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暗くなり始めた空の下、島津のバイクの音が聞こえて想は立ち上がった。人ひとりいない病院前がバイクのエンジン音で制される。想にヘルメットを押し付けながら島津は病院を見上げながら尋ねた。
「どこに行く?」
「悪い仕事してた時にお世話してあげた人から港近くの倉庫借りて準備してある。その近くにテナント募集してる店舗があって、そこの駐車場に来てって連絡しといたよ」
島津は頷き、ヘルメットのインカムの調整をしてから後部に座った想へ再び聞いた。
「新堂さんは?会えたか?」
島津の気遣うような、想と新堂、双方を心配する様子に少し言葉を選ぶように数秒の沈黙。想は小さく首を横に振った。
「見てない。若林さんがいて、命は大丈夫だって。…ホントは会いたかった…でも、漣に会っちゃったら…やっぱり側に居たくなると思う」
「だろうな。…生きてんならよかった。とりあえずそれで満足しとけよ。終わらせたぞ、って報告してやろう」
会いたい気持ちになんとか蓋をした想は、島津の言葉に微かに頷いた。フルフェイスのふたりはお互いに表情は伺えないが、島津には想の寂しそうな顔が、想には島津の無表情の中に心配している瞳が容易に想像できた。
「しっかり捕まってろよ」
想はぐっと島津の腰を掴み、応じる。時折パトカーが通り過ぎるのを横目に見ながら、岩戸田との対峙をイメージするように目を閉じた。
*
島津はバイクを人目につきにくい店舗裏へと停め、岩戸田がどの様に現れても対応できる様に身を潜めた。岩戸田を拘束して運ぶ為のバンのキーをポケットに入れた想は店舗入り口前の少し目立つ位置でじっと前を見据えて岩戸田を待った。
岩戸田と思われる車が駐車場に入ってきたのは二十分ほど経った頃だった。ヘッドライトが想を捉え、運転してきた岩戸田が目を見開く。待っているのがリョウでは無く想だった事に一瞬の驚きと動揺を滲ませたが、それもほんの数秒。
「来た…!!」
「クソ野郎のオンナが!!」
ぎゅっとハンドルを握ると、岩戸田はアクセルを思い切り踏み込んだ。ぐんっとギアが上がる音が響く。スピードを増して想へ突っ込むように一直線に車体が勢いに乗った。
「マジかよ!」
身を隠していた島津は想を轢き殺そうとする岩戸田の車に思わず舌打ちと共に立ち上がった。
想は自身に向かう車を見据え、その場を動かず睨みつける。新堂を襲わせた張本人の姿を見て冷たい感情が腹で渦巻く。
「…っ、有沢ぁああ!!殺してやるぁ!!」
逃げようとしない想に岩戸田は怒鳴りながら想ごと店舗に突っ込む勢いで進み、ぐっと目を瞑った。
想は距離を測る様に瞬きも忘れて車体を睨みつけ、ここだとばかりに車に向かって走り出した。自分の心拍音しか聞こえない。自ら車に飛び込み、身体を丸めてボンネットからフロントガラスを転がる様に滑った。想は衝撃を受けながらも車が通過し切り、爆発でもしたかの様な轟音と共に店舗に突っ込むのを視界の端で見た。地面に落ちる様に転がった想に島津が怒鳴りながら走ってくる。
「馬鹿か!なんで逃げねぇんだよ!!」
「っ、…突っ込んで来たから…!」
アスファルトに転がった衝撃の方が痛かった。と肩を押さえる想の頭を島津は叩いた。タイミング、勢い、進行方向、どれか違えばフロントに打ち付けられ、地面に吹っ飛ばされただろう。
「こう言うのが有沢のダメなところだ!!」
相手の生き死に、自分の生き死に、それを考えずに挑む人間は『そういう世界』で成功出来るかもしれない。けれど、そうであってはいけないと、色んな手が想を縛る。『そっち』じゃないと。
「何のために俺がいる?!」
普段、小さな変化はあれどあまり表情を変えない島津が眉を寄せて感情のまま怒鳴った。今まで何度も怒られた想だが、いつもと違う島津の勢いに想は自分の過ちを察して胸倉を掴む島津の手に触れた。岩戸田の姿を目の前にし、相手からの殺意に呑まれて我を忘れた事に悔しさが溢れる。
「ご、ごめん…頭、真っ白で…ごめん、ホントに、ごめん」
泣きそうになりながら謝る想から手を離し、島津は想に背を向けると店舗に突っ込んでエンジンが停止した車へ歩み寄った。運転席を覗く。フロントガラスがひび割れ、細かい破片にまみれながらエアバッグに埋もれる岩戸田を確認する。少しへしゃげたドアを強引にこじ開け、意識が朦朧としている岩戸田を引き摺り出した島津は無言で手足を縛って肩に担いだ。
「島津…!!」
慌てて想が後を追う。
島津は用意してあったバンの後部に岩戸田を乱暴に押し込んで助手席へ乗り込んだ。眉を寄せて運転席に座った想が再び謝罪を口にすると、島津は合わせなかった視線を想へと向けた。強い、その目から想は視線を逸らせない。
「次、謝ったら顔面殴る。俺が同じ事して、有沢はどうなんだ?上手くいって、よくやったってなるのか?それで死んだら?そこまでって?」
捲し立てる様に問われ、想は島津の目から視線を逸らせず『ちがう』と震える声を絞り出した。
「そう言う考えなら、俺はもう抜ける。色んなモン守りたいからここに居る。犠牲を払うつもりなんてコレっぽっちもねぇんだよ」
島津の瞳が微かに揺れた。
「新堂さんはそうだ。有沢もそうだろ」
想は溢れそうになる涙を堪えて小さく頷いた。お互いに視線を逸らし、前を向く。想は『ありがとう』と伝えながら手の甲で目元を擦り、古びた中古の安いバンのエンジンをかけた。
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