第貮話:第漆頁

「目的を言おう。――来栖を返せ、黒井」

 徐にそう告げると無骨な顔が「何を言ってるんだ」と言いたげに頭を傾げるが、それも嘘だと見通していた。真を映す力を持つ瞳にとっては、人間のつく嘘など紙を破るも同然の業である。彼等は少年の見据える先が己の心にあることを微塵も感じていない。

「はっ、そいつは一体誰だ。勘違いしてるんじゃないか貴様」

 先程と同様に天禰の詰問にしらばっくれる。埒が明かないと、これみよがしに嘆息した。

「……あくまで白を切るか……」
「あぁ? 知らないっつってんだろが」

 周囲に控える子分達が静々と忍ばせていた武器を手にとる。天禰はそれを合図に、照前を視線で振り返った。それと同時にクロイが首を振り、子分達が足音を立てぬよう二人を取り囲んだ。「殺れ」と呟いた、その時。
 全身が神々しい光に包まれると共に、天禰の視界は高度を上げ。半袖半ズボンという少年の洋の出で立ちは、衣冠装束という和のものに化した。暗澹としていた場に唐突に煌々たる光が押し寄せたことに対し、天禰と照前を除く誰もが瞠目し無条件に眩しさに飲み込まれた。

「お久しぶりですね、その御姿は」

 慣れ親しんだ衣装を小刻みに動かし、感覚を思い出す天禰。
 クロイ達はうろたえながら、目を開く。そして――あの小生意気な子供が消えたばかりか、先程までそれがいた筈の場所に見慣れぬ人物が新たに存在していることに、驚きを表す。

「な、あ……」

 動きが固まり、声もまともに出せぬほど彼等はショックを受けた。それを見遣り、周囲にいる人物のことをすっかり忘れていた二人は、素っ気なく「嗚呼」と呟く。

「此処でこの姿を示すのは初めてだったな」
「ええ」

 にべもなく事を分析し、互いに合点を得る。

「――だ、誰だ貴様! 何処から入った!」

 クロイが体を震わせながらこちらを咎める。無理もないだろう。この変わりようを、人の思考で安易に受け入れられる筈はないのだから。

「さて、来栖を返して貰うぞ、黒井」

 勝ち誇ったかに見える笑みで天禰は語りかける。クロイは気が動転しているのか、天禰のそれとは全く別の事を叫んだ。

「ガ、ガキは……あいつは何処行った!」

 呆れ返りつつ照前がそれに丁寧に答える。未だに思考が動かないらしい。

「ですから、この御方がそうなのですが?」
「嘘つけ!」

 それを聞き入れる程彼は冷静ではないようで。

「もう良い照前」
「……御意」

 置いてきぼりの彼等は、しかしそうでありながらも脳を必死に働かせ二人の次の行動を待つ。数ではこちらが有利だ。だが、余裕釈々の二人の態度が腑に落ちない。
 天禰が辺りを見回しクルスの居場所を探る。程なくそれは見出だされ、大事ないことに安堵し。

「先にこの者達を戒めてからだ」

 照前に粛正を命じ、受け止めた照前が控え目に主の一足先に出る。それを確認して、天禰も力を解放。クロイは一人奥の高台へと避難し、情勢を見下ろす態勢に入った。

 やがてどれが合図か誰からともなく声をあげ、二人に攻撃を仕掛ける。天禰は金の扇を唇に当て、優雅に矢継ぎ早の攻撃を避ける。
 彼等の懸命な突撃は悉く敵わず、攻防戦が続けばと願っていた長は口を噛んだ。――このままではやられてしまう。無論、そうなるのは自尊心が許さない。

 背後の椅子を投げ倒す。そこには、誰も近付かないであろう鉄錆びた小さな扉があった。こうなれば、自分だけでもこの場から逃げおおせなければ。
 軋む扉を無心になって開く。無理矢理に力を加えたからか、金属製とは思えぬほど簡単に壊れた。それに気を取られることなく、クロイは暗闇に足を入れる。

「何処へ行く。一人免れるつもりか」

 瞬間分かりやすく肩を震わせるクロイ。不穏な行動を見逃さない双眸がこちらを照らす。扇の所為で表情がよく見えない。

「愚か者。私を惑わせられるとゆめゆめ思うな」

 ぱちんと荒い音がしたかと思うと、天禰は扇を消し彼の首を掴んだ。水が得られない魚のように、クロイは口をぱくぱくと動かす。もうまともに言葉を発していない。

「天罰を加えられたいなら、話は別だが」

 そう嘲笑してやると、その場に座り込んでしまった。――これで大丈夫だろう。天禰は動けなくなったクロイを眺め抵抗出来ぬ事を確実にする。
 先刻気配を確認した隣室に入ると角の方に呼吸音が聞こえた。姿を変える事もせず、天禰は彼女を優しく抱え上げる。その目はもうすっかり安らぎを纏っていた。

*************

「……ん」

 家に辿り着き、彼女の目覚めを待つ天禰が少年へ戻ると同時。
「ふぁ……んーっ、良く寝たぁ」

 そのあっけらかんとした第一声にぽかんとし、そして一斉に彼等は破顔した。

「くっ……久々だな、こんなに笑えるのは」

 その笑いに疑問符を浮かべるクルスに、照前が苦笑気味に理由を説明する。どうやら攫われたことが記憶にないようなので、それは言わずにおいた。

「ああ……朝からずっと貴女が起きないので、それを眺めていたのです」
「ちょっ、起こしてよ! 神様笑いすぎ!」
「す、済まない……余りにも、可笑しくて、だな……」

 目尻を拭いながら天禰がクルスに弁明する。説得力がない。頬を少し膨らませながらも最後には釣られてクルスも笑い、何が可笑しいか分からなくなるほど喜色満面が広がった。


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