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「ガド。どこまで行くんだ?」
ティエルは短い髪を片耳に掛けながら歩き続けるガドの隣に遅れないように足を速めた。
ガドは時折ティエルに顔を寄せ、甘えるように擦り付けた。
一時間も歩くと、森の奥の一番大きな木を見つけた。この森の主だと、ひと目で分かった。
ガドはよたよたと歩いて、その木の根元に伏せた。
ティエルもガドの腹にうつかるように座った。
「この森は静かだ。本当に北の森でよかったのか?」
頷くように喉を鳴らすガドに、ティエルはくすっと笑って身を寄せた。
しばらくの間、ティエルはガドに話しかけてていた。透き通る声が静かな森に音を生む。
「きっと家に三人が帰ってきた頃だな。俺たちがいなかったら、リリナはすごく怒りそう。リージェルの孫とは思えないおてんば娘だ。タジは人間だけど誰にでも平等に優しくて利口だし、イズーは…色々ケリー先生にそっくり。全然イリカラに似てない。…ハリスは甘えん坊だが、決断力も身体能力も先先代を超えられそうな優秀さだ…ガドの事が大好きなあの子は泣いているだろうな。今頃…」
ティエルは寂しそうに笑ってガドの毛並みに顔を擦り付けた。
黒オオカミのリリナはウエストハード国でふたりを助けようと奔走してくれたリージェルの孫だ。彼の息子も、孫になるリリナも、ハイドルクス王国にやって来て、ガドとティエルから武術と弓を習い、国衛に貢献した。ウエストハードは第二のハイドルクスになろうとしている。互いの国交も盛んで、周辺の国も争いが減った。
タジは人間と獣人が多くの国で良好な関係になった後に生まれた子供だ。偏見が無く、頭が良くて物事を柔軟に見られる。
イズーはヘビの獣人エリーと、エルフのイリカラの息子だ。長年かかって授かった可愛い子供を、鍛えさせてるためにふたりの元へ預けていた。もう、立派な若者だ。
人間と獣人とが、本当にお互いを平等に考えて、協力し合える国が増えた。
そんな人々の中にいると、エルフの自分も『お互い』の一部になれていると感じられた。ティエルは諦めず、人間に接して良かったと心から思った。
諦めずにいられたのは、愛しいトラの獣人ガドのおかげだ。
「ガド……みんなも、幸せって少しは思えてるだろうか」
頷いたり、喉を鳴らしているガドからの反応がだんだん薄くなり、ティエルはふっ…と目を閉じてぽつりと呟いた。
「なぁ……明日も、一緒にいたい」
答えが無い事に、ティエルはガドが嘘をつかないことを知っていて、涙が溢れてくる。ガドの毛並みに顔を埋め、震える身体を自分で抱き締める。
この先、愛しい存在無くして何十年生きなければならないのか。死を望みそうになる自分に、ティエルは嫌悪して拳を握り締めた。
次第にトラの温もりが薄れていくのを感じて、耐えていた嗚咽が切なく溢れ出た。
何時間も泣いて、泣き疲れたティエルが目元を擦った。森の囁きが聞こえて、固まる。
『そのトラを食べる獣はいない。森に還す』
聞こえ終わると、ガドの身体がキラキラと小さな光になって地面へ消えた。
ティエルは土に指を食い込ませ、溢れ続ける涙は頬を冷たくさせた。
腫れた目元に、一瞬温かい風を感じる。ティエルが目を開くと、ぽつぽつと黄色い花が咲き始めた。それは、すぐにティエルの周り一帯に咲いた。
溢れる涙が一層増えるのを止められずに、顔を歪めた。
「っ……やめろ!!!」
ティエルが怒りを叫ぶと、花はしゅんと微かに頭を垂れる。それを見てティエルは慌てて花に指先を触れた。
「ちがッ…ちがう!すまない…ちがうんだ…ガド…優しく、されると……ごめん、ガド…!」
『お前が泣いている。と、トラが心配している』
森の囁きに、ティエルは地面に蹲るように額をつけたまま何度も何度も謝った。
泣かないと約束したが、無理だった。『嘘をついてごめん』とひたすら謝る。
「なんでもするからッ…!!ガドを、返してくれ…!!」
叫ぶようなティエルの声は静かな森に悲しい色で響いた。
*
ティエルはひたすら泣き続け、何日も経っていた。
涙が途切れた頃、目は腫れ、顔は浮腫み、大きな木に背中を預け、ただぼんやりと木漏れ日が当たる黄色い小さな花たちを見つめていた。
不意にその木漏れ日を遮る影が伸びた。
ティエルは少し驚いて、腫れて動きづらい目を影の主へ向けた。見えた姿に声をかけたいのに、喉も枯れて声は出なかった。
そこにいたのは出会った頃の姿のガドで、相変わらず八重歯を覗かせる可愛い笑みが自分を見下ろしている。だが、それはぼんやりしていて現実ではないと察した。
泣き過ぎて頭がおかしくなったのか。夢か。遂には死んだのか。と、自問する。
そんなティエルをぼんやりした姿のガドは抱き寄せた。実体は無いが、温もりを感じてティエルは目を閉じた。
なんでもいい…。
そう思った時、森の囁きが聞こえた。
『国に残してきた教え子はいいのか?』
ーーー彼らはひとりじゃない。
『エルフの仲間を探さないのか?』
ーーーガドに出会った時から、俺はひとりじゃなくなった。どんな時も一緒にいてくれた。それ以上はない。
『そうか…私は永らく森を見守ってきて疲れた。代わってくれ』
森の囁きに、ぼんやりした姿のガドは眉を吊り上げて首を横に振った。
だが、ティエルはガドに両手を伸ばした。
「一緒にいたい」
泣きながら笑おうとするティエルに、ガドは悔しそうに顔を歪めてから、我慢できない様子で腕を伸ばすティエルを勢い良く抱き締めた。
腕の強さを、熱さを、匂いをハッキリと感じてティエルは顔を上げる。困ったような、優しい微笑みのガドと視線を合わせた。
しっかりとお互いの姿を見つめ、触れる唇の温もり。
ゆっくりと目蓋を閉じたティエルの鼻先に、いつものようにガドは自分の鼻先を擦り付けた。
「大好きだよ」
*
ハイドルクス王国の少し北。
煎じると病に効き、すり潰せば傷に良いと言われる美しい黄色と青色の花が年中咲いている。
冬の寒さにも夏の暑さにも揺るがぬ美しい青さを持つ森。
大きな白い虎と、真っ白な片耳の雄鹿が、寄り添うように見守る広い森。
ブルーフォレスト。
ハイドルクスの国王はそう名付けた。
end.
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