高鳴る鼓動

毎日が酷く退屈だった。
何の面白みも無く、日常が酷いくらいに救いの無い、なんて事は無い。寧ろその逆のような感じで、欲しいものはお母様やお父様に強請れば大体買って貰えるし、親からの愛情だって貰っている。毎日繰り返される勉強だって、自分の中の知識が増えていくという事に満足感を覚えてけして嫌いでは無かった。
だったら何故退屈なのか。それは変わり映えのしない毎日を続けているという所にあるだろう。そして自分から強く意志を持てるような、粘りに粘る事が無く、それもまた退屈を助長していた。
特に不満を覚えない日常に、だが物足りなさも感じていたのだ。欲しいものは何でも手に入る、嫌な事も強要されない。だけど自分からやりたいと思えるような事が見つからなかったのだ。自分が興味を持てる事が。趣味が全くない状況と言えよう。
それが当たり前だという世界で育って来た私の元に、ただ一人新風を吹かせた者が居た。

昼下がり、自室にて読書をしていた時の事だ。紅茶が欲しくなり使用人を呼ぶ為にベルを鳴らすと、直ぐ近くに居たのか大して時間も掛からずに私の部屋の扉がノックされた。それに続けて扉の向こうから聞こえてきた声に、違和感を感じた。

「お呼びでしょうか、お嬢様」

そう言って開け放たれた扉の向こう、全く見慣れない男の姿に私は一瞬言葉を失う。真ん中で分けられた艶のある黒い前髪は屋敷に勤める者として清潔感を与え、しかしそれから視線を落とせばまるで宝石のような済んだ金色の瞳は不思議だという感想を抱かせる。黒髪に金色の瞳なんて珍しい。それより何より私が驚いたのは、執事や料理長等の他にいつの間に男の使用人が増えたのか、という点だ。
男性使用人は女性使用人よりも高価だ。その理由は男性使用人には使用人税が課されるから。女性使用人には非課税で、その為か殆どのお屋敷にはメイドさんばかりだ。その例に漏れず私の所も使用人は女性の方ばかりで、男性使用人は前述した者くらい。なのにどうして私の目の前にはそれらの者じゃない、見た事も無い男性使用人が居るのだろうか。
そう思って私が言葉を失っていた時、目の前の男性使用人は少し慌てた様子でこう言い出した。

「…っ申し遅れました。本日から此方のお屋敷にて従僕として働かせて頂く事になった、エレン・イェーガーと申します。宜しくお願い致します、お嬢様」

恐らく私が彼の存在を気になっていた事が分かったのだろう。エレン・イェーガーと名乗る彼はそう言って深々と頭を下げた。
従僕。そう聞いて成る程、と思った。従僕とはフットマンの事であり、男性の家事使用人だ。その仕事はメイドさんのようなものだが、時に執事の代わりも務めたりもする。そして絶対に居なければならないというものでも無いので、その存在は貴族としての一種の見栄みたいなものだ。
先述した通り男性使用人にはコストが掛かる。その上で特に必要の無いものを雇うのだ。私の屋敷には充分だと言えるくらいの使用人が居て、そこそこ裕福だったりするから、やはり見栄みたいなものなのだろう。もしくは単純に彼の見た目が気に入ったか。
従僕として雇う際に重要視されるのは容姿だと聞き及んでいる。容姿が良いとその分支給される給金も相当なものらしい。目の前の彼は綺麗な黒髪に珍しい金色の瞳。見た目も整っていて、背も高い。見映えはかなり良いだろう。従僕としての正装も似合っていて、少し幼い顔つきと相俟ってかなり良い。
実を言うと、言葉を失ったのは何も見た事が無い男の使用人を目の当たりにしたという事だけじゃない。その外見に見惚れてしまったという理由もあるだろう。
目の前のエレンは私が返事をしない事に焦りを感じ始めたのか、少し弱気さを含んだ声色で「お嬢様?」と返事を促すように言う。それにはっとして、私は口を開いた。

「…ええ、宜しく、エレン」
「…はい!」

この屋敷の主の一人娘である私のご機嫌を損ねてしまったのかと思っていたのだろうか。エレンは私が笑みを浮かべてそう言うと、さっきの不安げな顔から一転して笑顔を見せた。その顔はとても魅力的で、成る程こういう所も良いなと思った。

「…それで、お嬢様。御用件は…」
「紅茶を淹れてきて欲しいのだけれど、良い?」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」

そう言ってエレンは頭を下げ、踵を返しこの部屋から出て行った。ぱたりと静かな音を立てて閉まった扉に、丁寧な人だという事が窺える。
紅茶を待つ間にまた読み進めてみようかと小説を手に取るが、どうも目が文字を追っていってくれなかった。本よりもさっきの人の事が気になって仕方ないのだ。
ただ単に新顔という事もあるだろうが、見た目的には私とそう歳は変わらないように見える。そんな若さで従僕として雇われて、その役割を全う出来るのか。そんな心配も無きにしも非ずだが、それよりなにより、凄く好みだったという阿呆な事を思ったからだ。
思えば私の周りには歳が近い男性なんて居なかった。一番近いのは執事だろうか。それでも一回り以上離れていた筈。そんな中にある日突然歳が近いであろう少年がやって来た。そしたら一度はそういう対象としてどうかと思ってしまう訳で。

「お嬢様、紅茶をお持ちしました」

ガチャリとドアノブが回され扉が開いて、エレンがワゴンを押してくる。手慣れた所作でカップに紅茶を注ぎ、テーブルにソーサーを置きその上に音を成る可く立てないようにとゆっくりカップが置かれた。芳しい紅茶の香りがふわりと漂って、紅茶を淹れるのは上手なようだと思った。

「ありがとう」

そう言ってカップの取っ手を持ち、熱い紅茶を舌が火傷しないようにと一口、口に含む。口内に広がる紅茶の味と鼻を突き抜けていく香り。穏やかな渋味は心地よく、香りで感じ取った通りエレンが淹れた紅茶は美味しかった。

「…うん、美味しい。エレンは紅茶を淹れるのが上手いのね」
「そんな事は…。ですが、お嬢様のお口に合ったようで光栄です」
「謙遜しなくて良いのに」

ふふっと笑えばエレンは恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに、笑みを浮かべた。その笑った顔を見ると何故か私も嬉しくなって、自然と微笑み返す。この人と居るのは心地が良い。それが私が今感じた事だった。
今までは新しい使用人が増えてもそうなのか、で終わっていてあまり感心を持たなかったのに。自分自身でも少し酷いとは思っているが、ある使用人が止めてまた新たな使用人が入って来た時も何かが変わる事は無かった。ただ見慣れない顔の人が居るだとか、あの人は止めたのかとか。それだけだ。
それなのに、今回はそんな無関心さはどこかへ行ってしまった。出会った瞬間にこの人を雇ってくれてありがとうと、お父様と執事にお礼を言いたいくらい。
例え歳が近いだろうから、なんて理由でも良い。顔が好みだったから、なんて理由でも、正直すぎるがそれでも良い。きっかけなんて何でも良いのだ。兎に角このエレンという人物に私は心惹かれて、興味を持てたのだから。この時が、私の心臓が早鐘を打った瞬間だった。

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