『俺は味方だ』

 新堂は、どうしてそう言ったのかはっきりと覚えていた。
 膝を抱えて、薬で熱い身体とトびそうな頭を必死に耐える有沢想という若者。
 少し大きい、黒い瞳を涙で濡らし、死にたいという目をしているのに、必死に生きようとする様子が、重く記憶に刻まれた。
 新堂の冷え切っていた胸の辺りに、確かな熱を生んだ瞬間だった。

「俺は味方だ。大丈夫」

 そして、優しく告げた己の言葉に、苦しそうに、悲しげに、涙を溢れさせた若者が伸ばしてきた腕が震えていて、守ってやりたいと強く感じたからだ。


 





「っ、う……、ッ、熱い……寒いし……もぅ、やだ……!!」

 想は膝を抱えて座り込み、薬でおかしくなりそうな熱を持て余す身体を小さく丸めた。
 甦るのは拉致された瞬間。
 車に押し込められ、浴びせられる憎しみの言葉。
 殴られ、蹴られ、縛られる感覚。
 下半身を剥かれ、アルコールと薬を飲まされ、排泄箇所へも乱暴に押し込まれた。
 ヤクザに関わり始めて、裏切った下っ端が遊び半分に掘り合わせれている姿を見たことがある想は、自分も尻を犯されるんだと察した。
 痛みには耐えられると確信していたが、触られたことのない場所を暴かれるのは怖かったのを覚えている。
 想を拉致した男たちは、『兄キのカタキと思ったが、顔だけは可愛いな。金になるかも。動画も撮っとけ!好きなだけ突っ込んだら、山に棄てるだけだなぁ』と笑っていた。
 それが、最後の記憶。
 目が覚めると、若林が自分の手をキツく握って眠っている顔が最初に見えた。
 若林謙太。
 ずっと、優しく、自分のことを気にしてくれる唯一の家族。
 想は、いつも必死に自分を守ろうとする若林の笑顔が思い浮かび、奥歯を噛み締めた。

「う、ぅ……ッ、けん、ちゃんっ……ごめんっ、……」

 今回も助けれくれた。若林の仲間が想を見つけ、探し出した。
 安全で信用できる場所へ移動し、傷を見てくれたようだ。
 想は内側の黒いものが膨らむを感じる。自分は彼のお荷物だ。
 想はそれが悔しい反面、段々と諦めが思考を支配するのを確かに感じていた。
 いなくなれば、全て終わる?
 借金はどうなる?
 昏睡状態の、双子の姉である春も殺される?
 若林が罰を受ける?
 考えれば考えるほど、死んでも解決出来ない気がして、想は涙が溢れた。
 どうすればいいか分からず、嗚咽を耐えようとすればするほど、涙が止まらない。
 想は痛いほどに勃起する下半身を隠すように、更に身体を丸めた。
 ホテルのような綺麗なバスルームで、シャツと下着のパンツを着たまま頭から冷水のシャワーを被り、想は止まない涙を何度も拭う。
 冷たさが、さらに身体の熱を感じさせて、辛そうに眉を寄せていた。

「も、やだ……はぁ、はぁ……アイツら、ッ……」

 刺された太腿までじくじくと痛みだし、想は視線をそこに変えた。
 与えられたドラッグに苦しむ想に、『シャワーを浴びろ』と優しく防水テープを貼ってくれた新堂の指先の感覚が、じわじわと甦ってくる。
 よく知らない男だが、叔父である若林謙太の親友で義理の兄弟だという新堂漣。
 他人を傷付ける仕事を押し付けられて数ヶ月。新堂漣が絡む仕事の時は、普段の倍ほどの報酬が手に入っていた。
 単純に、早く借金を返済できるように、新堂と若林が結託している事は、想にも分かった。
 常に隣にいる訳でもない想でさえ、何度も、何度も、若林が自分の組長である北川と言う男に頭を下げて、『借金を全て肩代わりするから想を自由にして欲しい』と頼み込む姿を見た。
 組長は首を縦には振らなかった。薄気味悪い笑みを浮かべて、『駄目だ』とひと言。
 その度に見る、若林の顔が想は頭から離れない。悔しそうな、憎しみを喉に押し込むような、普段は見せない表情。
 そして、若林が肩代わりすると言ったその金を、全額現金で準備していたのが新堂漣。
 彼は企業ヤクザなのだと若林は言ったが、それだけで簡単に10億円をポンと出せるはずがない。
 若林の信用する人物とはいえ、新堂漣はヤバい人間だということも、想は分かっていた。
 
「想。大丈夫か?」

 ぼんやりする頭の端で、思考にハマっていた想を呼んだのは新堂だった。
 最近は優しく名前を呼ばれることも減っていた想は、その声にホッと詰まっていた息を吐き出せた。
 返事をしようと思ったが、身体が言うことを聞かずに磨りガラス越しに見える新堂の姿をなんとなく見つめながら、小さく頷く。
 
「想?」

 返事がない事を心配した様子で、新堂がバスルームのドアを開けた。
 想は膝を抱えて蹲ったまま、微かに視線を新堂へ向けていた。

「辛いのか?」

 新堂は靴下も脱がずにバスルームへ足を踏み入れた。
 肩に触れる手に、想はビクッと跳ねた。慌てて、更に膝を抱く腕に力を込める。
 そんな想を見て、新堂は眉尻を下げて、出来る限り優しく言った。

「随分薬が抜けねぇな……」

 違法ドラッグを用法を守らずに使うバカどもが簡単に想像できた新堂は、小さなため息を漏らした。
 そっと、ずぶ濡れで、ぎゅっと身体を丸めて動かない想の頭を撫でた。

「おい、大丈夫か?」

 想はゆっくりと顔を上げ、心配させないようにしっかりと顔を見つめて、何度か頷いてみせた。
 ぼやけた視界に、新堂漣が優しく頬に触れてくる。
 怖い。
 急かしてくるヤクザたちの視線、態度、声に、情報を聞き出すのは本当に胃が痛んだ。
 拷問した末に、他人の命が消えるのを見ると胸が潰れるほど痛んだ。
 周りに味方はいない。若林だけ、いればいい。
 そう思っていた想は、新堂の温かさに身体中がざわついた。

「俺は味方だ。大丈夫」

 想は嗚咽を漏らしながら、新堂の声と手に震える腕を伸ばした。







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