第十六話
山賊に手籠にされ、私の身体は二度とマダラ様に顔向けできぬものとなっていた。

男達の厭らしい笑い声が脳裏に焼き付き、脳内を木霊した。声を失ってしまう程に、何度も声を切らしてしまうくらいに泣き叫んだ。奈落の底に突き落とされ、私は理性を失っていた時には、男達の玩物となっていた。

消えてしまいたかった。

そう思っていた時。マダラ様は私の元に現れたのだった。温かく、懐かしい匂い。傷ついた私の心に、そっと寄り添うように、マダラ様は私が泣き止むまでずっと抱き締めて下さっていた。先程まで怯え切っていた心が、マダラ様によって安らかな気持ちになった。

『小夜、オレの屋敷に来い。一緒に暮らそう』

マダラ様は私に言った。
私は自身の立場を考えると、とても恐れ多かった。マダラ様はうちはの頭領で、尊い存在だ。私のような卑しい者が側にいる資格などない。
しかし、マダラ様は今の私を昔と変わらず、受け入れて下さった。
その時、私は生まれて初めて、"生きている"という実感が湧いた。親しかった姉と死別し、血の涙もない兄と過ごした幼い頃。物心がついた時には、楼で金稼ぎの駒として働かされた。今まで、私は人に愛され、必要とされることを知らずに生きてきた。そんな私にマダラ様は愛情を注ぎ、必要として下さっている。閉ざされていた心の中に、後光が差し込むようだった。
マダラ様は私にとって、掛け替えのない大切な人となっていた。


私はマダラ様に肩を抱かれながら、洞窟の外へ出た。目の前に多くの村人が集まり、マダラ様に次々と感謝をする。ここまでの人望が集まるのは御強いからなのだろう。マダラ様を見ては改めて感心させられた。マダラ様は鬱陶しそうに怪訝な顔で村人達の輪の中を歩いていると、梅川屋の楼主が息を切らしながら、私達の目の前に現れた。

「マダラ様、本当にありがとうございます!芸妓達や金庫も取り返して下さり、誠にありがとうございます!」
「そんなことはどうでもいいが、小夜の身請けの事は忘れてないだろうな」

マダラ様は私を強く抱き寄せると、鋭い視線を楼主へと向けた。

「忘れておりませぬよ。これが契約書です。ここに御名前を書いて下されば、交渉成立でございます。」

楼主はマダラ様に紙と筆を突き付けると、マダラ様はそれを受け取り、誓約書に名前を記す。

「……マダラ様…やはり、私は…」

私は先程の不安が再び脳裏に過り、思わず言葉が出てしまった。

「……小夜、案ずるな。金は払わん。山賊共を手打ちにする代わりに、お前を身請をすることにしたのだ」

マダラ様は誓約書を楼主に渡す。

「では小夜、今日からお前はオレの屋敷に住め。良いな。」
「……はい…」

マダラ様のお屋敷で住むという事は――私はやっと、何の制約もなくマダラ様の御側にいることができるのだ。不安もあったが、やはり、マダラ様の側にいられる事への嬉しさのあまり、自然と笑みが溢れた。
周りにいた姉さん達が私のもとに集まると、

「小夜、元気でね…私達のこと忘れるんじゃないよ!」
「小夜、マダラ様のもとで幸せになるんだよ!」

と、私への励ましの言葉を告げていく。

「……姉さん達……本当にありがとうございました。…姉さん達もどうかお元気で……!」

私は皆に別れを言って、マダラ様のもとに駆け寄る。マダラ様は私を抱き上げると、屋敷へと向かった。
 
これからどのような日々が待っているのだろうか。

愛しい方との幸せな生活――想像もしていなかった出来事に胸を膨らませながら、私はマダラ様の首に縋り付き、ぎゅっと抱き締めた。

***


 
「…小夜、寒いか? 直に屋敷に着く」

ちょうど森を抜けた頃だった。辺りを見渡すと、いつの間にやら日は落ち、すっかり暗くなっていた。少し肌寒く感じられ、私は身を縮めていると、マダラ様は私の方へと目線を向けて囁いた。

「大丈夫です、マダラ様…」
「暫しの辛抱だ。オレにしっかり掴まっていろ」

マダラ様はより力を込めて、私を抱き締める。私は胸が高鳴り、頬が僅かに熱くなった。そして、私が甘えるようにして身を委ねると、マダラ様はふっと笑みを浮かべ、流し目で私を見る。

「可愛い奴だ」

つい子供のように甘えてしまっていたので、私はふと我に帰った瞬間、頬が一瞬にして赤く染っていた。その顔を隠すようにマダラ様の首元に顔を埋めると、マダラ様は私の背中をとんとんと優しく摩った。


懐かしい景色が視界に映ると、その中に一際目立つ屋敷があった。もう二度と来ることはないのだろうかと夢の中でのみ現れた場所。私はマダラ様の屋敷に着いたのだ。鼓動が早くなり、マダラ様の服を僅かに握り締めた。
マダラ様は屋敷の方へと進んで行くと、木の枝から降りて屋敷の門をくぐった。

「マダラ様!心配していたのですよ!」

髪の長い男が私達の前に現れ、マダラ様の元へと駆け寄った。

「……ヒカク、心配をかけたな」
「この集落でもっぱらの噂となっておりますよ。御無事で何よりです」

この方はヒカクと言うらしい。マダラ様の部下なのだろうか。ヒカクさんは少し怪訝な顔で私を一瞥する。

「この方は…?」
「小夜だ。以前お前には話していたはずだが」
「ああ…あの芸妓の方ですか」
「身請けの件は後でお前に話す。……ヒカク、女中を一人呼んでくれないか?」
「はい、かしこまりました。」

ヒカクさんはマダラ様に一礼をすると、屋敷の玄関へ向かい、廊下にいる女中達に指示を出していた。私はマダラ様に肩を抱かれながら玄関口に着くと、一人の女中が此方にやって来る。

「マダラ様、お帰りなさいませ」
「悪いが、小夜に湯浴みと傷の手当てをしてやってくれないか?」
「かしこまりました。あの…着物はどうなさいますか?」

女中がマダラ様に問うと、マダラ様は人差し指を顎に当てて、暫しの間考えていらっしゃる様だった。

「着物か……。小夜、すまないが、今は母の着物で我慢してくれないか? 後日、お前には上等な着物を手配する」
「そんな……私めには、この着物で充分でございます。洗えば綺麗になりますので!」
「お前はもう少し欲を持て。そんな安物の着物はお前には似合わん。小夜、湯浴みをしてこい。湯浴みをし終えたら、オレの部屋で待っていろ。オレは少し長老達と話すことがある」
「…はい…」

 私はマダラ様から離れ、女中に付いて行った。廊下を歩いていると、すれ違う人々から好奇な目線が注がれた。その視線から逃れたい所だが、逃げ場は勿論ない。私は顔を俯かせ、身体を縮ませた。
 廊下を歩いていると女中が歩きを止めた。何だろうかと顔を上げて見ると、廊下の向こうからイズナ様が歩いて来られた。私と女中は端に寄り、イズナ様に一礼をする。

「やぁ、この前以来だね。……着物、すっかりボロボロだね」

イズナ様は立ち止まると、私の目の前へと近付きながら仰られた。

「…これは…その…」

答え辛い質問で、私はたどたどしく答える。
イズナ様は私を見ては、クスクスと笑っていた。目を細め、女人と思わせてしまうような長い睫毛が黒い瞳を覆う。

「ねぇ、どこに行くの?……湯浴みでもしに行くのかな?」

イズナ様は私に顔を近付けると、悪戯っぽい口調で問う。また答え辛い質問をされた上に鼻先まで顔を近付けられて、私は緊張をしてしまい、更に小さな声で「はい」と返事をした。

「……そうなんだ。……で、湯浴みのあとは兄さんの部屋に行くんでしょ?」

イズナ様は目を細ませながら横目で、私の耳元に囁くように告げる。更に恥ずかしい事を聞かれ、次第に頬が赤くなってしまった。緊張と恥ずかしさで、目の瞬きが増える。どう答えれば、正解なのだろうか――。

「…そうです…マダラ様に、そう命じられておりますので…」
「……ふーん…そうなんだ。君、かなり気に入られているんだね。あれっきりだと思っていたから驚いたよ。しかも、君を山賊から救ってまで、身請けするなんてね…」

イズナ様は口の端を僅かに上げて笑みを浮かべると、私の肩を軽く叩き、何処かに行かれてしまった。緊張感から解き放たれ、私は胸を撫で下ろした。何故だか分からないが、イズナ様とお会いすると全てを見透かされているようで、妙な緊張感を持ってしまう。
 私は前方で待っている女中さんに謝ると、再び湯殿へと向かった。



「では、お着物は後で持って参りますので、ごゆっくり、おくつろぎくださいませ」
「ありがとうございます」

 湯殿に着き、私はここまで案内をしてくれた女中に礼を言った。女中が湯殿から出ていくのを確認してから、私は一枚ずつ着物を脱ぎ始める。脱いだ着物を見てみると、このような汚い着物を着て屋敷を歩いていたのだと思うと、少し恥ずかしくなってしまった。
自身の身体へと視線を移した時だった。
山賊に襲われた瞬間を思い出してしまい、身体が小刻みに震え始めた。己の身体に対して嫌悪感が募り、只ひたすらに気持ち悪いと思ってしまう。
早くこの穢れてしまった身体を洗い流してしまいたい。
マダラ様にこの身体を見られたくない――。
私は無意識のうちに、外にある野天風呂へと駆け込んだ。あの男達に触れられた記憶を消し去りたい一心で、何度も異常な程に身体を擦る。
――ああ、嫌だ。
次第に吐き気が込み上げ、思わず口元を手で塞いだ。この忌々しい記憶を消し去ることはできないのだろうか。
その時、私はふと顔を見上げてみると、夜空に浮かぶ月が目に入った。筆で描いたような雲の垣間から溢れる月の光が美しい。その光に魅せられてしまい、思わず見入ってしまった。月を見ていると、何故だか分からないが、嫌な記憶が消えるような気がした。



「……小夜」

その時、背後からマダラ様の声が聞こえたような気がしたので、私はゆっくりと振り替えってみると、マダラ様が急に私を抱き締めたのだった。私は驚いてしまい、言葉が出なかった。物思いにふけて、茫っとしている所を見られてしまったのではないかと、少しばかり恥ずかしくなった。

「……小夜、少し驚いたか?」

マダラ様は私を抱き締めながら、笑みを浮かべて私に言った。

「……驚きました…まさか…マダラ様がいらっしゃるなんて…。まだお話しになっているのかと……」
「案外、早く会合が終わったのでな」
「そうなのですか…」

会話が途切れると、私はふと今の自分の状態に恥ずかしくなった。互いの肌が密接しており、吸い付くような感覚を覚える。マダラ様を意識しているのか、どくどくと胸の鼓動が早くなった。

「……何を恥ずかしがっている」

私は恥ずかしさのあまりマダラ様から身体を離すが、マダラ様は私の身体を胸元に引き寄せ、より密接して私を抱き締めた。

「……今は……その…」
「……やっと二人きりになれたな…」
「……はい…」

マダラ様は真っ直ぐな瞳で私を見つめた。その情熱的な目線に目が絡んでしまいそうだった。徐々に互いの顔が近くなり、マダラ様は人差し指と中指で私の頬をなぞる。

「……まるで夢のようだ。やっとお前を再び抱く事ができたのだからな」
「マダラ様…私も嬉しいです。マダラ様にこうして、再びお会いすることができて…」

私達は互いの視線を交えると、存在を噛み締めるように手を握った。

「……肩は大丈夫か?」

マダラ様は私の肩に優しく触れると、心配そうな面持ちで見つめていた。

「……少し痛みます…」
「……そうか…では、オレ体を洗ってやろうか」

マダラ様は口角を上げて笑いながら、私を見る。

「……いえ、結構です!一人で洗えます!」

マダラ様の思いも寄らぬ言葉に驚き、私は慌て始める。

「顔が赤いぞ。……なに、洗ってほしいのか?」

マダラ様は私の手首を掴みながら、更に詰め寄った。

「……本当に大丈夫です!一人で洗えますから!」
「……素直ではないな……まぁ、いい」

私はマダラ様の言葉を聞いて、一安心していた。
マダラ様の大胆な行動には驚かされる。男の方に身体を洗ってもらうなんて、私には恥ずかしくて頼むことなどできない。

「……小夜、顔を上げろ」

マダラ様に言われ、私はふと顔を上げてみる。マダラ様は私をじっと見つめていた。
静寂な空気が流れていた。湯の流れる音が聞こえ、白い靄が私達を包む。マダラ様は私を次第に岩の方へと押し付けると、私を逃さぬように岩壁に両手をつけた。次第に縮まる互いの顔。熱い吐息が鼻先にかかる。鋭い眼差しが私を捕らえるように注がれた。
マダラ様は私の髪を耳にかけると、一瞬にして私の唇を塞いだ。全身を溶かしてしまうような熱い口付けだった。上唇と下唇を何度も交互に吸い付き、息を吸おうとしても即座に塞がれてしまう。優しさや、慈しみ、恋い慕う気持ちのすべてが唇から伝わってくる。私は目を閉じて、マダラ様の想いに応えた。次第に身体の緊張が解けると、マダラ様は頭部に手を回して私を抱き寄せながら、唇の隙間に舌を入れる。その深い口付けに私は肩を震わせると、マダラ様は口付けを止めて、顔を離した。

「……そろそろ理性が途切れそうだ。小夜、体を洗ってこい。オレは風呂に上がって中で待っている」
「はい…」
「この先は今夜にとっておく」

マダラ様の言葉を意味を考えた時、この先の行われる事に想像がつき、私は顔を赤くした。今宵、私はマダラ様の胸に抱かれるのだろう…か。想像をすればする程、恥ずかしくなってしまい、身体が固まってしまった。マダラ様はそんな私の姿を窺い見て私の髪を一撫ですると、風呂場から上がり、去って行った。
私はマダラ様の後ろ姿を見つめたまま、中々胸のときめきが止まらなかった。
 

体を洗い終え、浴室から出ると、マダラ様は既に着物に着替えており、窓際で涼んでいた。そして、私の存在に気付くと、

「出たか…そこに着物が置いてある。それを着ろ。お前の着物は女中が持って行った。」

と、棚に置いてある着物へ指を指して仰っていた。
私は布で体を隠しながら、棚の後ろに着物を持って行き、着替え始める。着物を手に取ってみると、年季は入っているが、白菫色の美しい布地に思わず目を奪われてしまった。

「……ふっ。そんな所で着替えなくてもいいだろう」

マダラ様は笑いながら仰っていたが、私は流石にマダラ様の前で着替えたくはなかったので、隠れるようにして着替えていた。

「恥ずかしいので……」
「……フン…まぁ、いいだろう…」

私は着物を着終えると、髪を再び結い直し、マダラ様の元へと歩み寄った。

「長らくお待たせして申し訳ございません…」

マダラ様は私を見た瞬間、目を少しばかり大きく見開きながら暫しの間凝視していた。マダラ様から貸していただいた、この美しい着物は私に似合っているだろうか。あまり自信がなかったので、腰が引けていた。

「……小夜、綺麗だ…やはりお前は美しい」
「マダラ様…」

マダラ様は私の手をゆっくりと引くと、腰に片手を回しながら抱き寄せる。マダラ様からお褒めの言葉をいただけるとは思っていなかったので、私は嬉しさのあまり、中々言葉が出てこなかった。
 
「そろそろ夕食の時間だ。今夜はオレの部屋で夕食をとることに決めた。二人きりでな…」
「…そうなのですね。こんなに嬉しい事は生まれて初めてです。」
「小夜……お前は本当に愛らしい女だ…」

私はマダラ様の胸元に引き寄せられると、身体を委ねた。そして、今まで会えることができず恋しさを募らせた日々を埋めるように、思う存分に甘えた。

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