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 氷枕を手に大崎はソファの傍に膝を着いた。カズマの頬に冷えた氷枕を当てると、眉がピクリと動く。島津はその様子を見下ろしながら視線を時計へ向けた。
 明け方と言える時間になり、外も少しずつ白んできている。眠気もピークだ。

「あー眠いわ。飲み過ぎた」
「カズマ起こしは俺やるんで。島津くん少し寝なよ」
「マジか。助かる。三十分くらい寝かせて。あ、でも有沢かカズマか起きたら俺も起こしてくれ」

 はぁ…とくたびれた様子で島津がハイチェアに座り、カウンターに置いた腕に顔を埋めた時だった。島津の上着にある携帯電話か震えた。小さな舌打ちと共に携帯電話に手を伸ばし、着信相手を見ると蔵元からだった。島津は小さなため息と共に通話をタップした。

「あんだよ。蔵元、俺は眠い。急用じゃねぇなら切る…ぞ…」

 電話に出たものの、いきなり会話が止まった事に大崎は不思議と思い顔を上げる。氷枕を置いて、どうしたんすか?と声をかけた。
 島津は大崎に静かにする様に唇に人差し指を当てて見せ、電話に集中するように眉を吊り上げた。大崎はそれを見つめる。

「有沢は寝てる。俺が代わりに話を聞く。どうだ?は?ダメって……あぁ、…わかった。伝える」

 煮え切らない様子のまま通話を終わらせた島津は休もうとしていた先程とは変わり、直ぐにハイチェアから立ち上がると想の眠る寝室の入り口へと向かった。入り口のそばで身体を丸めていたもち太が部屋へ近付く島津を見上げ、尻尾をぱたぱたと振った。島津はもち太の頭を優しく撫でると、寝室を覗く。中には入らなかったが、引き戸は常に開いたままで中は見えるのだ。

「有沢。…有沢!」

 島津が寝室へ一歩を踏み出そうとすると、もち太が島津の足へ前足を伸ばした。それ以上はだめだと躾けられているもち太は島津にもそれを当てはめている様だった。この先はご主人様だけ。島津は自分を見つめるもち太に眉を下げた。その場にしゃがみ込み、もち太の顔を撫で回す。

「そうだな。悪かった。あいつ、どうやったら起こせる?起こしたい」

 言葉など通じないと分かっていながら、島津はもち太に頼りなく声を掛けた。
 もち太は島津を見つめていたが、不意に立ち上がるとしゃがんでいる島津の背中を頭で押し始めた。島津がそのまま立ち上がるのを確認したもち太はカズマの寝ていない方のソファへと進み、傍に座った。待ての姿勢で島津を見つめる。

「…待て…って事じゃね?」

 大崎が一連の流れを見て、島津に結論を持ち掛けた。島津は一瞬惚けた顔で大崎を見たが、もち太の揺れる尻尾を見て強張っていた顔が緩んだ。

「ふは…そうな。ありがとう、もちオ。焦っても…良くねぇか。でもどうしても急いでる。早めに有沢起こしてくれるか?俺も休むから」

 島津はフッと肩の力を抜くとドサッと音のする勢いでソファへと身体を沈めた。未だに何かを訴える様な視線を向けている大崎に気が付き、島津はあくびをひとつしてから目を瞑って視線に答えた。

「…蔵元からの電話だけど、さっきアルシエロにタイランが来たってよ」
「ーーは?!」
「有沢に話があるんだと。でも有沢は電話に出ないから、蔵元は俺に連絡よこしたみてぇ。でもタイランは俺じゃダメなんだとよ」
「く、蔵もっちゃんは大丈夫なの?!てか、お店…知られてテロられない…?」
「タイランはひとりで来て、ハイボール1杯飲んだらしい。明日も開店時間にひとりで来るってよ。迷惑をかけるつもりはねぇ…とか言ってんだと」

 信用できるわけねぇよ。と島津の表情は険しくなる。大崎も眉を寄せて言葉を止めた。

「…店は臨時休業出すか。誰かに被害でも出ちまったらそれこそ店も、俺たちも…終わりだ。あの場所は有沢が人から預かってる店だし、近くの商店街や反対の夜街とも付き合いが…」

 島津の怒りに隠れた弱々しい呟きが静かな部屋に消える。大崎はドッと焦りが込み上げてきた。乱されっぱなしのペースをなんとか取り戻そうとしていると言うのに、何度もそれを崩される。
 島津が黙ると大崎は彼から微かに漏れる不安の気配を感じ取った。築き上げてきた物と大切なものが無防備に晒されている。やくざの仁義が中国マフィア擬きにあるとは考えられない。無関係だろうと一般人だろうと目的のために壊すだろう。新堂と繋がる中国系の情報屋が何人か殺されたと聞いた後では殊更だ。
 大崎は意識より先に身体が動いた。ぐったりしているカズマの胸倉を掴むと引き起こし、その頬を平手で叩いた。パンッーと乾いた音が立つ。島津もハッと顔を上げた。

「起きろ!のん気にトんでんじゃねぇっ!」

 二度、三度と頬を叩き、大崎は声を荒げた。

「使い物にならねぇなら意味ないっしょ!」
「大崎」
「爪の1枚や2枚どうって事ないじゃん?なんなら指でも折ってみる?」
「おおさき!」

 島津は大崎の声を覆う様に声を荒げた。殴る事は止めたが、大崎の目は止めないで欲しいと語っている。乱れた呼吸をゆっくりと整え、大崎は静かに声を絞り出した。

「もう、うんざりっすよ。後手後手は。こっちも強引に攻めましょ。なんなら有沢ちんを俺が叩き起こそうか?効果的な責め方、心得てるし?」

 大崎は普段のおちゃらけた様子から変わり、ヤクザに仕える者特有の雰囲気を隠しもせずに表に出した。島津でさえ一瞬ピリッとした空気になった。

「俺も少しは習ったんで、最初は爪かな。道具もなんでも代用きくし。水責めは有沢ちん汚れるから嫌いなんだってさ。実は痛め付けるの楽しんでるのかもねぇ。ずいぶん前だけど、人差し指から肉だけ強引に剥いでたの見た時はちょっと引いたなー。肉とか残ってんだけど骨、見えてんの」

 ふふっと大崎から笑い声が聞こえた。口元は確かに笑っていたが、目はカズマを無感情に見つめたまま瞬きもしない。

「ちょっとくらい汚しても、いいっすかね」
「大崎、やめろ」
「もうダメ。島津くん嫌ならいいっす。俺やるんで」

 大崎がポケットからバタフライナイフを取り出し、器用に刃を出す。島津はぐっと拳を握ると止めようと立ち上がった。
 二人が行動をしようとしたその時、カタンと軽い音が部屋に鮮明に響いた。

「汚さないでよ。爪楊枝かなんかを…爪の間に刺したら大抵起きるよ。…神経がイカれてなければ」

 寝室とリビングの境で想は眠たそうにふたりへ声をかけた。ワイシャツにボクサーパンツだけの姿はいかにも寝起きだが、足には所々包帯や湿布が目立った。

「有沢!」
「有沢ちん!」

 大崎はカズマを放り出すと想に駆け寄り飛び付いた。薬の眠気に抗いながらも眠気の強い想は避ける事も受け止める事も出来ず大崎の勢いに倒れそうになる。慌てて大崎は抱き締めるように想の身体を支えた。

「ちょっ…!有沢ちん、大丈夫?!」
「ん。…漣に、薬飲まされた…と思う」
「有沢の為だろ。お前無理しすぎても止まらねえから」

 想は島津の言葉に小さく頷く。

「でも、…ごめん。大崎くん…の、役に立たなくて…」

 眠たげな瞼と戦いながら、想は自分を抱く大崎の背中をポンと叩いく。

「いいっす。俺も、頭に血が上ってた…」

 大崎は黒く染められた想の髪をがしがしと掻きまわして、自分の先ほどの行動を思い返して少し反省した様子で呟いた。
 一方、島津はキッチンへ入と入る。

「眠り姫、爪楊枝どこデスかねー?」

 落ち着きを多少取り戻した空間に島津はホッとしつつ、行動を始めようとしていた。
 そんな島津の声に、想は食器棚の端を指差して微かに笑みを向けた。
 



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