キィ…と耳障りな音を立てて扉は閉まった。荒い息を整えながら日向隼斗(ひなたはやと)はそっと鍵を掛けた。
 狭く、あまり清潔とは言い難い学校のトイレの一室で、隼斗は壁にもたれると目を閉じた。
 ズボンがずり落ちないように必死で握っていた手は力を込めすぎて握力がないように感じるほどだった。
 ゆっくりとした動きでトイレットペーパーを取り、下半身を拭く。隼斗は達することはなく、相手はコンドームを使用していたため処理は楽だった。
 ズボンを上げてベルトを締める。隼斗は自嘲するように口角を上げると小さな溜め息を漏らした。
 授業中で静かな校内でも、その溜め息はどこにも届くことはなく静かに消えた。




「日向、高岡が探してたよー」
「え…」

 どこにいるのか訊ねようとした隼斗を知ってか知らずか、クラスメイトはすぐに行ってしまう。
 隼斗はクラスで空気だった。虐められている訳でもないし、嫌われてもいない。成績も中の中。目立つ見た目でも抜群に明るいわけでもない。誰にも興味の対象にされないようなタイプだった。
 隼斗は教室を出て、彼が好む資料室へ向かった。そこは、よくセックスをするときに使う教室だった。一分程で資料室の前に着き、扉に手をかける。深く空気を吸ってゆっくりと吐き出してから扉を開けた。
 様々な教材や資料の積まれた埃っぽい教室には誰の気配もない。
 隼斗は落胆と安堵を同時に感じて溜め息を落とした。
 ちらりと廊下を見ても誰もいない。確認してから資料室に入ると扉を閉めて、カーテンが雑にしめてある窓際に立つ。四階の窓から見えるのは昇降口。とっくに登校時間は終わったが、門には隼斗のよく知る人物がいた。
 高岡長政(たかおかながまさ)。隼斗の想い人だ。
 同じクラスに三年目ともなると見慣れてくる。隼斗と違い、クラスの中心的存在。ほどほどに悪さもし、適度に優等生。隼斗とは接点などない人間だ。苦手意識を持っていた隼斗だったが、常にクラスで彼は目立ち、自然と視線を奪われる。意識しだしたら、もう止まらなかったのだ。

「たか…おか」

 自分を呼んでいたのではなかったのか、と隼斗が無意識に彼を呼んだ。校門の高岡がそのタイミングで資料室を振り返る。隼斗は慌ててしゃがみこんで息を止めた。
 まさか見えるはずがない、と隼斗は隠れるように頭を出して校門を覗いた。高岡はこちらを見ておらず、隣の少女の肩を抱いている。彼の彼女だ。
 こんな時間に校門にいるということは、早退するのか、中抜けするのか、隼斗は幸せそうな二人を見て微笑んだ。

「仲直りしたんだ。…よかった」

 小さな呟きは優しい響きで、悲しそうに溢れた涙とは相対していた。隼斗は再び窓に背を向けて座り、膝に顔を埋めた。
 暫くそうしてうずくまっていると、予鈴が聞こえる。隼斗は立ち上がる気もせずに本鈴もそのまま聞き流し、窓際の温かい五月の日差しにうとうとし始めた。まだ三年になったばかりとは言え、あまりサボるのはよろしくないな、と隼斗は夢と現実の間で他人事の様に考えていた。




 ぱたぱたと廊下を走る足音に隼斗は現実に戻ってきた。寝てしまったのか、と目元をこする。
 ひと気のない資料室のある棟の廊下に足音があるということは、授業は終わって昼休みだろうか。そんな風に思って隼斗がポケットから携帯を取り出して時間を確認しようとして固まった。
 大きな窓にうつかって寝ていた隼斗の膝にセーターが掛けられている。クリーム色は三年生の指定色。つまり隼斗と同じ学年だ。中学生や小学生ではないので名前や名札はない。

「た…かおか…?」

 まさかとは思ってセーターを抱きしめた隼斗だが、それは高岡の香りではなかった。おろしたてのような香り。

「…高岡じゃない」

 隼斗は日に日に増える溜め息を静かに漏らして窓の外を見た。綺麗な五月の空が少し気分を上げてくれるような気がして、隼斗は窓を開ける。 

「…はー…換気って素晴らしいね」

 埃っぽい教室が少し綺麗になったように思えて、隼斗は次の授業もここから空を眺めることに費やした。

「初めてした日もいい天気だったな。帰るときは薄暗かったけど…」

 思い出すように目を閉じ、風を感じて隼斗は小さく笑った。





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