王女様とその護衛:Page.01
賑やかなパーティーが催されている、ある宮殿のホール。
何が不満か口を真一文字に閉ざし、このパーティーホールの持ち主の娘である王女・エルナ=ホープは、ステージ上壇に置かれた椅子から、集まった人々を興味なさげに眺めていた。
「どうしたエルナ、つまらなさそうだな」
眼鏡越しに穏やかな笑みを湛えた壮年の男がエルナ=ホープに声をかける。エルナとは彼女の愛称で、こちらの名で呼ばれることが殆どだ。
「お父様……」
特別に着飾った美しい紺碧のドレスに、ショートスタイルの栗色の髪につけられた幾つもの煌びやかな装飾。だが、表情はそれに見合うほど明るいとはいえないものだった。
「何か心配事でもあるのか?」
そう言って彼女の父・ブローディアは、目線を娘である王女に合わせる。エルナはそこでようやっと表情を崩し、琥珀色の双目を細め、苦笑気味に「別にないよ」と答えた。
「退屈かも知れないが、決して外には出るなよ。……まぁ、護衛がいるからいざという時は問題ないだろうが」
護衛。――そう言えば、“彼”は何処にいるのだろう。「俺の出る幕ではない」などと言って、宮殿の何処かで、若しくは自室で過ごしているのだろうか。
(お堅い奴よね、全く)
護衛である“彼”が聞いたら物凄い剣幕で睨まれそうだが、幸いにもその人物は此処にはいない。
(ちょっくら探しに行くかな)
王女・エルナはそう思い立ち、身に纏ったドレスの重みを感じさせない位に壇上から華麗に飛び降りた。
「あ、こら、エルナ!」
すぐさま父親の怒声が飛ぶが、彼女はお構いなしにホールを駆け抜けていく。慣れぬドレスを引きずりながらあっさりと扉を開き、外に出るなという先程の王の忠告を完璧なまでに無視した。父であるコレット国の王が大っぴらに音を立てて額を手で覆う。
「全く、少しはお淑やかにしてくれないかエルナ……」
パーティーを楽しむ紳士淑女たちが走り去る王女にあっけにとられている中、王の空しい独り言を聞いた者は誰もいなかった。
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此処は「Country of Left in the Top World」、通称コレットと呼ばれている国。
この浮遊大陸世界には上中下の“階層”と呼ばれる空間があり、一つの階層に左右2つの国が存在する。それぞれ独立した浮遊大陸の上に国が在しており、この国は一番上の階層の左側にある。
断わっておくが、階層が上であってもこの国の地位が世界で上位に位置する訳ではない。
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パーティーホールから離れ本来の居住地である宮殿に向かって、女性らしからぬ大股で彼女は走っていた。紺碧のドレスを何とか膝近くまで引き上げ、紅色のハイヒールで颯爽と赤い絨毯の敷かれた宮殿に入る。
護衛の自室は、エルナの部屋の隣にある。いざという時に一番先に彼女を守れるようにとのことだ。
エルナは一気に階段を駆け上がり、自室を目指す。
3階に着くと足を緩め、左に曲がる。決して華美ではない扉がすぐ視界に入り、彼女は容易く護衛である“彼”の部屋を見つけた。その奥がエルナの自室である。
その“彼”の部屋の前で立ち止まり、軽やかに来訪を告げる。しかし、数秒待っても声は帰ってこない。仕方なく扉を開けて入室するが、姿が無かった。
「もー、何処に行ったのよ」
折角走って此処まで来たのに、随分な拍子抜けである。気が削がれたエルナは、諦めて“彼”の部屋を後にしようと引き返した。
「……あ、」
不貞腐れつつ前方を確認しないまま進むと、何かとぶつかった。壁かと思い見上げると、そこには探していた金髪黒眼の“彼”の無愛想な顔があった。
「お前、こんな所で何してるんだ」
「えーと、暇潰しに」
「抜け出してきたのか?」
「あからさまに呆れないでよ」
一瞬驚いたように黒い目を見張ったかと思うと、次の瞬間には不機嫌ともとれるテノールが響く。
彼女がパーティーの途中でこちらに来たと悟ると、今度は分かりやすく溜息を吐いた。
「だって暇なんだもん、仕方ないでしょ」
自信ありげにそういう王女に、護衛である“彼”が「王の事も考えろ」と窘める。今頃きっと項垂れているに違いない。
「分かってるって! それよりジェラルド、今暇?」
眩しい位の笑顔で彼女が言うもんだから、ジェラルドと呼ばれた護衛は嫌な予感を走らせつつ返答する。
「……何だ」
「散歩するから、ついてきて!」
――そら来た。大体そんな所だろうと思っていた。
だがジェラルドはそんな心中とは裏腹に上着を二人分用意し、王女に付き添う意思を示した。元よりそれが仕事なのだから、拒否権は端から無いのだが。
「冷えるからこれを着ていけ。と言うか、お前ホールからそんな姿で走ってきたのか」
「うん、そうだけど?」
有難うと上着を受け取り微笑みながらそう言う彼女に、ジェラルドは危機感の足りなさを嘆いた。
風に煽られたのだろう、栗色の髪が乱れていたのを丁寧に直してやると、感謝と共に先程と同じ明るい笑顔が帰ってきた。
露になっている白い項が窓越しの月光に照らされ、一際美しく見える。上着がそれを隠してしまうのが、若干惜しく思える位に。
「さーって、早く行こー!」
「はいはい」
威勢良く部屋を飛び出す彼女に苦笑しながら、ジェラルドは静かに扉を閉めた。
外は涼風が吹いており、エルナは僅かに身震いした。先程は走っていたので、肌寒さには一つも頓着していなかった。
ホールのシャンデリアの灯りが窓から漏れ、まるでそこだけが真昼のように明るく光っている。
「眩しいわねー、あそこは」
琥珀の目を細めて他人事のようにホールを眺めるエルナに、ジェラルドが一言「そうだな」と答える。
招かれた訳ではないので詳細は分からないが、それでも内部の雰囲気は大体想像出来た。
「そうそう、この間行き損ねたあの塔に行かない?」
「……あの塔?」
王女の言葉を反芻し、彼は先日の探険に付き合わされた時の事を思い出す。
王宮の敷地の外れにひっそりと隠れるようにあった建物を偶然にも彼女が見つけ、こちらが止めるのも聞かずに走りだした所で、何時の間にかいたメイドに呼びとめられたのだ。
その後の彼女の落ち込みようは凄かった。また今度行けばいいとふくれっ面のエルナに諭した事が懐かしい。
「こんな時間でなくても良いだろ」
記憶を巻き戻した後率直に正論を述べると、彼女は即座に不満に顔を歪めた。
だが今は夜だ。ましてやパーティーで人は殆ど城(こちら)にいない。更にあのホールからでは塔の位置は離れすぎている。万一の事を考えれば、明日以降にすべきなのだ。
「思い立ったが吉日って言うでしょ!」
案の定大声でそう喚かれ、ジェラルドはそれはもう渋々と彼女に従ったのだった。