―君がいた―


 先ほど、飛行機事故が起きました。
 不慮の事故か、はたまた犯罪に巻き込まれてしまったのか。原因は定かではありませんが、広い海に飛行機は無残な姿で浮かんでいます。貴方は乗客の一人でした。そして墜落する直前、貴方は死を悟り全てを受け入れていた。しかし、残念なことに目を覚ましてしまう。それはどこか、少なくとも熱帯地域の海岸のようですが、いっさい文明の気配はありません。いや、探せば何かしらの救助を得られるような代物が見つかるかもしれなかったけれど、貴方は起こったことをどうにか飲み込もうとして、呆然と空を見ているんです。
 そんな時、茂みが揺らぐ音が彼の鼓膜を揺らしました。音からして大型の何かが、こちらへ向かってきている。貴方は途端に前進の毛を欹てて身構えます。声を出して追い払おうか、それとも海の中へ泳いで逃げるか、はたまた素手で立ち向かおうか…まぁ、ありえないでしょうけど。そう恐怖で殺気だった貴方の前に現れたのは、貴方と同じ飛行機に乗り合わせた乗客の一人でした。

 「さて、その乗客は誰ですか?」

 紀田マサオミはまるで歌でも歌うかのように、折原イザヤに挑戦状をたたきつけた。しかしここで言う挑戦状とは、子供が大人にチェスの勝負を持ちかけるようなもので、勝てる戦しかしない主義を主張する折原が無視をするはずが無いという、つたない予測から成り立っている。

 「心理テストか。はは、なぞなぞかと思った」
 「ご存知でした?」
 「いや?でも『飛行機という大きな共同体』が『海』に『落ちる』。人間であるのに、一人生き残ってしまった『不安』、『島』というのもキーワードかな、違う世界へ踏み込んでしまったとかそういった意味での逃避願望。そして『茂みから現れた』というのは、草原と森のテストでは草原にいたほうが安全だという考えであるという風に取れるね。そして『飛行機に乗り合わせるような知り合い』ときた。これを作った人物の性質が如実に現れているよ。他力本願で、自愛が表面に出ることは無いが、それは自己防衛の延長。そして2度も訪れる困難を乗り越えてしまうほどには若すぎた思考」
 「…考えすぎじゃないですか?」
 「作った本人がそう思うなら、これは無意識で行われた選択だよ」
 「つまらないなぁ」
 「なら良かった」

 それが、あなたの大切な人です。と、言いたかったと紀田はおもしろくなさそうにそっぽを向いた。遠出をして得た情報の報告に訪れた紀田に、ねぎらいの言葉を掛けた途端、はじまった心理テストは心理戦での挑戦状。何に挑戦したのかといえば、折原の内面を揺さぶるに値する脅迫のネタの調達である。残念ながらすでに失敗に終わったわけだが。
 入れたばかりの珈琲を差し出せばしぶしぶといった具合にそれを受け取る。実際のところ紀田本人は気付いていなかったが、うっかり彼の機嫌を損ねてしまったのは折原にとって不本意な事態だった。予想しない全ての事象は危険なものだ。今回のこの戯言も同様、事態は起こるべくして起こる。対処しておいて損は無い。
 その不機嫌は暴かれたことよりも、答えなかったという点に理由があった。しかも、上手くかわしたつもりでいたが暗に相手の目は折原が逃げを選んだ理由を模索しているように見える。これでもし何かしらの答えに行き着いた場合、彼はそれを折原に確認することなく真実としてあつかうだろう。そうされる前に、釘をさしておくべきだと折原は思った。

 「面倒だから答えないんだよ」

 あくまでも抽象的に。しかし紀田はこれで詮索をやめるはずだ。無機になればなるほど暖簾に腕押しだと身をもって知っているのだから。期待通りつまらなそうに珈琲を含んだ紀田は、もうそれ以上この会話を続けることは無かった。そうしてお愛想程度に口をつけたカップを端に追いやり、事務的な報告を終え、あっさりと部屋を後にした。

 折原はソファーに深々と腰を下ろした。接客用の珈琲カップはどこまでも自然な沈黙を守り、誰もいない部屋は封鎖的でありながら窮屈さを感じない。背もたれに頭を委ねて目を閉じれば、先ほど馬鹿にしたB級映画のワンシーンのような風景が広がった。しんと静まり返った自室ほど空想に適した場所は無いだろう。ほんの少し、自動調整されているはずの空調が肌寒く感じた。

 じりじりと焼かれるような熱で目を覚ます。
 骨を砕いたような色をした砂は、見た目が冷ややかであるせいか、気が狂いそうなほど熱い。一度深く、深く息を吐いて自分自身の生存確認をする。ああ、俺は生きている。そしてその瞬間、絶望を知るのだ。
 他でもない彼を失ってしまった事実に。
 もしもこの状況下で生き残っていたとして、折原が一番最初に思うことは、亡くした者への喪失感だと想像にたやすい。共に在るはずだった明日の予定、来月の、来年の。それらが全て突然消えうせてしまうのだから。想定外、想定外、想定外。最悪の事態だ。全く軌道修正が利かない位置までずれ込んでいる。最低だ。もう取り返しがつかない。ああ、どうして!嫌だ!頼むから返してくれ!荒れ狂う心とは裏腹に、体は一切の動きを止めてしまった。見つめる先には、無情なまでの青空が広がっていた。
 そうしているうちに、森はざわめきを潜めて不審者へ警告する。近寄ってくるものから逃げなさい、そういうようにその音一点に神経が集中した。ガサガサと無駄に大きな音を立ててそれはやって来る。ああ、これから逃げる必要がどこにあるというのかと折原は思う。
 他でもない、君との再会をまつ、この俺が。

 長い間そうして、ぼんやりと空想にとらわれていた。まるで夢でもいていたように感じる。これはいったいどういうことだろう。自分でもさっぱり理解が出来ない、行き過ぎた妄想に吐き気がした。
 折原の現実逃避はけたたましく響いたインターフォンでどうにか現実を取り戻した。なにごとかと出れば、先ほど出て行った紀田がこちらを見上げている。どうしたのと聞く前に「土産、渡すの忘れてました」と、先ほどと変わらない不機嫌そうな声で折原を微笑ませた。それはまるで必然を思わせる偶然。

 「…君がいたよ」

 紀田の土産とはちょっとしたゴシップで、確かに土産としては調度良い程度の代物だった。しかしそうなれば、折原もその情報に見合った報酬を出す必要がある。それが紀田の狙いであることは分かっていたが、折原は観念して口を開いた。

 「俺は迫り来る恐怖というやつから逃げなかった。だってそうすればそのまま死ねるかもしれないだろ?でも現れたのは君だった。君は俺を抱き上げて、支離滅裂な言葉で俺を罵倒するんだ。普段の君からは想像もつかないほど正当な理由で俺をなじっていた」
 
 正当な理由。かみ締めるように紀田は呟いた。もし、それを折原が単語として口にしたのであれば「自意識過剰」と鼻で笑っただろう。そしてもし、勿論もしもの話だが、紀田がそれを肯定することが出来れば二人は案外素直に言葉を交わすことが出来たのかもしれない。こんな回りくどい会話でお互いを試す必要など無かったかも、知れない。

 「君は泣いていた。」
 「はは、生きていてくれて嬉しいって?」
 「どうして死んでないのかって、さ。そういって泣いてた」
 「だろうな。その俺はあんたにちゃんと止めを刺しました?」
 「…さて、ね。どうだろうね。君は俺がその後死んだと思うかい?」
 「興味ないんで」
 「つれないなー。言いだしっぺの癖に」

 大切な人だといいたかったんだろ?そう、子供を相手にしていることを前提にした物言いは、いつまでも紀田の泣き所だった。もういい加減見切りをつけなければいけないことなどとおの昔に分かっていた。なるほど、偶然は必然に成りえない。
 紀田はため息を吐いていやいやをするように頭を左右に振ってから、腹をくくったような顔をして折原を見据えた。もう今更迷っていられない。この機会を逃しては成らない。その決意を秘めた相手の視線にたじろいでしまった自分自身に、折原は酷く驚いた。

 「死んで欲しくて泣いてたんじゃない。あんたが死んだと思ってた自分が可哀想で『どうして死んでないのか』って聞いたんですよ、きっとね」

 紀田は置かれたまま冷め切った珈琲を一気に呷る。折原はただ、その細い首を見ていた。

 「…俺は、死んだら君に泣いて欲しいのかな」
 「それを俺に聞くこと事態がお門違いってやつですね。俺は俺のことしかわからない」
 「じゃあ、君は泣くかい?俺のために」

 答えはもう出てるでしょう。苦笑いを浮かべる紀田は、どこか大人びて見え、二人の関係が進展するのは必然であろうと心理テストが証明してみせた。


終わり

年下ってとてもとても可愛いと思ふ







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