第四話 朧月に君を想う


仕事漬けの日々とは異なり、今日は非常に長閑で面白い一日だった。
あれ程笑ったのは、いつぶりだろう。
火影就任式が近付いている今、寝る間を惜しんで大量の仕事をこなし、政治に関する書物に目を通す日々を過ごしていた。兄が統治していた頃と比べ、里の基盤は整いつつあったが、不安定要素が多く、万全とは言い難い状態だった。今まで如何に戦に勝てば良いか、力が物を言う時代であったが、民主主義による政治体制が整いつつあり、急速に変化していく時代の流れについていかねばならなかった。そのような中、荒くれた忍の残党が盗賊に扮し、娘を襲い、廓に売るという話をよく耳にしていた。特に地方の貧しい町ではよくある事であったが、里を治める者として、まずは地方の治安を正さねばならない。中心部とは異なり、地方の整備は滞っている。より安定した治世へ確立する必要があった。
こうして頭を悩ます日々が続いていた中、俺は偵察も兼ね、里の中心部から離れた田舎町へと釣りに出かけていた所、あの娘と出会ったというわけだ。たまたま森の中を散策していた時、その娘が盗賊に襲われていたので救い出したのだった。本来ならそこで終わる縁だったが、その娘が礼だと言って、俺の釣りに付き合い、半日程共にした。

ーーたしか、葵という名だったか。

今思えば、よく見知らぬ娘と二人きりで過ごしたものだと、自分でも驚く。
世間知らずな娘だった。見ず知らずの俺を礼だと言って、釣り場へと案内をした。普通の娘なら、男と二人になる状況は避ける筈だ。しかし、あの娘はこの俺を信用し、長時間、俺の釣りに付き合っていた。その甲斐もあって良い魚を手に入れられ、俺はあの娘に感謝をした。
特に目立った事をしたわけでもない。ただ、娘と共に魚釣りをしただけであったが、俺は今でも思い返す程に、あのひと時が心地良さった。忙しい日常から解放され、童心に帰ったようだった。心から笑い、自由な時を過ごす事の大切さを、あの娘から学んだのだった。そして、あの満開の桜の花弁を咲かせた大樹。その木の元で、舞い散る桜の花弁に包まれた時の安らぎ。夢の世界に浮遊しているような感覚だった。あの娘と出会わなければ、あのような美しい場所に出会うことはなかっただろう。

俺が屋敷に戻ると、既に日は暮れており、夜を迎えていた。虫の音がよく響いている。玄関で草履を脱ぎ、奥から現れた女中に魚籠を託そうとした時、

「扉間様、カガミ様が先程お見えになりました」
「何、カガミが…?」
「はい。一応、広間の方へ案内を致しましたが」
「そうか」

俺はそのまま広間へと向かった。
カガミは俺の部下の一人で、度々、俺の屋敷へ訪ねることが多かった。いつも特別な目的があるわけでもなく、ただ会話をしたり、書物を読んだり、奴の修行を見ることが多かった。里の為に尽力する真面目な男で、俺は多大な信頼を置いていた。

「先生!」

広間に着くと、カガミは威勢良く立ち上がり、俺に拝礼する。

「また来たのか。今夜は何の用だ」
「この前先生から貸していただいた兵法書を返しに伺いました。いらっしゃらなかったので、暫くの間ここで待っていました」
「そうか…待たせてすまなかった」

俺がそう言うと、カガミは手を勢いよく振りながら「先生を待つことくらい俺は平気ですから」と目を大きく開きながら言う。大袈裟な素振りに若々しさが感じられ、思わず微笑んでしまう。

「それにしても先生…こんな時間までどこに行かれていたんです?」
「今日は釣りに出かけていてな」
「釣りですか!良いですねえ。俺も久しぶりに行ってみたいなあ」

カガミは興味深そうに何度も頷いていた。俺は囲炉裏の側にある座布団に座り、カガミもそこに座らせた。

「良い魚は釣れましたか?」
「ああ、非常に美味いヤマメが山程釣れてな。あとでお前にも分けてやる」
「ありがとうございます!今度、そこの場所教えてください。俺も、先生と同じ位腕を上げてきます」
「ああ、分かった。……実は、俺より腕の立つ娘がいてな」
「娘…?」

俺は再びあの時の娘を再び思い出し、カガミの前で口にしてしまった。
弱々しい娘なのかと思いきや、この俺に釣りの指導をして生意気な口を利く娘。美しい外見とは異なり、非常に男勝りな性格で、表情がころころと変わり、あの娘と話していると思わず此方も調子が狂ってしまった。

「フッ…」
「先生…?」

魚を頬張った時のあの表情を思い出して、思わず笑ってしまった。カガミが不思議そうに俺を見ている。

「いや、なんでもない。その娘に魚釣りの指導をしてもらってな。その甲斐もあって良い魚が釣れた」
「えっ…!先生より上手な方がいるとは…しかも女性で…」

カガミは目を見開き、驚いていた。それもその筈で、次期火影候補である俺が、娘に魚釣りの指導を受けるとは滑稽なものだ。それにしても、あの娘には申し訳のない事をした。俺はあの娘に名を偽った。あの地帯を偵察していた事もあり、名を明かし、その後に俺の素性を知って、周囲に知れ渡るのを危惧していたのだ。あの娘に嘘をついてしまった事に、胸が痛む。二度と会うことがない娘に思い悩む必要はないが、俺は何故だかあの娘を気にかけてしまう。脳裏に過ぎるあの娘の笑み。

「先生…?どうされました?」

俺が少し間考えていると、カガミが俺の顔を窺い見ていた。

「……ん、ああ…そういえば兵法書を返しにきたのだったな。どうだった」
「とても勉強になりました。特に指揮官に求める資質や行動に関する記述は、これからの時代に必要なものではないかと…」

カガミは時間を忘れる程、熱心に説いていた。その情熱に満ち溢れた姿に、俺は師匠として嬉しく思うと同時に、里を担う優秀な人材であると感じた。カガミのように、うちは一族であっても木の葉の里を愛し、里のために尽くす者を俺は重宝していた。うちはマダラの謀反の一件以来、うちは一族は大人しくしているが、あのマダラの志を持った後継人が現れる可能性もあり、油断はならない。
そこで思い当たる人物がいる。唯一、マダラの血を引く娘がいるのだ。この事実を知る者は、兄と俺のみだ。もしこれが明るみに出れば、うちはが、その娘を利用し、里を混乱に陥れる可能性もある。
幸いな事に、その娘は両親を知らず、俺の遠縁の者の元で無事に育っていると、兄から聞く。兄は頻繁にその娘の元に通い、まるで父親のように気にかけていた。兄は理由を明かさないが、俺が察するに、その娘の母親の事を思っての事だろう。兄は妻を娶る前に、以前宴会で出会った芸妓に並々ならぬ恋慕の情を抱いていた。その芸妓が、マダラの娘の母親だった。マダラと恋仲になり身請けをされたと聞くが、突然マダラの元を去り自害を図った所、兄に救われ、マダラとの間にできた娘を出産した後死亡した。何故、マダラの元を去ったのだろうか。マダラが正妻を娶った故なのか。そのような話、この時代ではどこにでもある。気に留める意味もない。しかし、いくら美しい女であったとしても、兄まであの芸妓に心酔するとは思いも寄らなかった。火影であり、千手の頭領である身の上を考えると、弟として、あの芸妓を好ましく思えなかった。
ふと、今日会った娘の顔に、あの芸妓とマダラの顔が重なった。俺は頭を振った。
そんな偶然がある筈がないだろう。

俺はカガミと縁側にて語らい合った後、日が変わるまで庭園で修行をしていた。その際、夜空を見上げてみると、雲の垣間から満月が見えた。霞に包まれ、ぼんやりと柔らかく、夜空に浮かび上がっている。その幻想的な美しさに、俺は不思議と魅せられていた。

***

春の温かく心地の良い陽気に包まれながら、私は地元の町中を歩き、寺に向かっていた。何故、そこに向かっているのかというと、今日は寺に預けられた孤児達に字を教える日だからだ。その寺の僧侶が私の義父母と仲が良く、その縁で私は子供達に無償で字の読み書きや数の計算等を定期的に教えに行っていた。寺にいる子供達は、先の戦で両親を失い、身寄りのいない者が多かった。私自身も"本当の"両親がいない。もし、義父母や柱間様に救ってもらっていなかったら、今頃、寺にいる子供達と同様に路頭に迷っていただろう。自身の境遇と重ねていたのもあり、私は他の子供達と同じように孤児であっても、等しく教育を受けて欲しいと思っていた。
今日も子供達は元気に過ごしているだろうか。どんな字を教えてあげようか。
そんなことを考えながら、町中を歩いていた。ここは田舎だが、日中は沢山の人で混み合っている。新鮮な野菜や果物、魚から着物や陶器などの日用品まで様々な物が売られている。中には怪しい占い師やら霊媒師、劇を行う芸人がいたり、歩いていて飽きない。

「お、葵じゃないか!今日は何を買いに来たんだい」

いつも書物を購入する時にお世話になっているお爺さんに声を掛けられた。私は昔から書物を読む事が好きで、町中の屋台で売っている古本を寺に寄る前に見に来ることが日課になっている。そうしているうちに、今話しているお爺さんと値引きしてもらう程に仲良くなった。

「今日は何の書物が良いかしら…。大体は読んだから、そろそろ趣向を変えてみるのも良いかと思って」
「そうだなあ。葵は物語を読むことが多いからなあ」

私は一列に並べられている書物をじっくりと一冊ずつ見て、どれにしようかと吟味していた。今日はやけに難しい書物が並んでいる。専門性の高い物ばかりだ。哲学に関するもの、思想に関するもの、歴史に関するもの、兵法に関するもの……その時、思わずその書物に触れそうになった時、誰かの指先と当たってしまった。

「あっ…すみません…」

互いに手を引っ込めて、思わず顔を見合わせる。背が高く、毛先がうねった黒髪の青年と目が合った。目を大きく見開きながら何度も瞬いている。私も驚いて、言葉が喉から出てこなかった。

「あ、あの…もしかして、この本を探していましたか」

その青年は書物を手に取り、私に渡そうとしている。私は「い、いえ…」と吃りながら頭を振った。心を落ち着かせようと、胸元をとんとんと小さく叩く。何故だか分からないが、目が合った時、妙な心地がしたのだった。青年の瞳を見た時、何か私に通ずるものを感じた。初めて会ったというのに、私は何と馬鹿げた事を考えているのだろう。
ふと視線を変えてみると、その青年は釣り道具を持っていることに気付いた。この気まずい雰囲気を変えようと、青年が持つ釣り道具に話題を移す。

「あの…貴方、もしかして…釣りをしに来たの?」

そう聞くと、青年は一気に表情が和らぎ、笑顔を私に向ける。

「そうなんです!この辺りは美味しい魚が釣れると聞いたので」
「そうなのね!ふふっ、まるでシンみたいね」
「……?」
「あっ、何でもないわ。気にしないで」

思わず、シンの話題を出してしまった。青年は不思議そうに私を見ていたので、私は手を振って誤魔化した。
彼と別れて以来、ずっと頭の片隅に彼がいた。忘れられなかった。また、どこかで会えたらと思うが、彼の名前しか私は知らない。再び会うのは、非常に厳しく思えた。

「じゃあ、一番よく釣れる場所を教えてあげるわ!」
「えっ…!いいんですか!俺、この辺りに来たのは初めてなので助かります」
「そうなのね!貴方、どこから来たの?」
「木の葉の里の中心部から来ました!同じ里なのに、ここは大分田舎だなあ」

青年は物珍しそうに、きょろきょろと辺りを見回している。一つ一つの動作が大袈裟なので、私はくすりと笑ってしまった。

「あ、まだ自己紹介がまだだったわね。私の名前は葵というの。貴方の名前は?」
「俺は、うちはカガミと言います。よろしくお願いします」
「カガミね。此方こそよろしく」

にこりと笑みを浮かべると、カガミは少しはにかんで、後頭部を手で摩りながら頭を下げた。私は彼の顔を覗き見ると、彼はまた慌て始めたので、私は面白くなって再び笑ってしまった。彼も私の笑い声に釣られて、同じように笑っていた。

「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「はい!その前に、この本を購入してもいいですか」
「もちろんよ。難しそうな本を読むのね…」
「先生がお薦めしている本なんです…俺も先生みたいになりたいなって思って…」
「ふうん…。その方は、とても偉大な方なのね」
「はい。先生は本当に素晴らしい方です」

カガミは暫しの間兵法書を見つめると、お爺さんにお金を渡し、購入した。そして、本を胸元にしまい「案内よろしくお願いします!」と元気な声で私に言った。礼儀が正しく、笑顔の多い青年だ。話していて、とても心地が良く、私も自然と笑顔が増える。
初めて会った人間とは思えないほど、私達は会話に花を咲かせながら、目的地へと向かっていた。一番話していて驚いたのは、年齢のことだ。何と、私と同じ二十歳らしい。同い年なので敬語で話すのはやめようと言っても、彼はたどたどしく私に話す。少し不器用な彼に自然と笑みを溢した。
山の麓に着くと、私はシンに教えた場所をカガミに細かく教えていた。川の方角と寺の方角が異なるので、私はここで彼と別れなければならなかった。

「教えてくれてありがとう。とても助かったよ!」

カガミは私に頭を下げた後、すぐに頭を上げて、髪を掻きながら、そわそわとし始めた。何かまだあるのかと私は不思議に思い、首を傾げて彼を見た。

「も、もし良かったらなんだけど…一緒に魚釣りしない…?」

彼は何故か顔を赤くしながら私に言った。

「ごめんなさい…一緒に行きたい所だけど、これから用事があるから無理なのよ…」
「よ、用事って…?」

食い気味に聞いてくるので、私は少し驚いた。

「えっと…この近くにお寺があるから、そこの孤児達に字を教えに行くの」
「へえ…君はすごいね…驚いたよ」
「そう…?戦で両親を失った子供たちにも、読み書きや数の計算くらいはできるようになって欲しいと思って…生きていく上で必要なものを身に付けていて欲しいの」
「…………」

私がそう言った時、カガミは暫くの間、真剣な表情で私の瞳をじっと見つめていた。

「……カガミ?」
「俺も手伝うよ、葵」
「えっ?」
「一人じゃ大変だろう?」

カガミは寺のある方角に繋がる道を歩もうとする。

「えっ…でも、魚釣りはどうするの?」
「今度でいいよ。今は君の手伝いがしたいんだ」
「…………」

カガミは笑みを浮かべながら、私の方へと振り向いた。予想外の行動に私は言葉が出てこなかったが、私は彼の思いやりに感謝をした。なんと優しい人なのだろう。
私は口元に笑みを溢すと、彼と共に寺へと向かった。


寺に着き、御住職さんに挨拶を終えると、私とカガミは子供たちに読み書きを教えていた。風通しの良い、竹の葉の音が響くような静かな寺に、幼い子供たちの笑う声が響く。今日は私だけではなくカガミも一緒にいたので、子供たちはいつも以上に楽しく学んでいる。遊び盛りの男の子は特に嬉しそうで、肩車をしたり、鬼ごっこ等をして寺中を走り回っていた。本当は勉強をして欲しい所だったが、兄弟のように遊ぶ姿を見て、今日は許してしまった。その一方で、私は女の子達と共に絵本を読んでいた。一所懸命に役になりきって読む子供達の姿が可愛らしい。私も思わず、子供達に合わせて、その役になりきり一緒に読んでしまう。そして、時たま大きな声で効果音を付け、子供達を笑かせてた。
この楽しいひとときを過ごしていると、ふと、思う時がある。この幸せで、のどかな時間は永遠に続くのだろうかと。今は、忍同士の戦いが終わったばかりの世だ。少し前まで、この辺りも戦場で、罪のない子供達の命が消えていたのだ。その時代にいつ戻ってもおかしくはない。いつまでも、こうして自然と笑っていたい。何の力もない私には、そう願うばかりだった。

「…葵…?」
「……ん、」

肩に子供を乗せたまま、カガミが私の肩を叩いていた。私は我に帰ると、周りにいる子供たちが心配そうに私に尋ねてくる。

「お姉ちゃん、どうかしたの?」
「早く続き読もうー!」
「…ああ、ごめんなさい!ぼうっとしてたわ」

私が子供達の頭を撫でていると、カガミが私の隣に座った。

「葵、俺達も一緒に混ぜて。みんなで読もうよ!」

カガミが男の子達を呼んで、場を盛り上げていた。まるで舞台芸人のように振る舞いながら読み上げ、子供達も釣られて真剣になり、その物語に夢中になる。私も負けじと、その物語の女主人公となり、カガミと語らうように演じていた。その時、子供達の一人がこう言った。

「ねえねえ、お姉ちゃんとお兄ちゃんは、お付き合いしているの?」
「それ、私も思ったー!」
「お姉ちゃん達、すごく仲良いもんね!」

一人の子がそう言った瞬間、子供達は興奮するように私たちを囃し立てた。

「そ、そ、そんな事ないよ!!俺達は付き合ってないから!!」

子供達の言葉に一番反応していたのはカガミだった。顔だけではなく耳まで真っ赤にして、たどたどしく弁解していた。そんな反応をすれば、子供達も面白くなったのか「ほら、やっぱりそうだ!」と言って、さらに騒ぎ始めていた。

「違うわよ。私とカガミは友達だから!」

私が一際大きな声で言うと、子供達は「えー!」と口を尖らせながら、つまらなさそうにしていた。その傍ら、カガミは瞬きを繰り返しながら、固まっていた。私はカガミの肩を叩き、「ね、そうよね。カガミ!」と言って同意を求めようとしたが、カガミは「…ああ」と少し元気がない様子で答えていた。
何か悪いことを言ってしまったかと、少し気になってしまった。しかし、それ以降彼は再び明るさを取り戻すと、子供達と共に物語の世界へと夢中になっていた。


陽が西に傾き始めた頃、私とカガミは寺を発ち、帰路へと向かっていた。辺り一面に田畑が広がり、西日で橙色に景色が染まっていた。森へと帰っていく鴉の鳴き声が響き、余計に寂しさを募らせた。私達は行きと違い、互いに黙ったまま歩いていた。初めて出会ったとは思えない程に打ち解け合い、楽しいひとときを過ごせたからだろう。この時間を再び過ごすとは限らない。私達はもう大人で、制約された時間の中で生きている。子供達のように自由気ままに、会って遊ぶことなどできないのだ。そう思うと余計に寂しくなって、この感情が口から溢れ出そうだった。
道が二手に別れる所まで着くと、私は立ち止まった。ここで私達は別れなければならない。カガミも察したのか、

「……今日はありがとう!楽しい一日を過ごすことができたよ」

彼は出会った時と変わらぬ笑みを浮かべて、私に言った。

「こちらこそ、ありがとう。色々と助かったわ。子供達も楽しく過ごすことができたみたいだし」
「また、ここに来るよ。釣り場所も教えてもらったし、楽しい場所も見つかったしね」
「ふふ。また子供たちに会いにきてね。待ってるわ!」

私とカガミは互いに笑った。優しい春の夕焼けが私達を包み込む。私達は手を振り、別れを告げる。カガミは姿が見えなくなる時までずっと、私に手を振りながら、菜の花畑の間に真っ直ぐ伸びる道を歩いていた。徐々に日が沈み、月がぼんやりと浮かび上がる。
茜色の空の下で、私は思った。
彼とは再び会えるだろうと。
私は彼の後ろ姿を見届けた後、彼とは違う道を歩いて自宅へと向かった。


自宅に大分近い所まで歩いていた時には、すでに日が沈み、辺り一面真っ暗だった。この辺りは所々に家があるだけなので、灯りが少ない。人買いに攫われる恐れもあり、早く帰らないと両親が心配する。そう思い、早足で帰っていた時だった。
家の物陰から、数人の男達が敷藁に包んだ物を抱えながら、そそくさと慌てながら運ぶ姿を見かけた。その光景が余りにも異様だったので、私は直ぐ様隠れてその様子を見ていた。よく目を凝らして見てみると、以前私を森の中で襲ってきた男達だった。男達が持っている敷藁からは人の足が出ており、言葉にならないような小さな悲鳴を上げながら足をばたつかせていた。思わず声を上げそうになってしまった。あの敷藁の中には人がいるのだ。その時、以前あの男達が言った言葉を思い出した。
『へへ……なんて美しい娘だ。こんな綺麗な娘、見た事がないぞ。遊んだ後は、廓にでも売るか?』
『いいですね、兄貴!きっと高額で売れますぜ。』
あの者たちは常日頃から、あのように人身売買を繰り返していたのか。私は怒りが抑えられなくなり、男達の跡をこっそりと追った。男達は忍のように、家の影と同化するように、早足で逃げていく。私はやっとの思いで彼らについて行った。早く敷藁に包まれた人を救わねばと、一心になっていた。
男達はある家の門を潜り、庭にある倉庫の中に敷藁を置いた。私はその様子を家の垣根から、こっそりと一部始終見ていた。男達はげらげら笑いながら、家の中へと入って行った。いなくなった瞬間を見計らい、私は垣根を登ろうとした時だった。誰かに肩を思い切り掴まれ、口を押さえられ、壁に押し付けられた。まずい。あの男達の仲間に見つかってしまったのだろうか。

「おい、こんな所で何をしている…!」

聞き覚えのある声だった。この声は…
恐怖のあまり閉じていた目を徐々に開けた。

「……シン…!」

切長の水晶玉のような赤く澄んだ瞳。月明かりに照らされて、きらきらと輝く白い髪。そして、研ぎ澄まされた深みのある声。
紛れもなく、今、私の目の前にいるのはシンだった。



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