照前の受難:第弌頁

 照前、お前好きな者は居るか。

 今朝出仕したばかりの唐突な一言に、こちらが寝ぼけているのかそれとも発した人(神)物が寝ぼけているのか、真剣に考えてしまった。

「居るか居らぬか答えよ、早う」

 いや、そう急かされても困る。正直私にとってはどうでも良い話だ。

「急に何です。頭でも打ちましたか」

 興味無く返し、今日の行事を記した紙を懐から静々と出す。
 一連の私の態度が気に食わなかったのか、はぁ、とやる気のない溜息が聞こえ、そうしたいのはこっちだと心中で突っ込んだ。

「全く……主の問いに対するその素っ気なさ、改めた方が良いぞ」
「有難い御忠告をどうも。それより今日の予定を申し上げますから、御静かに願います」

 無礼な程淡々と物事を進める私に、脇息へ肘をついて面白くないと呟くお方は、私の仕える主人でありこの天界を治める天禰という神である。

「私に面白さを求めないで頂けますか。大体、天界の長たる神に仕える者がそんな腑抜けではこの世は終わりですよ」

 些か(いやかなり)極論を述べてしまったかという気はしたが、誰も傷付けてはいないので構わない。
 それに、私が冷ややかな意見を口にしても、この方は一々見咎めたりはしない。懐が広くなければその御立場は務まらないからだ。

「生真面目な奴だな。一度位羽目を外しても誰も怒らんと言うに」
「左様のお気遣いは無用。己の身を律しているからこそ貴方に相応しい従者であるのです」

 堅物だと不満を言われようと、私はそれを正しいと考えている。無論、周囲にとやかく指図をされたって変える気は更々ない。

「まぁ良い。兎に角、好いておる者は居らんのか照前」
「しつこいですね。何度申せばお判りになるのです」

 全く今日の天禰様はどうかしている。私が従者だという立場を理解しているのか。甚だ呆れる。

「私の多忙さを御存知でしょう。貴方の要望に応えるのにどれだけの労力を用いているか」
「何だか私が悪者みたいだな、それでは」
「他意は御座いませんよ。事実を述べたまで」

 女官や女神達が言うように、黙っていれば立派な殿方に見えなくもないのだろうが、従者として天禰様を見るこの目はそんな風に映しはしない。

「どういった意図がおありなんです、その質問は。今日の予定に関わりでも?」

 言いながら、そんな事は絶対に有り得ぬと結論付けた。抑々あるなら内容だってもっとマシなもの。決して“好きな者はいるか”というふざけた言葉などではない。
 そしてその事項はどう巡っても、今日の予定と繋がるとは微塵も思えないのだ。

「いや、何も悪い事ではないのだが……」

 天禰様の返答は今までよりも存外歯切れが悪く、それが私に更に疑念を抱かせる。

「言い難そうにしておられるのが良からぬ事という証では? 変な事に巻き込まれるのは御免ですよ」

 いい加減このやり取りは不毛だと諦めて欲しい。手を変え品を変え同じ事を再三再四答えているのに、何をそこまでして聞き出そうとするのか。それ程意味のあるものなのか。いいや、少なくとも私はそう思わないし思いたくなぞない。

「強情だな。居る居ないを答えるだけだろう」

 強情なのは天禰様も同じだ。私の事を言えないだろう。主従関係になってもう何年だと思ってる。

「居りませんよ」
「……え」
「天界で貴方にお仕えしているこの私に、そんな暇は御座いません」

 投げやり且つ心持ち口早に言うと、数秒遅れて天禰様が反応する。これで良いのだろう。やっとこの下らぬ問答も終わった。予定を進められる。そう安堵して、殿上を後にすべく立ち上がると。

「そう言うならば、暇をやろう。照前」

 何処かすっきりした様子で清々しい笑顔を向けられ、私は絶句した。心なしか御顔に待ってましたと書かれているように見える。

「………………はぁ?」

 情けない表情になったというのはどうでも良い。今目の前の主が放った一言の方が重大だ。

「よく聞こえませんね。もう一度仰って頂けませんか」

 冷静を装う顔は引き攣り、なり損ねた口元の笑みは張り付いた紙のようだった。

「暇が無いと言うならば、暇をやろうと言ったのだ」

 意味が解らない。冗談だろう、それは。何故名案だろうと言いたげな口ぶりなのだ。至極当然と言わんばかりの態度なのだ。ここぞとばかりに生き生きしているのが、我が主人ながら実に腹立たしい。
 ――嗚呼、あの一言が余計だったのだ。墓穴を掘るとは、何たる不覚。そう己を責めた所で、天禰様が前言を撤回される訳もないし、こちらが辞退する事も出来ない。
 天禰様に嵌められた。私にとって、それだけが紛れも無い事実だった。


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