王女様と誘拐事件:Page.06

 天辺に鎮座していた太陽が緋色の空を下り始めた頃、王宮は嵐の前の静けさに包まれていた。

「もうそろそろ、姫様もお戻りになるでしょうか」

 王につき従っている最古参の元老・ニゲラが、硝子窓から外の様子を一瞥する。やはり手放しで外出させるのは心許ないらしい。

「私よりも心配性だな。気にはなるが、あの子だって馬鹿じゃない。その辺の事は弁えてるさ」
「まぁ……そうでしょうけれども」

 王が忍び笑いを返すと、元老は口ごもりそれきり黙った。王の執務室は、何時も通りの静寂に戻る。
 すると甲高い侍女の声が地を轟かせ、事態は一変した。

「陛下! 大変です、緊急事態です!」
「これ煩いぞ。そんな大声ではしたない」

 ニゲラの注意を無視し、王の目の前に侍女が詰め寄る。鬼気迫る顔に気圧され、王が不快そうに言った。

「何だ一体」
「ひ、姫様が! 王女様が!」

 切羽詰まったその言葉に、二人は顔を見合わせた。王の目の色が変わる。

「エルナがどうした。怪我でもしたのか」
「違います! そんな事だったらどんなにマシか! ああもう、何だってこんな事に」

 慌てふためくばかりで侍女は精一杯らしく、噎せたのか大きく咳き込んだ。

「落ち着け」
「落ち着いてなどいられません! エルナ様が、エルナ様が……」
「だからエルナがどうしたんだ」

 みるみる目の潤む侍女を憐れみつつ、早く何が起こったか述べろと急き立てる。すると拳を作り服を掴んでいた手が緩められ、ぐしゃぐしゃの顔と紙が王の眼前に向けられた。

「ゆ、誘拐されたのです……!」
「な?!」

 そう叫ぶや否や、余程ショックだったのか侍女は卒倒した。反射的に握られていた皺だらけの紙を奪い取り、王は文面を確認した。
 何度も何度も読み返したが確認出来る文字は同じで、紙を震える腕をそのままにニゲラに渡す。そして彼の顔色が極端に悪くなったのを斜視して、王は愕然とした。
 紙には濃黒のインクで乱雑に文字が並べられ、「王女を預かった」という他に身代金要求が記されていた。

「な、何と……」

 上手く動かない口から出たのはただその一言のみだった。情報処理が追いつかない。
 なにはともあれ、まずは倒れた侍女を運ばせる。ずっと此処で寝転がられては対応も出来ぬ。

「おい、誰かいないか、おい」

 極めて冷静に呼びかける。こういう時こそ治者としての真価が問われるのだ。国を導く者があっさりと居竦まってしまっては、それを支える者達が被害を被る事になる。

「お呼びですか陛下」

 幸いにも呼びかけに応じる声がすぐ耳に入った。ほっと安堵したが、遠慮がちに入って来た年配の侍女長は、王と元老の気色に悪い物を見てしまったような何とも言えない様子だった。視線を下に移した所で倒れている仕事仲間に気付き、目を皿にして駆け足で彼女に近寄る。

「ええと、この者は一体……?」
「ああ、突然倒れてしまってな。大事ないと思うが、医務室へ運んでやってくれないか」
「は、はぁ……」

 どうやらこの侍女は他の使用人たちにも告げず此処へやってきたらしく、侍女長が「何故こんな場所にいるのか」とぼやいていた。

 ――さて。問題は此処からだ。
 ぽつねんと突っ立ったまま、王は元老に見解を求めた。この王族として最悪の事件、一体何処まで伝達すれば良いか。
 第一発見者である侍女は例外として、元老、衛兵……。エルナの侍女にも知らせるべきか。いや、それよりも先に犯人の居場所を探らなければ。

「とにかく元老と兵だけでも集めましょう」
「そうだな」

 冷や汗をかきながらニゲラが年甲斐もなく大股で走る。ひらひらと靡く丈の長い衣服を鬱陶しそうにしながら彼が姿を消すと、王はか細い溜息を吐いた。
 そして数分後、謁見の間を兼ねた大ホールはニゲラを含む7人の元老と、その他大勢の一般兵士達で溢れていた。熱気が凄まじい。

「ニゲラ、諜報は」
「命じました。必ずや吉報を」
「うむ」

 諜報兵は王の近衛兵からなり、余程の重大事にしか編制されない。彼等が有力な情報を得るまで、この近辺を捜索するしかないだろう。間違っても国外にはいないだろうと信じたい。

「では各自、城下町とその近辺の聞き込みを頼む。事は急を要する。ほんの僅かでも良い情報が得られれば、すぐに私に知らせよ」
「御意!」

 我先にと出て行く兵達。芋を洗うような状態が解消されると、今度は冷気が流れ込む。

「無事でいてくれ、エルナ……」

 その呟きは誰の耳にも届かず、刹那に呑み込まれた。


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