15




「…気持ち悪い…」

 黒いカーテンで仕切られた狭い空間は風もなく、淀んだ空気に満たされている気さえする。想は思わず呟いた。
 程なくしてカーテンを少し上げながら女が現れた。折れそうなほどかなりの細身、小柄で耳と唇、眉や鼻にまでピアスをして目の周りを黒くしている。長い黒髪がその雰囲気を更に不健康そうに見せていた。
 想は驚きで目を丸くしたが、相手の女は全く気にした様子はない。

「アンタがタイのスカウトした奴?こっち来な。さっそくだけど運んでほしいものがあるのよね」

 女は口に咥えたタバコに火をつけながらダルそうに指で想を招くと、奥へと進んだ。想はそれについてカーテンを上げて部屋に入る。中は15畳ほどの部屋で、ソファが幾つかあり、六人の男がいた。薄暗い部屋の中、ゲームやパソコンに夢中で想へ視線は来ない。タイランの姿は無く、奥の扉を見つけてそこに居るのだろう想は思った。
 想が少し緊張しながら部屋を見回し、女へ視線を向けた時、鋭い殺気が肌を刺した。
 想の野生の勘、と言う経験的なその感覚により、反射的に身体は動いた。脇腹めがけて直線的に空を切る刃物が網膜に焼きつく。想は瞬きもせず、その切っ先を見つめて、この角度で深くまで刺さればすぐに死ぬ、と他人事のように考えていたが身体は呑気な想の思考とは逆に機敏だ。

『っ…なにっ…!!』

 想がギリギリで刃物を交わして襲い掛かった相手の手首を掴む。すると、相手は狼狽えた。想と相手の視線が合った。
 怯む様子のない想に、相手は一瞬で奇襲の失敗を悟り刃物から手を離した。ガキッっと重たい音が床を叩く。その音に無関心だった部屋の男たちが顔を上げた。

『止めな!』

 女の一声で顔を上げた男たちは反論もせずに各々自分のしていた事へと戻る。想は襲い掛かってきた男を凝視したまま、少しずつ現実味を帯びてきた感覚が鼓動を早めていた。 

「っ、びっくりした…」
「悪く思わないで。今、ピリピリしてるのよ。アンタも早く手を放して。もうしないから」

 日本語で想へ言ってから、刃物男にも念を押した女が想の手を撫でた。冷たい手にゾクりとして想は手を放す。刃物男はすぐに下がった。

『リア、日本人なんて必要ないだろ』
『私たちが歩き回ると目立つでしょ。今はヤクザに警察までウチらを探してる。それに、この日本人に運ばせるのは一回きりよ。この前の奴、ボコボコにしちゃって使えなかったんだから…』
『ジャーンのために…金も必要だとは思うけど、リアが捕まったら俺たちはどうなる?どうせ悪さしてすぐに捕まる。国に返されたくない。そんなに頑張らなくてもいいだろ』
『ここまでやったのに?今ならヤクザの上に立てるわ。ジャーンが日本に来た時には土台がなくちゃ。こっちの怖さを教えてやるの』

 想は刃物男とリアと呼ばれたリーダー格らしき女のやりとりに集中した。速い中国語を聞き漏らしたくはなかった。大崎の言う通り、確実に『カラン』の目的はシマを盗る事だ。

『この話は終わり。今はこの日本人に少しでも運ばせないと』
「アンタ、これから届け物してくれるんでしょ?報酬は5万。二カ所に運ぶの。ひとつは××駅の302番ロッカー。鍵は付けっ放しでいいわ。もうひとつは0時に××駅のすぐ前にあるファミレスよ」

 やるわよね?と首をかしげるリアの目は断る事を許さないと物語っている。断るつもりもない想は頷いた。するとリアはポケットからくるくるに丸めてある日本紙幣を差し出した。

「前払い。一回きりよ。もう私は仕事を頼まない。またここに来て仕事貰おうなんて考えないで。場所も変える。もし職務質問とかされて失敗しても私たちの事は他言しない事。…分かるわよね?人を殺すくらい簡単なの」

 紫煙をゆっくりと吐き出すリアの後ろから刃物男とは別の男が袋をふたつ想へ差し出した。想が覗くと、新品のフィルムに包まれたDVDのケースが3本ずつ入っている。

「じゃ、頼んだわよ」
「あ、あの…タイは?」

 行けと示されたが、想は消えたタイランの事を尋ねた。リアが目を細め、うんざりしたようにそのまま瞼を閉じた。

「もう居ないわ。さっさと消えて。ちゃんと届けなさいよ。受け取りが確認できなかったら、朝にはアンタは裏路地でゴミになるからね」

 タイランに会えないと察して、想は舌打ちでもしてしまいそうだった。だがここでごねても仕方ない。

「タイによろしく伝えてもらえます?」

 へらりと笑って言った想に対してリアは無表情のまま頷いて、扉を指差した。想は言われた通りに扉を開けて部屋を出た。薄暗い建物を抜けて外へ。
 人通りは少ないが、古いコンクリートビルばかりのはずの景色が明るく、空気も綺麗に感じる。想は一度振り返って、しんと静まるビルを見た。まるで別世界のような場所だったと先ほどの空間を思い返した。

「…よし、時間的に先にロッカーかな」

 想は荷物を持ち直すと歩き始めた。しかしその前にどうしても大崎に『カラン』の事を伝えたかった。ボスは女かもしれないという事。確実に日本での活動を視野に入れているのだという事。
 少し離れてから連絡しようと決め、想は駅へと急いだ。



text top

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -