王女様と誘拐事件:Page.08
「陛下、姫様の居場所が分かりました」
「本当か!」
ニゲラが冷静にそう告げると、王が椅子を倒さんばかりに立ち上がる。喜色満面と言っても良い位、頬が緩んでいた。
「手の空いていた兵達も、先程向かわせました。この後私も出向きますので、陛下は城に」
「分かった。……頼んだぞ」
足早に服をばたつかせ一人の元老が出ていくと、王もまた孤独に苛まれる。
僅かになった陽光が指す窓に不安を零し、職務遂行を再開。時間はとてもゆっくりと、焦れったい速さで過ぎていった。
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それから幾許が過ぎたろう。少女はふと目を覚ます。瞳に映るものは変わらず、嗚呼、未だに悪夢は治まらないのか。
空間はただただ無言で、慰みを与えるものは何一つない。寧ろもういらないのだ。
何も見えないのに、何を見たって笑えない。涙も乾き果てた。お陰で頬がパリパリと引き攣る。
呼吸すら息を潜め、無慈悲にこちらを苦しめる。
諦め。それが己を占めてから随分経った。心は変化のない闇へと、穏やかに突入。
受け入れている、この現状を。何も出来ないままに、沈んでいく。
蹲るだけで状況が崩れる事はないのに、只管に膝を抱えて。言葉すら形にしない思考は止まった。
「おい」
降った声に大げさなほど震えると、男がにたりと笑う顔が浮かんだ。
「お迎えが来たぞ」
瞬間、自分はまだ生きているのだという実感が湧いた。咄嗟に顔を上げ、琥珀の瞳を瞬かせる。
「大人しくしていろよ。人質として最期まで役立って貰うんだからな」
だが額に近付いた銃口に、もう死ぬのだという実感が直前の感情を打ち消す。餌に釣られた魚の如く、小さな王女は振り回されていた。
世界が開ける。真白の向こうに踏み込む事を許されて。
黒々としたその場を離れ、王女は誘拐犯に抱えられた。無傷では済まない位置にある、いずれ己の魂を消し去るのだろう真っ黒い拳銃に見張られながら。
回廊を渡り終えたそこには、木製のテーブルと椅子が並び――
「姫様!」
「……爺や……!」
元老の一人・ニゲラと王国の紋が刻まれた兜達。何時の間にやらこれだけの人間が集結していたとは。
変わりない様子の王女に彼等は安堵し、その子供らしい表情に暫し緊張を忘れ。
「感動の再会はそこまでだ。さっさと金を渡せ」
ぴしゃりと男が緩んだ空気を固める。エルナを抱えたまま、見せ付けるように銃を押し付けて。
そこで「金」という単語が出た事によって、攫われた本人に自分が何の目的でこうなったかが理解される。
この男は王宮に膨大な金銭があるとでも思っているのか。そんな事の為に私を。
「離して!」
怒りに満ちた双眸が炎のように揺らめく。全力で体を揺らし、見事男の意表を突く事に成功した。落ちた衝撃など何ものでもない。
すかさず兵の一人が転がる彼女を救い上げる。
「ガキが舐めた真似を!」
劈いたのは銃弾の咆哮。切り裂かれた自身と兵の服。記憶は二度目の消失を犯した。
兵士の足元に何事もなかったかのように落ちた金色の弾が、睨みを効かせて輝く。
意識を失った王女を抱え、彼は腰に提げた剣を手にした。それを合図に同じようにして、元老の背後に聳える兵士等も険しい表情で各々の武器を構える。
そう――幾ら挙動が良くリーチの長い銃を掲げても、人数では圧倒的に男側が不利。おまけに銃弾は、本体に入っている数発分しかない。
「そちらこそ、これ以上不毛な真似は止め給え」
ニゲラが低く、抑えた声で言う。俄に焦りを感じた男は、すぐさま狙いを彼に定めた。
しかし放とうとした音は上空に吸収。代わりに紅血が降る。落ちる拳銃。よろめく男。
ニゲラの懐から飛んだ僅か数センチの銀ナイフが銃口の角度を変え、男の右手を掠めていった。
乾いた音がなくなると共に、空間に静けさが訪れる。
「捕らえろ!」
酷くあっさりした幕切れ。男は最早なすがままで、抵抗はない。
縄を解かれた王女とは反対に、犯人が縛り上げられる。
――こうして、王女エルナ最大の事件は終焉となった。彼女と王宮に、手痛い傷跡を残して。