王女様と誘拐事件:Page.09

「それからよ。私が武術を始めたのは」

 あの時に感じた己の無力。誰かに助けて貰わねば自分の身一つ守れない。もう二度と味わいたくなかった。
 次に同じ事が起こっても、一人で何とか出来るように。もし誰かに起こったならば、それを助けられるように。
 無事に10歳の誕生日を迎えたエルナは固く決意した。当初反対した王を説得して、現在に至る。

 話している間の二人の表情は知らない。意外にも余裕が持てなかった。
 探るように遠い過去を呼び覚まして。そんな自分を、どう見ていたのだろう。

「だから、一人で向かったのか。幼い頃の誓いの為に」
「そうね……そう、かも。まさか9年も経って、機会が来るとは思わなかったけど」

 薬が効いているのだろう。今のところ左肩の痛みは治まっている。抑々無茶をした代償など、後悔の材料にはならないが。

「だから、あの子もあんたも無事で――ちゃんと守れて、嬉しかったのよ。自己満足、だけど」

 王女はふわりと、幸福を湛える。あの少女に同じ恐怖を味わって欲しくなかった。少しでも早く終わらせてあげたかった。
 徐に、大きな掌が栗色の髪に触れる。慈しむように、そっと。

「……ジェラルド?」
「もうこんな事はするな。立場を弁えろ」

 厳しい正論。容易い予想だ。真面目な護衛なら、話し終えた後にきっとこう言うだろうと。

「それは自分の為だけに使う力だ」

 それじゃああんたはと、返そうとするが声にはならない。上手く出せなかった。
 解っている。自分はただ守られる立場だと。

「自分の身は自分で守る。勿論、お前も」

 王女の視線を読んだらしい。やけに自信満々だ。わしゃわしゃと頭を撫でられるエルナに、ウェルシュも身を乗り出す。

「僕もお力になります。まずはゆっくり、怪我を治しましょう」
「そうですよ姫様。私が付きっきりでお世話致しますから」

 そう言って入ってきたのは誰あろう王女付のメイド、アリーヌ。
 ジェラルドが素早くエルナから離れる。彼女の世話に関しては門外漢だ。それに、彼女に触れた場面を見られたと思うと何故か気恥ずかしい。

 陶器製の白い桶を二つ、その一つにタオルを積み上げてベッド横の机に運ぶ。その動作に彼女が何をするのか悟り、ジェラルドとウェルシュはそそくさと隣室へ移動。
 こちらが指示する前に動いた二人に感心し、アリーヌはエルナの体を起こした。

「随分と懐かしいお話をされましたね」

 あれは姫様にとっても、陛下や私にとっても良い思い出でないのに。

「聴いていたの?」
「ええ……すみません」

 本人が話そうと思ったのであれば、とても邪魔は出来なかった。腰を折ってはいけないと、己もまたあの過去に記憶を飛ばして。

「もう9年になるんですね……」

 エルナの肌を濡れタオルでなぞりながら、アリーヌは悲しげに金色の瞳を揺らす。今にも涙しそうなそれにぎょっとして、エルナが言葉を繕う。

「そんな顔しないで。ごめんなさい、貴女にも心配かけて」
「本当に、気を失うかと思いました。こんな大怪我までして」

 苦笑した彼女に呆れられても、エルナは責めない。そっと目尻を拭いて、アリーヌは着替えを取り出す。

「これから一ヶ月は絶対安静ですよ、姫様」

 ほんの少しだけ意地悪そうに王女の頬をつついて告げるアリーヌ。
 長年の勘が導き出した。どうやらこれはかなり怒っている。思わず背筋が伸びた。

「う、うん、努力、します……」


prev | next
9/9


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -