恋人とは名ばかりで(その1)


 今日はバレンタインデーだ。
 扉間さんにチョコレートを渡す大事な一日であるが、イズナさんの"恋人"を演じなくてはならない日でもあった。(詳しくは前のお話を見てね。)

 私は早朝から、昨晩に丹精を込めて作った扉間さんのチョコレートを可愛いラッピング包装で包み、準備をしていた。扉間さんはどんな顔でこのチョコレートを受け取ってくれるだろうか。沢山想像しては、ニヤリ顔が止まらない。

「おい、朝から良い匂いがしているな。何か作っているのか」
「あーーもう!朝から覗かないで下さいよ!気持ち悪い」

 例の穴からマダラさんが私の部屋を覗き込んでいたので、私は台所からフライパンを持ち出し、マダラさんの頭をコツンと叩いた。

「――っ!!凶暴な女だな、お前は!」
「平気で女子の部屋を覗くような人には言われたくないです!何度も言ってますよね!?」
「一々うるさい女だ。何、チョコレートを作っているのか」

 マダラさんは私のエプロンに所々付いているチョコレートの染み跡を見て言った。

「そうですけど、何か?」
「フッ、俺のためか」

 マダラさんは腕を組みながら、何故か恰好つけて言った。

「どっから、その自信が湧いてくるんですか。作るわけないでしょ、貴方なんかに」

 私はマダラさんを無視して、チョコレートと共に入れる扉間さん宛ての手紙を書いていた。

「ほう…恋文か。どれどれ、俺に見せてみろ」
「ちょっと…見ないでください!ってか、また無断で入ってきたんですか!もう!」

 穴から入ってきたのか、隣にマダラさんが立って、私の手紙を覗き込む。
 ぎゃあぎゃあと、言い争いをしている時だった。
 ピンポーンと、インターホンが鳴った。

「はーい」

 私はドアの方に向かう。

「絢香さーん、おはようございます、イズナです」

 ドア越しにイズナさんの声が聞こえた。

「あー、イズナさん!ちょうど良い所に!おはようございます!」

 私はドアを開けると、イズナさんが立っていた。薄い青色のロングコート。白いタートルネックと黒いパンツがよく似合う。高身長ですらりとした体型だから、この単調な色合いでもよく映えていた。確かに、これはモテる。

「おはようございます、絢香さん。今日は宜しくお願いしますね」

 ニコッと笑みを浮かべながらイズナさんは挨拶をする。

「私なんかで務まりますかね…あんまり自信ないですが」
「いいんですよ、俺の隣にいてくれればいいんで」
「はぁ…、とりあえず中入りますか?ちょうど厄介な人が部屋にいるんで…」
「……?」

 イズナさんを部屋の中に連れて行くと、マダラさんがイスに座って此方を見ていた。

「兄さん!?なんでここに!?」

 イズナさんはマダラさんの元に駆け寄る。

「おお、イズナか。なんだ、この女に用でもあるのか」
「そうだけど…なんで、こんな所にいるの?もしかして、兄さん…絢香さんと…?」
「断じて、違います!イズナさん、この人何回も私の部屋に不法侵入してくるんです!しつこくて、しつこくて…ウ ン ザ リしているんです!!」
「そうなの?兄さん」

 イズナさんは首を可愛らしく傾げる。

「食事に困っているのでな…仕方なくだ」

 マダラさんは顔色を変えずに、淡々と答える。

「…そっかぁ…それは仕方ないね!」

 イズナさんはニッコリと笑みを浮かべながら、マダラさんと意気投合している。

「はぁ!? 何言ってるんですか、イズナさん!」

 この人だけはまともだと思ってたけど、兄弟揃って何かずれている。

「これからも兄さんを宜しくお願いしますね、絢香さん!」

 可愛らしく唇に笑みを浮かべて、少し頭を傾けながら私に言う。此方が断れないように、わざと仕向けているのだろうか。これは、あざとい。

「さて…絢香さん。そろそろ大学に行きたいんですけど…準備できてます?」

 イズナさんは私の足先から頭頂部までジロジロと見ながら言った。

「あ、もうできてますよ。えっと、今日は…イズナさんに付き添っていればいいんですね?」
「そうですね。今日は大学の講義を受けるだけなので。夕方くらいまでお願いします」
「例の約束、忘れてませんよね?」

 私はじっとイズナさんを見た。例の約束というのは、この行事と引き換えに扉間さんの写真を貰うのだ。

「はい、勿論ですよ。こんなのずっと待ちたくないんで、先に渡しときますね!」

 イズナさんはティッシュで鞄から取り出した写真を摘み、私に渡してきた。(写真に直接触れないとか、どんだけ嫌ってるんだ…)

「わぁーい!!!ありがとうございます!!!」

 私は目を輝かせながら、写真を受け取る。扉間さんの写真を見るだけで、白飯五杯分はいける。

「趣味の悪い女だ…」
「そうだよね…」

 イズナさんとマダラさんが冷めた目で私を見ていた。

「いいじゃないですか!別に!さっ、イズナさんそろそろ行きましょっ!」
「はぁ」

 私がイズナさんの手を引っ張ると

「いいか、吉崎。今日はあくまで、イズナの"護衛"として恋人を演じてもらう。勘違いするなよ」
「しませんよ!!」

 マダラさんは警戒をするような目で私を見る。

「てか、私がいなくなったら、ちゃんと部屋に戻って下さいよ! あと、扉間さんの為に作ったチョコレート、食べないでくださいね!」
「ああ、分かった、分かった…早く行け。耳障りだ」
「大体、無断で私の部屋に入ってきたのに、貴方に文句言われる筋合いありませんよね?!」

 私はすかさずツッコミを入れたが、マダラさんは聞く耳を持たず、自室へと戻って行った。

「はぁ…朝から疲れた…」
「絢香さん大丈夫です?」

 イズナさんはキョトンとした顔で此方を見る。

「貴方のお兄さんのせいですよ…なんとかしてくださいよ…」

 えっ?と不思議そうな顔をするイズナさん。私は、はぁと大きく溜息をついた。

「もう、なんでもないです…」

 私はイズナさんと共に部屋を出ると、アパートの階段を共に降りた。黄色い歓声がアパートの門から聞こえてくる。よく見てみると、沢山の女子高生達が小包を持って「イズナさーん!!」と叫び、アパートの門を塞いでいた。あまりの多さに私はギョッとする。

「はぁ、うるっさいな…朝から」

 イズナさんは溜息をつきながら、冷徹な目で彼女達を見つめる。

「すごいですね、こんなにモテるんですか…」
「勝手に寄り付いてくるんですよ。絢香さん、頼みますね」
「彼女達の恨みを買うんですか…」
「まあ、そうなりますね…」

 イズナさんは人差し指を顎に当てながら、唇に僅かな笑みを浮かべて此方を見る。(悪魔の顔だ…)

「じゃあ、行きますか」
「えっ、ちょっ…!」

 その時、イズナさんは私の手を握りしめた。いきなりの事で驚いてしまうが、一々反応している余裕もなく、イズナさんは優しい(偽りの)笑みを彼女達に向けながらアパートの門へと颯爽と歩く。

「やぁ、おはよう」

 イズナさんは手をひらひらと振ると、女子高生達はすぐさまイズナさんの周りを囲む。ぎゅうぎゅうに押してくるので、押し潰されてしまいそうだった。

「イズナ先生ー!チョコ受け取って下さいー!!」
「イズナさんー!私のも〜」

 イズナさんは「ははっ」と爽やかな笑みを浮かべて、彼女達をあしらっていた。

「ごめんね…実は俺、彼女がいるんだ」

 「えーーー!!!」と、町中に響き渡りそうな程に彼女達から驚きの声が上がる。そして、「誰ですか?!その女!!」と不満の声が次々と浮上する。

「ここにいる子なんだ」

 イズナさんは私の腰に手を回すと、横から優しく抱き寄せた。ふんわりと、柔軟剤の良い匂いがした。突然の出来事で、私は思考回路が停止する。

「ねっ、絢香」
「えっ、まぁ…」

 イズナさんは私に微笑みかけるが、瞳の奥が笑っていなかった。「早く俺に従え」とでも言いたそうな目だ。

「うん…イズナ…」

 私がぎこちなく言うと、イズナさんは

「よしよし、いい子だ」

 と言いながら、私の頭を撫でる。くさい台詞なのに、イズナさんは不思議と似合ってしまう。扉間さんが好きな私でも、少しだけキュンとしてしまった。
 その瞬間、女子高生達が嘘だと言って悲鳴に近い声を上げていた。そして、怒りの矛先を私に向け始め、私を睨み始めた。――これが女子の嫉妬というやつか。怖すぎる。

「悪いけど、今日は受け取れないや。じゃあね」

 イズナさんは私の手を繋いだまま、女子達の輪を割くように歩き始めた。背後からの恨みのこもった視線を一身に感じながら、私はイズナさんの隣を歩く。

「取り敢えず、第一関門突破ですね」
「ひぃ…怖すぎますよ。今ので更に疲れました…」

 イズナさんはご機嫌そうだったが、私はこれから先待ち構える女子達の嫉妬に耐えられるのか不安だった。


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