「……ペンひとつで片付く仕事がどれだけ楽か思い知らされるな」
「警察を呼びますね」

 スンという中国人の男が寝ぐらにしている、古ぼけて崩れかけそうな小さい建物の入り口で、新堂は暗い瞳を伏せた。
 日下は周囲の安全確認に動き始める。
 まだ夕刻には早いというのに電気の無い部屋の中は暗い。
 そして建物の中に入らずとも分かる匂いに、新堂は表情こそ変わらないものの冷たい空気を纏っていた。
 懐中電灯を持ってきた日下からそれを受け取り、奥を照らしてみれば少しは中も見えるだろうか。
 辺りに散らばるパスポート。免許証。
 スンはしっかりとした身分を持っていたが、裏ではマフィアから下ろされる幾つかの偽身分証を日本に居たがる不法滞在者に高値で売っている男だった。
 それがヤクザにバレかけ、死に掛けのスンは新堂の情報屋のひとりとなることで救われていた。
 中国からの品や情報を直に仕入れられるスンだが、マフィアとヤクザに挟まれ常に身を震わせていたのも事実だった。
 始末されたという事は、日本側と親密であることがバレたに違いない。
 スンと思しき男がうつ伏せで倒れている。
 頭は半分以上吹き飛んでいた。
 その傍に妻。腹に風穴が空いている。
 新堂はコートを脱ぐと日下へ渡し、真新しい手袋をはめながら裏口へ回った。
 懐中電灯で慎重に足元を照らしながら室内を確認する。
 こちらも荒らされているが、死体は無い。
 新堂は台所の端から続くボロボロの腰壁のひとつを触り、一度叩いた。
 スンから言われていた通り、中からも一度音が鳴る。
 新堂はホッとし、小さな息を吐きながら腰壁を外した。

「レン!きのう、よる、こわいのきた!」
「ああ。よく頑張ったな」

 中から飛び出してきた子供を抱き止め、壁を戻すと早々に建物を出る。
 『自分に何かあった時は息子に体力の限界までここに隠れるように言い聞かせておく』とスンは度々新堂へ訴えていた。
 この子は言われた通り、新堂が探ししてくれるのを待てたようだ。
 新堂は細い肩をそっと撫でた。

「怪我はないか」
「だいじょうぶ、これ、パーパから、レン」

 新堂は子供が、父親のスンからだと差し出す薄汚れたビニール袋を受け取り、彼の国の言葉で深く感謝を伝えた。
 日下は新堂のコートを助手席へ置き、ふたりへ声を掛けた。
 新堂と子供をそのまま車へと乗せる。
 新堂は薄着の子供に自分のコートを羽織らせた。

「あの……レン、ボク、にほん、に、いたい」

 新堂は両親の事をちらりとも語らない子供の肩をそっと撫でた。
 この小さい生き物が、いつ、こうなるとやもと覚悟して日々を過ごしていたのだと思うと気が滅入る。
 けれど誰も彼もを救える訳もないことは新堂自身よく理解していた。そして己は他人を破滅させる側の人間だと言うことも。
 新堂は子供の父親との約束通り、身柄を確保し安全な場所へと移動する。
 本来ならば家族揃っての事だったが、死んだ者にもはや安全など無用だろう。
 タイランにもエドアルドが追ってきている事くらいは予想できようが、ここまで行動が早いと驚かされる。
 スンの他にも情報屋の死体が出るはずだ。
 エドアルドに知られたくない事を封じるために。
 新堂はまだ見えぬタイランの思惑を探るように目を伏せた。
 三歩は先を行かねばならないだろう。
 相手の手際の良さと容赦の無さは、甘い考えで動いていては負けると感じさせるものだ。
 重い空気を感じ取り、車を走らせていた日下が控え目に口を開いた。

「エドアルド・ベッレーニ氏が思っているより事態は良くないのでは。既にスンがブツを手に入れられていたという事は、ある程度出来上がっていますよね。未完成の模造品をもう捌くなんて……ありえますか?」
「もう少しタイランのことを知らないと何とも言えないな。特に今回の薬は売り難く足が付きやすい代物だ。マフィアが独占して作った品を盗んだ。リスクがでかい……どう乗り切る。ただの馬鹿じゃねぇはずだ」

 新堂は毒を噛み締めたように言葉を吐き出した。
 スンの残したビニール袋の中身が恐らくは薬物である事を確認する。
 折り紙ほどの透明なシートだ。例えるならオブラート。
 小さく軽いこの手の商品は隠しやすく動かしやすい。形もいろんなものに変えられる。処分もしやすい。
 手早く稼ぐにはもってこいだが、タイランはあまりにも無謀すぎる。
 儲けるほど売れる前にエドアルドに潰されるははずだ。
 なぜ普通の薬物ではいけないのか。
 既存の覚醒剤等ならば足も付きにくく、量によってはかなり稼げる。
 過去に新堂自身も大量の薬を各国で秘密裏に移動させるというだけで荒稼ぎしていたものだ。
 車窓から外を眺めいた新堂の顔をスンの子供が見つめていた。
 それに気が付き新堂はその子の頭をそっと撫でた。

 







『素敵な時間をありがとう』
『こちらこそありがとうございました。お気をつけて』

 想は形式的なイタリア語で最後の客を見送ると、店内に戻り大きく息を吐き出した。
 どっと疲れたように想はうな垂れた。

「あんなペラペラのイタリア語だと聞き逃しとかいっぱいあったかも……」
「ははっ!今の有沢のツラ最高だぜ!」

 グラスを片付けながら島津は心底可笑しいというように笑う。  
 想も笑うしかなく、片づけに加わった。

「……いや、でも正直……ちょっと有沢はすげぇって思ったわ。ペラペラじゃねぇか」
「……え………褒めてるの?寒気する」

 島津に褒められ、想が心底信じられないという顔で彼を見ると、とたんに島津は想を睨み付けた。

「普通に喜べねぇのかよ、てめぇは!」
「あははっ!」

 想は笑ってモップを手に取った。
 ふたりのやり取りを聞きながら、裏から出てきた西室と清松というフリーターが頭を下げる。

「おつかれさまです」

 『おつかれ』と島津が返したところで、清松が想へと近付いた。

「あ、有沢さん……実は、前給してもらえないかと思って……」
「また?まさか借金とかじゃないよね」
「違いますって!」
「クスリ?」

 清松はブンブンと首を横に振ったが、西室は目を伏せて俯いた。
 それを見た島津が呆れたように清松に声を飛ばす。

「クスリはやらねぇって約束したろーが」

 慌てて清松が島津に振り返った。
 『違いますよ!』と言う彼だが、俯く西室を見て顔色を変えた。
 袖川組の一件でヤクザの怖さが身に染みたふたりは、悪さの一線を考え直していた。
 西室はそれなりに羽目を外すこともあるが、しっかりと常識を持っている。
 だが、清松はクスリの良さを忘れられず未だに遊びにバイト代を注ぎ込んでいた。
 西室はそんな親友をどうすればいいのか、想たちに漏らしていたのだ。
 最近の清松は目に余る行動が多い。
 仲間内でキメてからの乱交はほぼ毎週。車に女の子を連れ込み数人で楽しんだ後は山の中だろうと路上だろうと裸同然の姿で放り出すのだ。
 西室でさえ距離を置いていた。

「ニシ!てめーチクったのかよ!」

 西室に掴みかかった清松を慌てて想が止めようと手を伸ばした。
 けれどその手を清松は叩き返す。
 パンッと驚くほどにそれは響いた。

「触んじゃねえっ!」

 静まった空間に、清松が大きく息を整える音が際立つ。

「有沢さん、あんたがヤベー人間だってことは知ってますよ。岡崎組の組長、よく来ますもんね。すっげぇ親しそう。それにいつも閉店間際に来る男も、なんとなーく知ってますよ。俺も最近じゃ色々教えてくれる仲間、いるんでね」

 想は清松が何を言いたいのか分からず、真意を探るように相手を見据えた。
 清松は鼻で笑って続けた。

「閉店間際の男とヤってんでしょ?!愛人すか?いくら貰ってんの?男相手に足開いてんでしょ?店とか持たせてもらって、そのくせヤクザもとお楽しみなんすか?金がある人間はいいっすよね!そうやって人に説教こいて。けど、その金ってあんたがカラダで垂らし込んだ男の金でしょーよ!女も垂らし込んでんじゃねえの?有沢さん目当ての女の客、多いっすもんね!」
「清松っ!止めろ!」
「うるせーな!ニシ、てめぇ付き合い悪いよ……なんなん?」

 清松は標的を想から西室に変えるように睨みながら一歩迫った。
 しかしカウンターから出てきた島津が間に割って入り、動きは止まった。
 180センチを超える強面の島津に凄まれ、足を止めない人間は少ない。

「清松。有る事無い事、どうしたんだよ。頭冷やせ」

 上背のある島津に睨まれ、清松は言葉に詰まると逃げるように店を出て行った。
 バタンと扉が閉まると、一瞬の静けさの後に島津が真顔で想を見た。

「おい、有沢……おめーすげぇやべえ設定だな……みんな有沢様のセックスの虜だと。魔性の女、的な?」
「ふふっ……どんだけ金の亡者で魔性みたいな立ち位置なの、俺……すごいな」

 堪えるように笑い始めたふたりに、西室はぽかんと言葉を無くした。
 言いたい放題言われて、気にもとめていない様子だ。
 西室にも、あれは清松の妄想だということくらい分かるが、少なからず危ない連中と付き合いがある事は事実。
 ハラハラした気持ちでいた西室の肩を想は優しく叩いた。

「西室、少し清松と離れたら?」
「アイツ、……そのうち、ヤバくないっすか」

 想の言葉に西室は力なく答える。
 しかしそうする以外、思い浮かばない。
 正面からぶつかっても、今の相手には何も届かないだろう。

「痛い目見て、目が覚めりゃいいけどな。その前に捕まらんといいけど」

 やれやれと、島津は片付け作業に戻った。
 西室は想と島津に頭を下げながら店を出た。
 親友を助けたい気持ちと、どうにもならないやり切れない気持ちに西室は気分が重くなった。

「……清松のクソ馬鹿。どんだけ俺を心配させんんだ……味方、無くしてどーすんの……」

 西村の、小さなその声は明け方の静かな裏通りでさえ誰に聞こえるでもなく消えた。

 





text top

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -