「ま、ま、待って!!」

 想は止められなかった若林から離れて、新堂に飛びついた。
 目の前に飛び出した想を、新堂は慌てて抱き留めて震える細い肩を、抱き締めると小さな声で謝った。

「……想、悪かった。泣くな」
「っ、ごめんなさい……俺が、俺のせいで」

 新堂は想を抱いたままベッドからバスタオルを引き寄せ、そっと背中に掛けた。落ち着かせようと背中を撫でて、顔を寄せる。
 その姿を見て、若林は怒りいっぱいに握り締めていた拳から、ゆっくりと力を抜いた。

「……おい。想に優しくするのはどうしてだ?新堂、想を傷付けたら……お前でも俺は容赦しねぇぞ」

 低く、唸るような若林の声に、新堂は視線だけを若林へ向けた。
 その目は、普段のような死体に嵌る澱んだような瞳ではなく、確かな意思を感じさせる。
 
「……っ……!」

 若林は言葉に詰まった。
 新堂を誰よりも信用していたが、自分共々所詮は悪人。他人を欺き、何人もの人生を破滅させてきたような人間が、自分にとって何より大切な宝を腕に収めていることが不安だった。
 想にこれ以上絶望を感じてほしくない。
 そう思って帆走する自分がいる。
 若林は、新堂の生き方が想にどんな影響を及ぼすのか、怖かった。
 だが、今の新堂から感じるのは今までにないものだった。言葉を選ぶなら『心願』。
 若林は新堂が本気かもしれないと悟り、敵意を収めた。

「想……足、血が滲んでるぞ」

 若林は新堂を鋭く睨みつけたまま、想の足を指差して言った。
 
「う、うん!大丈夫!縫ってもらったし……い、痛くないから……」
「いや、手当てはする。リビングに」

 新堂は濡れたシャツとスラックス、下着までをも恥ずかしげもなく脱ぎ捨て、新しい物を取り出しながら、想にもTシャツと未開封の下着を手渡した。
 惜しげもなく晒された背中を覆う、仏さまの刺青を見つめて、想は思った。
 綺麗な背中。
 そして、彼も、ヤクザなのだと改めて思わされる。
 自分を破滅させて、家族を奪った奴らと同じ。きっと、嘘もたくさんあるだろう。
 想は『ダメだ』と理解する理性的な自分と『欲しい』と欲する衝動的な自分を感じて唇を噛んだ。

「ほら、立てそうか?」
「っ、はい」

 ぼんやり考えていた想は、慌てて小さく頷いた。
 新堂に支えられながら歩き出す。
 顔を上げられない想は、睨み合ったままのふたりの雰囲気を肌で感じるだけで怯みそうになり、息が出来なくなるように感じた。
 若林がこんなに怒ると思っていなかったのだ。
  








 リビングで足の傷を確認する新堂の頭を見つめて、想はぼんやりしていた。
 若林はあれから何も言わず、腕を組んで様子を見ている。見ているというよりは見張るように。
 それでも新堂は全く気にした様子はなく、手当てを終えた足を撫でると、そっとその膝に唇を触れた。
 優しく、長く。

「あんまり危なっかしい事はするなよ。若林だけじゃねぇんだ。俺も想が心配だ」

 そう言って、新堂は想を見上げた。
 想は心臓がぎゅうっと痛むのを感じた。視線が合うだけで、新堂から見つめられるだけで、触れられるだけで胸が甘く疼く。
 好き。
 新堂のことは何も知らないけれど。
 優しさは偽物なのかもしれないけれど。
 触れた手の冷たさと、唇の温かさは本物だと思えた。
 想は初めての感情に、石のように固まったまま、大きな黒い眼差しは新堂の瞳を見つめていた。
 答えられない想の頭に、若林の大きな手が
乗った。

「味方は俺だけじゃねぇっつー事だ。分かったな?」

 想は若林を見上げて、微かに頷いた。
 若林は優しく微笑んでいて、さっきまで怒っていた姿が嘘だったように感じるほど爽やかだった。
 想が視線を新堂へ戻すと、彼の目元も優しく自分を見つめていた。

「……うん。ありがとう」

 ふたりにつられるように、想の表情もふわりと和らいだ。




end.






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