第十七話
湯殿を出て、マダラ様の御部屋へと向かっていた時だった。

「マダラ様……あの…実は……」
「……どうした?」

先程、湯殿でマダラ様から頂いた簪をいつの間にか紛失していたことに気付いたのだった。マダラ様に伝えようと思っていたのだが、中々言い辛く、今になって急にマダラ様を引き留めてしまった。

「……実は…マダラ様から頂いた簪を紛失してしまったのです…。マダラ様が大事にされていた物だったのに…私は…」

私はマダラ様に謝ろうと頭を下げようとした時、マダラ様は私の肩に手を置く。

「大丈夫だ。あの簪はオレが梅川屋で見つけた。だから、安心しろ」
「……ああ…良かった…ありがとうございます!」

もう二度と見つからないと思っていたばかりに、マダラ様が見つけて下さった事を聞き、私は心が晴れ、胸が軽くなった。マダラ様は胸元からあの簪を取り出すと、私の手の平に置いた。

「今からつけておけ…」
「はい…」

私は結い上げた髪の中に、簪を挿し込んだ。マダラ様は満足そうに見つめると、私の髪に優しく触れる。

「やはり、似合っているな。お前に与えて良かった」
「マダラ様、ありがとうございます…」

マダラ様に褒めていただいて、私は自然と口元の端が緩み、きゅっと口角を上げながら微笑んだ。とても幸せな気持ちだった。マダラ様も同じ様に笑みを浮かべながら私を見つめる。束の間の、さり気ない出来事が私の心を満たしていく。
マダラ様は私の手を握ると、再び廊下を歩き始めた。

部屋に着くと、既に沢山の食事が高坏の上に並べられていた。今まで見た事のない贅沢な空間を見て、私は現実とは思えなかった。私は驚きのあまり固まっていると、マダラ様が不思議そうな表情で私の顔を窺い見る。

「どうした…腹が減っているだろう? うんと食え」
「マダラ様、ありがとうございます。」

私はマダラ様に腰を下げて礼をすると、マダラ様は私の手を取り、腰に手を添える。

「礼は不要だ。オレの前でそう硬くなるな。気を楽にしろ」
「マダラ様…」

私はマダラ様に手を取られながら部屋に入る。

「どうだ?気に入ったか」

マダラ様は微笑みながら私を見つめた。

「ええ、こんな豪華な食事は初めてです…」
「…そうか…」

私はマダラ様の前に座らせていただくと、目の前の豪華な食事に思わず見入ってしまった。

「もう食べていいんだぞ?」

マダラ様は不思議そうに首を傾げながら言った。

「あっ…すみません…いただきます…!」

私はマダラ様に言われた途端、慌てて箸をとり、食事を食べ始めた。華やかに描かれた小鉢に野菜や肉料理等が其々入っており、口に含んだ瞬間、あまりの美味しさに喉が鳴った。このような美味しい料理は、今まで食べたことがない。幼い頃の飢えに苦しんでいた日々を思い出しては、このひと時が夢物語のように思えた。

「……うまいか?」
「……はい!とても美味しいです」

マダラ様は微笑みながら、お酒を片手に食事を召し上がっていた。

「マダラ様、お酒をお注ぎいたしましょうか?」

私は大分お腹が満たされたので、箸を置いた。

「いや、構わん。それよりも…もっと食べなくていいのか?」
「はい。十分にいただきました。ありがとうございます」
「では、小夜……オレの隣に来い」
「はい…」

私は静かに立ち上がり、マダラ様の手に導かれながら隣に座った。

――これ程近くに座らせていただけるなんて…夢みたい…。

私はマダラ様の横顔をずっと見つめていた。お慕いしている方の側に隔てなく居られるのは、この上なく幸せだった。あまりにも幸せなので、今の自分が嘘のように思えてくる。

――嗚呼、このまま、ずっと…マダラ様のお側に居られたら…。


「……小夜…どうした?」

マダラ様はいつの間にか食事を終えていたのか、私の顔を窺い見ていた。
私は我に返り、思わず顔を背けてしまった。

「…すみません。芒っとしてて…」
「フッ…なんだ、オレの顔でも眺めていたのか」

マダラ様は私に近付くと、身体を密接させた。益々恥ずかしくなってしまい、私は顔を赤くさせてマダラ様から少し離れた。

「そんな畏れ多いことを…」
「恥じらう姿も愛らしいな、お前は…」

マダラ様の言葉に益々胸をときめかせていると、マダラ様はお酒を持って立ち上がり、私の手を取る。

「……隣の部屋に行かないか?」
「はい…」

私はマダラ様に連れられて隣の部屋に行く。僅かな月の光で照らされた、薄暗く、畳の匂いが漂う部屋。マダラ様は障子を開けると、縁側に座り、私の手を引く。

「……ここに座れ。」
「はい…」

私はマダラ様の隣に座り、目の前に広がる美しい庭園を見た。薄氷が張った池とその周りを囲うように咲くサザンカ。庭石や草木には、昨晩降った雪が僅かに残っている。真っ白な景色に彩りが加えられ、華やかな景色だった。

「どうだ、美しいだろう」

私は目の前の景色に見入っていると、マダラ様が盃を持って此方を見ていた。

「はい、とても美しいです…」

私は徳利を持ち、マダラ様が持つ盃にお酒を注いだ。

「小夜…寒くはないか?」

私がお酒を注ぐと、マダラ様は心配そうに見つめる。

「大丈夫です、マダラ様…心配して下さって、ありがとうございます」

私は笑みを僅かに浮かべながらマダラ様に言うと、

「小夜……もっと近くに寄れ」

とマダラ様は言いながら、羽織の中にぐっと私を引き寄せた。その衝動で、私はマダラ様の胸元に身体が当たってしまった。

「マダラ様…」

私は顔を見上げてマダラ様の顔を見る。

「そう、恥ずかしがるな…存分に甘えると良い」

マダラ様は私の髪を撫でながら、お酒を呑む。私は体が密接して恥ずかしくなりつつも、マダラ様の優しい温もりを感じて、目を閉じながら身体をマダラ様に委ねた。

「やはり、こうすると暖まるな」
「そうですね…」

マダラ様は盃を床に置くと、私の頬に触れながら

「夜の酒には、お前のような女が合う…」

と、そっと呟いた。
私は何と返事をすれば良いのか分からず、顔を俯かせてしまった。次第に顔が熱くなり、胸の鼓動が早くなった。気の利いた答えが浮かばず、唇に折り曲げた人差し指と中指を当てながら、もじもじとしてしまう。
考え込んで縮こまっている私を見て不思議に思ったのか、マダラ様は私の顔を覗き見た。

「…小夜…?」
「いえ…何でもありません。気にしないで下さいませ…」
「なに、どうした…言ってみろ」

マダラ様は悪戯に私に言い寄る。私の気持ちが分かっているのだろう。何も言えない恥ずかしさで、私がマダラ様から離れようとした瞬間、マダラ様は力強く私を引き寄せると、額に軽く口付けをした。

「マダラ様…」

私は顔を上げると、月を背にしたマダラ様が神々しく見えた。その御姿に思わず見入っていると、マダラ様が私の顎を持ち上げ小さな声で囁く。

「小夜……」

マダラ様はゆっくりと顔を近付けると、優しく、穏やかな口づけを落とした。そして、私の腰に手を回すと、次第に力が込もり、比例するように唇に熱が帯びていく。何度も唇が離れては、互いに引き寄せられ、何度も口付けを交わした。
愛おしさで胸が一杯になる。
愛し、愛されることが、これ程まで身を焦がすものなのか。
目の端に、雫のような小さな涙が溜まる。目蓋が震え、マダラ様の力強い口付けに応えることに必死だった。息があまり吸えず、何度も離そうとするが、その度にマダラ様は私の後頭部を強く抱くのだった。
そして、僅かに唇が離れた瞬間、

「……小夜、今夜は以前とは違い、容赦はしない。良いな……」

と、マダラ様は情熱的な目で私に言った。

「……はい。マダラ様……」

私がゆっくりと頷くと、マダラ様は私を持ち上げ縁側を後にした。マダラ様の着物を握る指に力が入る。これから先行われる事を想像しては、胸の鼓動が止まらなかった。
マダラ様は素早く襖を開けると、既に敷かれている布団の上に私を座らせた。燭台の灯りは消えており、障子に差し込む月明かりが部屋を照らしている。マダラ様は私の隣に座ると、私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
月の光がマダラ様の顔を照らし、黒く澄んだその瞳に私は引き寄せられていた。

「小夜…お前の肌は誠に綺麗だ…」

マダラ様は私の頬に手を添えると、壊れ物を扱うかのように優しく触れる。

「……そんな…肌が綺麗だなんて…」
「……お前ほど愛らしい女は見たことがない」

マダラ様のその言葉によって、私の胸の鼓動は更に早くなり、頬を赤らめさせるのだった。その顔を隠すように私は顔を俯かせていると、マダラ様はふっと軽く息を吐くように笑っていた。

「そう恥ずかしがるな…お前の顔が見えなくなるだろう…」

マダラ様の片方の手が腰に添えられると、徐々に互いの距離が近くなっていく。

「……マダラ様があまりにもお褒めになるから……」
「……何を言う…オレは本当の事を言ったまでだ」

腰に添えられた手に力が込められ、胸元に抱き寄せられると、マダラ様は私の頭を撫でた。体の緊張が次第に解れ、その優しさに、いつの間にか身も心も委ねていた。
マダラ様の指先が髪の流れに沿うように滑ると、挿し入れていた簪を緩りと抜いた。私は顔を見上げると、マダラ様と目が合い、互いに視線を交える。そして再び、私の髪にマダラ様の手が伸びると、束ねていた髪を解いたのだった。

「……お前は髪も美しいな…」

マダラ様は目を細めながら、私の髪に指を絡めている。

「……そんな…」

照れ隠しに、私は自身の髪に触れた。

「……髪を下ろした方が少し艶が出るな」
「……そうですか…?」
「…ああ」

マダラ様の意外な言葉に驚きつつも、内心では嬉しくて仕方がなかった。

――お慕いしている方から美しいと仰られて、胸を踊らせない女はいるだろうか。


「……小夜…」

マダラ様は私をゆっくりと押し倒すと、私の身体の上に覆い被さった。その大きな掌で私の顔を包みこみ、鼻先まで顔を近付ける。

「愛している…」

そう告げた瞬間、マダラ様の瞳に緋い燈を宿したように見えた。秘そやかな情熱がその瞳を通じて伝わってくる。私はマダラ様の手に自身の手を重ねた。

「マダラ様…私も、貴方様をお慕いしております…」


その晩――
長く辛い月日を経て、私はやっと、愛おしい方と再び結ばれたのだった。

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