はじまり

あれから数日後の出来事だった。あの吸血鬼に出会って、逃げられて、それから数日後。もうそろそろ寝ようかとベッドサイドのランプを消すと、窓から差し込む月の光だけが部屋を明るくしていた。その光がいきなり絶たれて何事かと窓へ視線を向けたのだ。ああ、知らないふりしてそのまま寝れば良かったと後から後悔した。そこに居たのは、あの時の吸血鬼だったから。

「…久し振りだな。リルって言ったか」
「あ、あの時の…っ」

窓で隔てられているから、こんなに近くに居ても少しは安心出来る。吸血鬼は、初めて来る家にはその家の家人に招かれないと入れないのだ。つまりは私が招き入れなければ、一応身の安全が確保されているという事になる。それが本当かどうかは分からないが。

「…なあ、開けてくれねえか。てめえの血を吸ってみたいんだ」
「誰が、開けるもんですか…っ」

どうやら本当らしい。これは好機とベッドサイドに置かれた銃に手を伸ばし、安全装置を外す。窓に銃口を向けると、吸血鬼は笑みを絶やさず飄々とした態度で言葉を続けた。

「俺を撃つか…?だが、ここを開けないと無理だよな…」
「…っ」

確かにそうだ。だけど、そんな事をしたら吸血鬼を招き入れたのと同義ではないのか。そして、吸血鬼はそれを分かってこう言ってるに決まってる。

「ほら…少しだけだ。ちょっとだけ痛みを我慢してくれれば良い」

こつん、と吸血鬼は窓を叩き、ここを開けてくれと宣う。

「…その後には、快楽が待っている」

その言葉に、身体に熱が集中した。恥ずかしさもあるのだろうけど、その言葉に少し心が揺らいでしまったからだ。
あの時は良く見ていなかったけれど、この吸血鬼は見目麗しい。さらさらの艶やかな黒髪に、切れ長の瞳は色気を孕んで、全身に纏った気品は何処かの王族かと勘違いしてしまう程だ。
いやいや、そう思ってしまったら駄目だ。その甘い顔で、甘い声で、甘い言葉で人を惑わすのが吸血鬼だ。絶対に、受け入れてはならない。

「…絶対に、開けません…!」

そうだ。強固な意思を持って吸血鬼を拒まないと駄目だ。少しでも気を緩めたら、きっと陥落してしまう。

「…良いのか?此処を開けてくれたら…」
「…開けて、くれたら?」
「…気持ちいい事を教えてやるよ」

鼓膜に響く甘い声と言葉に、身体が震える。この人は今まで、何人をその手に掛けて来たのだろう。こういう事に慣れている事を匂わせて、その余裕さが色気を感じさせて。

「ほら、知りたいだろう…?優しくしてやる」

騙されちゃいけないのに、騙されると分かっているのに、人を惑わす事には長けているこの吸血鬼には、どうしようもなく心が惹かれてしまう。それは単純に見た目が良いから?それとも、その甘言に心が揺れているからか。それこそ、吸血鬼の思う壷だと言うのに。

「…」

思わず、窓へと手を伸ばしてしまう。それでも、理性は残っていたのか直前で手をぎゅっと握って、胸元に戻す。其処にはエレンからもらったチョーカーが付いていて、はっとした。

「…お、お兄ちゃああん!」

私一人じゃあまりにも危うい。このままこの吸血鬼と二人だけで居たら、何れ受け入れてしまいそうで。だからエレンを呼んだ。助けを求めて、私を此処に繋ぎ止めてくれる存在を求めて。

「どっどうしたリル!」
「この間の吸血鬼が…っよ、夜這いに…っ」
「おい、そんな事一言も言ってねえが」
「…っな、何…!?おいリル此処開けるぞ!」

バン、と勢い良く開かれた扉の向こうからはエレンが姿を現して、私を後ろに隠すように窓の前に立ちはだかった。

「…お前…!」
「…一応言っておくが夜這いに来たとは一言も言ってねえからな」
「血、吸いに来たんなら同じだろ!」

エレンは同じく銃を構えて、吸血鬼の方へと向ける。此処から早く立ち去ってくれと、でなければ撃つと威嚇しながら。
私達だって、吸血鬼なら誰でも撃ち殺すという訳ではない。そりゃ、望んでなった訳じゃない吸血鬼も居るし、生きる為に必要な分だけを乞う吸血鬼も居る。私達が討つのは、血に溺れて、人に危害を加えるだけの存在だ。だから無闇やたらに吸血鬼を撃つ訳ではない。
銃口を向けられた吸血鬼ははあ、と溜め息を漏らしマントを翻した。

「…いい、てめえが来ると白けちまう」

そう言い残して、吸血鬼は闇に消えていった。緊張感から解放され、身体から力が抜けると共に口からは長い溜め息が出る。
どうしてまたあの吸血鬼は私の元へとやって来たのだろう。以前は吸おうとして吸えなかったから、躍起になっていたのだろうか。
結局使わなかった銃を戻して、エレンの背中に抱き付く。やっぱり、安心する。ぎゅっと抱きしめると、エレンの腰に回された私の腕にエレンの手が添えられて、指先を撫でられた。

「…大丈夫だったか?」
「…うん。大丈夫」

ぐりぐりと額を擦り付けてひとしきりエレンの温もりを堪能して、回した腕を離す。向き合ったエレンの表情は柔らかくて、私の頭にぽすんと手を置かれ髪をぐしゃぐしゃにされた。

「ん」
「また何かあれば兄ちゃんに言えよ?」
「…うん!」

エレンに頭を撫でてもらうのは気持ちが良くて、自然と笑顔になってしまう。私が嬉しそうな顔をしているとエレンも嬉しそうな顔になって、更に頭をぐしゃぐしゃにされた。だがその後、エレンは少し頬を赤く染めて私に問い掛ける。

「…ところでリル、夜這いの意味分かって言ってるか?」
「…男の人が女の人の所に夜忍び込む事じゃないの?」
「…なんの目的で?」
「…さあ?」

実際の所私にはその程度の知識しか無かった。そう言えばなんの目的があるとか、そういう深い意味まで考えた事は無い。エレンはその私の返答にはあ、と息を吐くとこう言った。

「リルそれ、あんま言うなよ…」
「?うん」

あんまり言っては駄目な事のようで、エレンにそう言われた手前素直にそうするしかない。が、何故駄目なのかを言ってくれれば良いのに。理由も無くそう言われても、やはり心の底ではどうして、と疑問が浮かび上がるばかり。でも「良い子だな」と言われて頭を撫でられれば、思考を中断せざるをえなかった。

「じゃ、俺は戻るな。それとも一緒に寝てやろうか?」
「いや良い」
「いやってリル…」
「おやすみ、エレン」

私がいやと言ったからか、エレンはちょっと寂しそうだった。その背中を送って、扉を閉められたらぽすんとベッドに身体を倒す。一人になると、やはりさっきの吸血鬼の事を思い浮かべてしまう。ごろんと寝返りをうって、再び差し込んだ月の光の方、窓を見た。そこには吸血鬼が現れる前と全く変わらない景色があって、まるで夢だったみたいだ。

「…」

吸血鬼に血を吸われた人は、揃って気持ちが良かったと言う。人間その類いの感情には弱いもの。まるで麻薬をちらつかされたような気分で、背徳感を味わいながらその快楽を求めるのだろうか。
試しに自身の首に爪を立ててみるが、微かに痛みを感じるだけで、快楽には程遠かった。吸血鬼に血を吸われるのは一体どんな感じなのだろうか。こんな、感じなのだろうか。

「…ん」

自身の指を咥えて、歯を軽く当ててみる。やはり、気持ちが良いとは思えない。だが、だからこそ、吸血鬼に仄めかされる甘言に唆されるのだろう。自分で想像出来ないからこそ、それを求めて、吸血鬼を求めてしまう。
あの人、見た目はかなり良かったから、吸血鬼だという事が残念だ。吸血鬼じゃなかったらこんな風に拒否しなくて済むのに、なんて思ってしまう。やはり女としては、あの見た目と纏う気品、そしてあの甘言には騙されても良いと思ってしまうのだ。ただ、吸血鬼という事が引っ掛かっているだけで。あの人が関わった訳じゃないとは分かっていても、吸血鬼は私達にとって忌むべき存在だ。吸血鬼に、親を殺されたのだから。
固く閉ざされた窓は吸血鬼を拒んでいるようで、まだ大丈夫だと、私は吸血鬼に唆されたりはしないという壁のようで。この窓を開けたりはしないと、深く心に誓った。

[ 67/80 ]

[*prev] [next#]
[トップ]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -