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 想は予想していなかったタイランの台詞に時が止まった様に動けずにいた。握り込まれた手が、微かな痛みを感じる程の強さだと分かってハッと現実に戻される。

「それ、本気?」
「…まぁ、フツーに考えて信用できるワケないよネ」
「出来ない。全く」

 想は真剣に短く答えて睨む様にタイランに視線をやる。タイランはそれを受け止めつつ微かに口元に笑みを作った。細い目は笑っておらず、想の黒い大きな目を見つめ返していた。

「信用してもらうには時間も無い。ムズカシイか」
「理由も分からないし、裏切られたらリスクしかないじゃん」
「そーだよネ。…そーだ」

 想の最もな断りに、タイランは想の手を開放して再びタオルを顔面へ押しつけた。しかし、まだ食い下がる様にタイランは言葉を続けた。

「リア、覚えてるダロ?リアは兄貴のオンナ。兄貴の為にニホンでの商売の土台を作ろうとしてるヨ」

 想はタイランの話を聞きながら新しいタオルに氷を包み、水道で湿らせていく。冷えてきた頃、氷をシンクに捨ててタオルをタイランへ差し出した。

「アリガト。…ネ、ニホンのヤクザって失敗したら指切るんダロ?中国も怖い事イッパイだ。…でも、俺は兄貴が…ジャアーンが一番怖いヨ。頭では分かってるんだ、あんなヤツ、簡単に殺せるのにって」

 使用済みのタオルをゴミ箱に捨てながら、想は無感情にただタイランの独白に耳を傾けた。

「10歳も離れた兄貴さ、俺に色々難題を突き付ける。お父様の物を盗めトカ、大金を揃えろトカ。まだ十にもならない俺に命令する。頑張るんダ。子供の俺は認めて欲しくて。ま、出来る訳ナイんだけどネ」
「…だろうね」
「そしたらネ、汲み取り便所に落とされるんダ。一人用の便所なのに、その下は少し深くて広く作られてる。ずっと片付けられてナイ、山盛りの汚物の中には白骨化したヤツや、腐りかけのヤツもいる。そこは、失敗したヤツの捨て場ヨ。俺が中にいても、落とされるヤツもいた。死にかけで落ちてきたヤツもゆっくり死んで行くヨ」

 想は子供がそこに落とされる不愉快で最低な様を想像して、目蓋を閉じた。

「中にいるのは数日か数時間か。正直暗くて臭くて怖くて、パニック。何回も、何十回も落とされて、バイ菌にやられたりして時には死にかける。で、失敗しなくなる」

 ついでに子供心に恐怖を植えつけて、逆らっちゃいけない存在だと認識させられちゃったワケ。とタイランは含み笑いで独白を終えた。
 そんな恐怖を想は想像する事しか出来ないが、抵抗出来なくなる恐怖は何となく理解できた。想の場合、父親を撃ち殺さなければならなかった時。姉が人質だった時。

「それで…逆らえなくて、この街で薬を撒く様な事したの?それを許せって言うのかよ」
「許せとは言わないヨ。だから俺の事はマフィアでもヤクザでも突き出していいし。ただ、リアを辿ってジャアーンに責任を取らせたいネ」
「…やる事が多すぎて無理」
「ハードディスクと俺は揃ってるヨ」

 そうだ。あとは岩戸田のUSBで、必要な物は揃う。タイランが本気で協力するならば一番探すのが厄介な本人を捕まえた事になる。しかし、どれもこれも本物か確認しなければいけない上に、タイランの兄が裏で糸を引いていた証拠も必要だ。出来るならば『カラン』とは接触せず、始末はマフィアの使いの方に任せたい所。

「お兄さんに繋がる証拠はあるの?」
「リアがジャアーンがやりとりしてるPCがある。ソウがやるって言ってくれたら、俺は盗んでくる」

 タイランの言葉は真実か分からない。けれど本当だとすると実現可能な気もしなくはない。想は腕を組んで模索する様に俯いた。
 地元のヤクザは警察の警戒が強まって動かない。もちろん大崎のように秘密裏に何人かは行動しているだろうが、それこそお互いに衝突は避けたいはずだ。動くなら早めがいいだろう。
 色々と思案している様子の想をタイランは見つめた。自分よりは幾分か若く、整った顔立ちで穏やかそうだ。本当に『カラン』の連中が言っていた様な危険人物かと問われれば程遠そうなものだ。しかし中身はそうではない事は体験済み。度胸と行動力はタイラン自身の状況を変えるに足る物を持っていると思いたい。
 自由は望めないが、兄から解放されたい。
 イタリアのマフィアに日本のヤクザ。ふたつの力があれば、ジャアーンは潰されるだろう。他力本願だが、きっかけはタイランが作らなくてはならない。たとえ自分が死んでも、それでいい。己とふたつの勢力を繋げるのは有沢想。タイランはこれ以上のチャンスは無いだろうと、縋る思いで此処へ来た。
 タイランはじっと動かず想を見つめたまま、段々と冷たさを失っていくタオルを握り締める。

「タイ、俺だけじゃ無理だから、仲間を呼ぶ。相談して決めていいよね?」

 ゆっくりと顔を上げた想の言葉に、タイランは大きく頷いた。


 



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