木の根。石。泥濘。足を取られても走らなければならない状況にギロアは奥歯を噛みしめ、腕に抱えたアサルトライフルを握り直した。

「クロフォード!」
「はいっ!!」

 ギロアが後方を必死に着いてくる若者を呼んだ。
 息切れの中、はっきりとした返事に振り返らずに走りつづけた。
 数分走り続け、沢を見つけると近場にある窪みへと滑るように身を投じ、ギロアは二秒数えた。ぴったりのタイミングでクロフォードが同じ様に落ちてくる。
 彼は壊れたゴーグルを取り、涙を乱暴に拭った。
 それを見てギロアは後頭部を軽く叩いた。

「大丈夫か?追っ手は少数だが精鋭だ。気を抜くな」

 『はい』と嗚咽混じりに言うクロフォードに、小さくため息を吐いた。
 クロフォードは若く、まだ二十歳を超えたばかりだ。機械に強く、軍人を目指していたが左耳を傷めて断念し、この組織にスカウトされた通信担当だ。
 身体を鍛えてはいても、実戦経験などないであろう震える肩をギロアはそっと叩いた。

「俺が守る。本隊はなんて?」
「2時間で部隊が来ます。我々が見つけた敵部隊の位置も伝わっています」

 『よし』とギロアは笑顔を向けた。
 アサルトライフルを背中に回し、追っ手の様子を伺うように窪みから上を確認した。追っ手の姿も気配も無いことに、相当走ったと認識する。

「隊長たち、どうして……っ」
「今は考えるな。俺たちは斥候部隊なんだ。装備も軽い。相手が悪かった」

 犯罪集団の拠点を探していたギロアたち。偵察は成功したが、敵に感づかれて部隊のメンバーはふたりを残して倒された。
 斥候部隊としてやってきた彼らの中でも、さらに先に移動を命じられていたギロアとクロフォードは、敵部隊と接触する事はなかった。
 だが、ふたりが隊に戻った時には、既に他の者達は屍となっており、その際に見つかった。
 ふたりは逃げ切ったようだが、クロフォードはショックで動揺を隠し切れていない。涙はゆっくりと出てきて、震えている。
 少しでも安心させるためにギロアは笑顔を向けたが、クロフォードは俯いたままだ。

「俺たちの位置はどうだ」
「大丈夫、です。直ぐに合流できるはずです。座標は……」

 震えながらも役割を果たすクロフォードに頷き、ギロアは休むように言って追っ手を警戒するために窪みから静かに上がった。
 クロフォードを守りつつ辺りを警戒出来る場所に移動した。射撃用ライフルに持ち替え、スコープを覗いて更に辺りを確認する。

「……よし……」

 ギロアは、ロシアに近いこの地域、この森の中にある人身売買組織の犯罪を妨害するために派遣されていた。
 元々、連邦捜査官だったギロアだが、理不尽で非人道的であっても上層部の命令がなければ動くことを赦されない、国外では途端に力を失う環境に職を辞めた。
 助けられた筈の命も、上の命令のために見て見ぬ振りを強いられ、限界だった。
 今の民間組織はボスは居てもキツく締められる事はない。
 細かい作戦は各チーム決め、実行する。武器や機材は殆ど何でも手には入る、環境も良い力のある地下組織だった。

「……ん?」

 スコープに移った人影に、ギロアは固まった。
 追っ手のような戦闘服ではない、ワイシャツにベスト、スラックス姿の若者が木の根元に座り込んでいる。
 ギロアは無線でクロフォードに確認を急がせた。
 クロフォードは言われた方角を双眼鏡で確認し、目視できる距離だと伝えた。
 身を隠したまま、若者の様子を見るがうずくまって動かない。

「もしかして負傷しているのでは?迷ってきた一般人でしょうか」
「俺が行く。クロフォードはそこに待て」
「自分の方が近いです!任せてください!」

 言うが早いか、指示を待たずに荷物を降ろしたクロフォードが窪みから素早く上がり、道無き道を訓練通り素早く静かに走り出した。

「あの、バカ!」

 ギロアは銃を背に回し慌てて追いかけた。
 無線に向かって行くなと命じたが、クロフォードは無線も全て置いて行ったようだ。
 追っ手の心配もあったが、ギロアは抑えきれずに大声でクロフォードの名前を呼んだ。

「クロフォード!!!許可するまで待て!何があるか分からん!」

 ギロアの声にクロフォードが振り返った。
 だが、ギロアの視界には彼を追い越した先、負傷していると思われた若者に釘付けになった。若者が素早く立ち上がると走り出し、大木に身を隠す姿がスローモーションの様に映る。
 まずい!!
 思考とは逆に、ギロアは走りだした。

「伏せろ!!」

 ギロアの咄嗟の怒号と、激しい爆音が重なった。

「ぐぁっ……!」

 ギロアは反射的に身を低くしたが爆風に吹き飛ばされ、熱と衝撃に頭部を庇う。
 身体を地面に叩きつけられ、一瞬止まった呼吸に歯を食いしばって意識を保とうと土へ指を食い込ませた。
 土の匂いと焦げる匂いは鮮明に感じられたが、何も聞こえない。
 酷い耳なりの中、霞む視界を必死に使ってクロフォードを確認しようと顔を上げる。
 数メートル先に黒い防具用の手袋が見える。それにあるはずの身体は無く、もう少し遠くにクロフォードが見える。
 ギロアはクロフォードの名前を叫んだつもりでいたが、混濁した意識の中の叫びは誰に届くでもない。
 飛び立って上空を舞う鳥達の鳴き声がちらほらと辺りに響いていた。






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