わないのに。

「良かったぁ。案外すぐに終わりそうですね」
「ええ。さっさと終わらせて国に帰りたいものです」

 お前は勝手に付いて来ただけだろ。この心配性の保護者め。

「明日は定休日だから、ゆっくり出来たら良いなあ」
「えっ……マジで」

 計ったような展開の良さに、嫌なオチでもあったらどうしようかと気にかけてしまった。でもそうか、休みだと言うのなら。

「じゃあ明日は城を案内してやるよ」
「わあ、本当ですか? 楽しみです!」

 ぱああっと、効果音でも聞こえそうな程のリッタの破顔が、余りにも可愛く見えた。俺だけじゃなくヴァンも照れか何かで顔を押さえていて、図らずも同じ行動に至ったのがムカつく。
 何でお前が喜ぶんだ、今のは俺に向けた笑顔だっつーの!


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