××は二十歳になってから



 門田は、8時10分前に現れた。ぴったり10分。それは彼なりのルールに基づいている。門田の思う相手へのマナーかつ、自分のスケジュールにとっても無駄がない。そんなことからもわかるように彼は世間一般的に「まじめ」といわれる部類の人間だ。自分自身、面白みがない人間なのだと、悲観してしまう程には、その生真面目さは揺るがない。けれど門田が思っているほどに、彼自身に魅力が無いわけではない。むしろ好かれているくらいだ。とりわけ、変わり者に好かれた。好かれる、というよりは羨望と言っていいのかもしれない。だからこそ門田の周りには常に不穏が付きまとっていた。勿論、門田がやれやれと言っていられる程度の話しではあるけれど。
 そんな彼が約束の相手を放って帰りたいと思ったのは、やはり彼の生真面目さからだ。
 レストランへ足を踏み入れた途端、声を掛けてきたのは給仕ではなく、一目で上等と分かるスーツを身にまとった同級生だった。

「今日から、君の父親になる折原です。よろしく」

 明朗とした表情で差し出された右手を見つめながら、瞬時にきびすを返す自分を想像した。しかし無表情を装いながら、差し出された手を握り返してしまったのは、相手が折原だったからに他ならない。折原には、おかしなことをおかしいと考えさせない何かがある。不気味とも、魅力とも付かない何かが。それは門田に取っ掛かりを作った。ばかばかしい話しが予感されるが、どこか好奇心をくすぐられるのだ。普段なら避けて通る道にあえて踏み込もうとしてる自分がいることが奇妙でしかたないのだが、折原の手を握り返した以上もう逃げられないという覚悟すらある。それもまた奇妙。奇妙。
 折原にも門田の冷静な態度に相手は少なからず驚いたのか、ほんの少し表情に変化があったような気がする。それはそうだろうと思う。なにしろ門田本人にも自分の身の振る舞い方がわからなくなっていた。よくわからんがよろしく、そういって給仕に目配せをしてさっさと席に着いてしまえば、いくらかこの不可思議な空間も場の空気になじんでしまうのだった。


 なぜ、突然折原が現れ、父親を名乗ったにも関わらず、門田が全く取り乱さずにいられたかというと、もともと彼の周りには不穏が付きまとっていたからというわけではない。正確にはそれだけではないといったほうが正しいが。
 事前に母から「父親を紹介する」という内容の伝言を受け取っていたからというのがひとつ。門田の母親が事件に巻き込まれている可能性が高いということがひとつ。その事件が解決するまで、門田を助けてくれる人というのが、今回の義父との会食に繋がっている。

「俺が言うのもなんだけどな、若いくせにへんなバイトに手を出すのは止めとけ。」

 門田の淡々とした、どこか自嘲的な態度は折原に好感を与えた。
 校内で見かける彼は、ごく一般的な健康的な不良という、教師を初め同級や後輩からも慕われる模範的な生徒であった。けれどその明朗さの傍らに闇が寄り添っている。そして彼のまとう闇に付きまとう影が大勢いる。当の本人たちはそれに気づいていないという点がまた折原の興味を擽るのだ。
 折原は、門田の動かない眉を見ながら満足そうに微笑んだ。
 折原はいまや彼の闇の、要なのだ。その上等な立ち居地に心が弾む。

「ご忠告どうも。でもアルバイトではないんだよ。俺は君の父親になったんだ。」
「へぇ、こんな若い父親、授業参観にでもこられたら大恥だろうに。」
「良かったねぇ、うちの学校、授業参観なくて。」

 いやみっぽく笑う折原に自嘲的に笑みを返す。

「…それで、母さんは無事なんだろうな。」

 門田の母親が、数日前から行方をくらましている。折原はこの事件とも呼べぬ事件の需要参考人、もしくは当事者である。しかしながら門田が折原に食って掛からないのはさきほど述べたように母親からの伝言があったからだ。託された伝言は大まかに分けると2つある。一「父親」のこと、もう一つは「一時的に身を隠す」とのことだった。 
 なぜ身を隠さなければならないのかといえば門田の母親には借金があるからだ。要約すると、彼女は自分でも知らず知らずのうちに詐欺師の手に落ちており、その手口はあまりにも無骨であったが素人には太刀打ちできず合法的に金を毟り取られているといったところだ。

「勿論。」

 折原はメニューを覗き込みながら門田の母の安否についてそっけなく答えた。その安易な答えは、安心感すら与えるほどだ。

「そうか。それで俺は何をしたら良い?臓器でも売れば良いのか?」
「あー、なるほど、そうくる」

 分厚いメニュー表を眺めながら折原は、やはり心ここにあらずといった返事をした。対比するように門田はひどく真剣な面持ちで折原を睨む。

「わざわざ父親と名乗るくらいだ、養子縁組して、保険金掛けるとかするんだろ。別にそのくらいの覚悟はしてきたし、誰に逆らう気はねぇよ。」
「なんだ。冷静そうに見えたけど、そうでもなかったわけだ。」
「……」
「可愛げがあって安心したよ。でも俺を人でなし扱いするのはやめてくれる?」

 ぱんっとテーブルの上にメニューを放り投げながら、折原は顔を歪めて笑顔を作った。心からの不快感を示して。

「勘弁してくれよ。俺は君たち親子を助けたいんだ。」
「…それこそ理解できない。目的は何だ。」

  ある日突然、消えた母親の換わりに現れた男が無条件に自分たち親子を助けてくれるという奇妙さは、臓器売買よりも遥かに現実離れしている。それは折原にもわからないではない。けれどことを迅速に進めるには、門田の協力が必要なのだ。そしてその協力を得るためにつく嘘が、彼には嘘とわかってしまうだろうことも明白。思い通りにいかない計画ほど、折原をイラつかせるものはない。
 折原は給仕を目配せで呼んで、(あんなにも料理名に興味を寄せていたくせに)簡単に注文を終えた。その内容を聞く限り見た目どおりの小食であることが伺える。門田はというとそれこそ無難なコース料理を選び、ウェイターの機械じみた太刀魚の解説も上の空で、少しでも相手の真意が読めないかとじっと見つめていた。
 その視線に答えるように折原は、話し始めた。勿論、嘘をだ。

「君たち親子はカモフラージュなんだ。俺の取引先が、全うな仕事をするにあたって、ちょっと邪魔な組織があってね。綺麗さっぱり消えてなくなってもらわないと、出てきてはいけないものが芋ずる式にいろいろ出てきちゃって、真っ当だった仕事が、少し危険な賭けをしないといけなくなるんだ。で、危ない橋は渡りたくないらしいんだよ。それで俺としては不本意ながら、普段お世話になっている取引先のため、詐欺退治の一役を承ったってわけだ」
「…綺麗にまとまってるシナリオだが、濁しすぎて胡散臭さが倍増してる」
「信じろとは言わないさ」

 言いながら頬杖をついてしばし考えるそぶりを見せた折原は、答えが見つかったのかついと顔を上げてニッコリと笑い、その笑顔に門田は眉目秀麗という言葉を思い起こさずに入られなかった。折原は美しい。

「そうだな、ああは言ったけれど、君は人質を取られたと思っていても起ったほうがいいのかもしれない。その方が、俺に都合よく君を動かせる」
「それを本人の目の前で言ってる辺りがぞっとしないな。」
「悪いようにはしないって。何しろ君は俺の息子なんだし。」

 どうにもしようがない。その言葉が門田の中で湧き上がる抵抗を柔和に包み込んだ。

「…よろしく頼む。」

 搾り出した低音はどこか諦めを孕んでいた。
 静かに置かれた前菜の華やかさには不釣合いな暗い気持ちを、テリーヌと一緒に飲み込む。ふと気がつくと折原がまた、嬉しそうな顔でこちらを伺っていた。なんだ、と問えば別にと言って彼もナイフとフォークを握る。
 こうして、折原と門田の奇妙な親子関係が始まった。


続く


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