照前の受難:第貮頁
昨日の朝のやり取りから何事もなく、滞りなく翌日を迎えた。
いや、表から見ればそうだが、どうにも寝覚めが悪かった。確実に、間違いなく原因はあの一言だと判明している。わざわざ探るまでもない。
あの後天禰様はといえば、――言って吹っ切れたかそれとも忘れたか、まぁどちらでも良い――普段通りに私に接し着々と予定を熟していった。
それが余計憎らしく、内心動揺していた私には恐ろしく思われて仕方なかった。
自ら策に嵌まったとは言え、あれはこちらの意思を無視した一方的な通達。まるで軽口を叩くようにさらりと圧力を上乗せされ。
綺麗に忘れてしまう積もりだった記憶は未だ頭に響くばかり。都合の悪い余韻が残り、いらぬ事を口走った己を穴に葬りたい衝動に駆られた。
だが過去は変えられない。私が神であったとしても土台不可能だ。
「お早う御座います照前殿。顔色が優れぬようですが、どうかなされましたか」
仕事の手につかぬ私を心配してか、付近で雑用をしていた古株の女房が声をかけてくる。
一瞥しただけで何も答えないでいると、女官は何か思い出したらしい。噂をする時みたく、楽しそうに言った。
「そういえば今朝、主神が照前殿について私達に仰せになっておりましたよ」
嗚呼、嫌な予感しかしない。
「何でも“今日から暇を与える”とお聞きしたのですが、真でしょうか」
最早逃れる術はないのか。最悪の事態を回避する事は許されないのだろうか。
天禰様に予定を告げる前にやるべき事を片付けてしまおうと思ったのがいけなかった。
私が反論出来ぬよう話を進めるとは、何と非情か。参内する気を無くしてしまった。
「……ええ、本当ですよ」
「まぁ」
声音を極端に低くし無感情に返すと何が“まぁ”なのか、女官は袿の裾を口に添え驚いた顔で呟いた。
天禰様に聞いているなら私に確認する必要はないだろう。増してや自分に関係のない事を何故。私に再度認識させてぞん底に叩き落としたいのか。
知らぬ間に私は意地になり、用を終えると女官へ会釈もせずに素早く書殿を後にした。
こうなったら何が何でも対抗してやる。天界の事など忘れる位、とことん暇を持て余してみせる。
だが結局どうあっても天禰様の思う壷にしかならないと思うと、ただ暇になるだけではつまらないばかりか、天禰様に“見事口車に乗せられたな”と失笑を買う事になりかねない。
仕事に復帰する際にあらぬ屈辱を受け支障をきたすなど以っての外。
「良いでしょう。受けて立ちますよ」
腹黒い笑みを零し一人無駄なやる気を出すと、準備をするべく私は屋敷に戻る事にした。
こうして、引くに引けない天界史上前代未聞の迷勝負の火蓋が切って落とされたのだった。